第49話 炉の決着
異変が大きくなったのは、対抗戦から二週間後のことだった。
深夜、目が覚めた。
胸の奥で、何かがぐらりと揺れた。
以前感じたものとは比べ物にならない、はっきりとした乱れだった。
体を起こして、息を整える。
魔力の乱れは地下から来ていた。方向がはっきりわかるほど、大きかった。
「……ヒビ」
内ポケットから出すと、ヒビの翅がぴんと張っていた。
体の炎模様がいつもより赤く光っている。感じている。
ミズチも机の端で頭をもたげていた。
カゼマルは鳴き止んで、じっとしていた。珍しい。こいつがこんなに静かなのは初めて見た。
ドロンまで起きていた。のんびりしているこいつが深夜に起きているのは、本当に珍しい。
パチは本棚の影から出てきて、白い耳を立てていた。
五匹全員が、何かを感知していた。
「行ってくる。待ってろ」
部屋を出た。廊下はひんやりしていた。
地下への階段を降りると、そこにノールがいた。
「やはり来たか」
「お前も感じたのか」
「目が覚めた。今回は大きい」
二人で炉の扉の前まで来た。
重い石の扉だった。普段は施錠されている。でも今は扉の隙間から、かすかな光が漏れていた。
「開いてる」
「誰かいる」
ノールが静かに扉を押した。
中に入ると、魔力炉が見えた。
学院の中心部に据えられた巨大な石造りの炉。普段は安定した光を放っているはずだが、今夜はその光が揺らいでいた。脈打つように、不規則に。
そして、炉の前に人が立っていた。
学院の教師だった。
魔力理論を担当している、五十代の男性教師。
「……なぜ生徒が」
振り返った顔に、驚きと焦りが混じっていた。
「先生、何をしているんですか」
ノールが静かに言った。
教師は少し黙ってから、表情を変えた。
「研究だ。この炉には、まだ引き出せていない魔力が眠っている。それを解放すれば、学院の魔力供給量が倍になる」
「炉が不安定になっている原因は先生ですか」
「不安定なのは一時的なことだ。均衡点を超えれば安定する」
「超えなければ、炉が壊れます」
「壊れない。計算してある」
ノールの声は変わらなかった。
でも俺には、こいつが怒っているのがわかった。
「先生。その計算に、炉が既に疲弊していることは含まれていますか。過去三件の記録のうち一件が人の手で対処されているのは、同じような介入があったからではないですか」
教師が黙った。
「記録が削除されていたのは、失敗を隠すためだったんじゃないですか」
沈黙が続いた。
俺は炉の前に立った。
魔力の乱れが直接伝わってくる。不規則な脈動。このまま続けば、確かに壊れる。
「止めてください」
俺が言った。
教師はしばらく俺を見ていた。
「君たちに何がわかる。私は二十年、この炉を研究してきた」
「それでも」
「魔力供給量が倍になれば、学院全体の研究が加速する。それがどれほどの意味を持つか——」
「今夜壊れたら、その研究も全部止まります」
俺は炉を見た。
光の脈動がまだ不規則だった。魔力の乱れが体に直接伝わってくる。
「先生が二十年かけてきたものが、今夜消えるかもしれない。それでもやりますか」
長い沈黙だった。
教師はしばらく炉を見ていた。
それから、ゆっくりと手を下ろした。
炉の光が、少しずつ落ち着いていった。
脈動が、だんだんと均一になっていく。
俺とノールは、それが完全に安定するまでその場にいた。
翌日、学院長に報告が上がった。
教師は研究の停止と厳重注意を受けた。
炉の状態は専門の術師が確認して、問題ないと判断された。
俺とノールは院長室に呼ばれた。
「よく報告してくれた。夜中に気づいて動いた判断も正しかった」
「ノールが以前から調べていたおかげです。一人では動けませんでした」
「君たちが動かなければ、大事になっていたかもしれない。よくやってくれた」
院長は静かにそう言った。
ノールは小さく頷いた。俺も頷いた。
それだけだったが、十分だった。
廊下に出ると、ノールが小さく息を吐いた。
「終わったな」
「ああ」
「ヒビたちのおかげでもある。感知が早かった」
「そうだな。全員が起きていた」
「全員?」
「ヒビだけじゃない。ミズチも、ドロンも、カゼマルも、パチも。全員が何かを感じていた」
ノールは少し黙ってから、手帳に何かを書き留めた。
「……それは、記録しておく必要がある。創造体が複数体、同時に同じ異変を感知した事例は聞いたことがない」
「データにするな」
「する」
「……好きにしろ」
俺は内ポケットに手を当てた。
ヒビが動いた。温かかった。
今夜は部屋に戻って、五匹全員に話しかけてやろうと思った。
カゼマルはうるさく鳴くだろう。ドロンはすぐ寝るだろう。パチは影から出てこないだろう。
それでもいい。
ちゃんと伝えてやりたかった。お前たちのおかげだ、と。
部屋に戻ると、五匹がそれぞれの場所に戻っていた。
ミズチは机の端。ドロンは床の隅。カゼマルは本棚の上。パチは本棚の影。
ヒビは俺の肩に降りてきた。
「終わったぞ」
カゼマルがぴよ、と小さく鳴いた。
いつもより少しだけ静かな声だった。
それがなんだか妙に嬉しかった。
秋の廊下に、夕方の光が差し込んでいた。




