第45話 リゼルの変化
三年生になって三週間が経った。
朝の訓練場に、リゼルが来るようになって久しい。
最初は少し驚いたが、今はもう当たり前になっていた。
今日もリゼルはいた。
訓練場の端で、一人で体を動かしている。
付与魔法が専門のはずだが、体の動かし方は悪くない。
姿勢が綺麗だ。育ちがそういうところに出るのかもしれない。
俺は自分の練習を続けながら、ときどき横目で確認した。
しばらくして、リゼルが近づいてきた。
「……少し聞いていいですか」
「何だ」
「身体強化を体全体に張るとき、どこから意識しますか」
「体の中心から外に向けて広げる感じ。一気にやろうとすると均等にならない」
「中心から」
「焦らず、ゆっくりやれば安定する。最初は脚だけとか、腕だけとかに絞って練習した方がいい」
リゼルは少し考えるような顔をして、また自分の場所に戻っていった。
しばらくして、また戻ってきた。
「……試したら、少し安定した気がします」
「そうか」
「ありがとうございます」
短く言って、また戻る。
それだけだった。でも以前のリゼルなら、こういう質問はしなかっただろう。
昼休み、レオとライルと食堂で飯を食っていると、リゼルが離れたテーブルに一人で座っているのが見えた。
「あいつ、最近ジンに話しかけてるよな」
レオが声を落として言った。
「朝に少しな」
「去年と全然違う。なんかあったの」
「特に何もない。時間が経っただけだろ」
「ふーん」
ライルが静かに口を開いた。
「エルディア家と縁があるんだろ。ジンのそばにセレインがいるなら、ジンのことを把握しておきたいんじゃないか」
「そういうことか」
「たぶんな」
ライルは多くを語らなかったが、おそらく正しかった。
リゼルにとってセレインは幼い頃からの付き合いがある。そのセレインが気を許している相手なら、敵意を持っていても仕方がない。
「別に俺は何もしないけどな」
「わかってると思う。だから話しかけてくるんだろ」
レオが俺の顔をじっと見た。
「ジンはリゼルのこと、どう思ってんの」
「どうって」
「友達になれそうとか」
少し考えた。
「……なれると思う。時間かかるだろうけど」
「そっか」
レオはそれ以上聞かなかった。
ライルも何も言わなかった。
食堂の向こうで、リゼルは静かに食事をしていた。
放課後、魔力制御の授業の帰り道で、リゼルが廊下を歩いているのが見えた。
俺に気づいて、一瞬だけ歩みが止まった。
「授業、どうでした」
「悪くなかった。お前は」
「……少し難しかったです」
「どのあたりが」
「魔力を分割して別の箇所に同時に流す練習。付与と感覚が違って」
「付与は対象に込める感じだからな。体に流すのとは別の意識がいる」
「そうなんですね」
リゼルは少し目を細めた。
否定でも肯定でもなく、ただ考えているような顔だった。
「付与魔法の感覚で応用できることもあると思うけど、最初は切り離して考えた方がいいかもしれない」
「切り離す」
「うん。慣れてきたら繋げればいい」
リゼルはしばらく黙っていた。
「……参考になります」
「そうか」
「アルマーレさんは、どうしてそんなに丁寧に教えてくれるんですか」
少し意外な質問だった。
「別に丁寧でもないけど。聞かれたことに答えてるだけだ」
「去年の私は、かなり失礼でした」
「知ってる」
「……それでも」
「気にしてない。今こうして話してるんだから、それでいい」
リゼルはまた黙った。
今度は少し長かった。
「……ありがとうございます」
ぽつりと言って、そのまま廊下を歩いていった。
俺はその背中を少し見てから、反対方向へ向かった。
去年のリゼルは、俺を見るたびに目をそらしていた。
話しかけてきたとしても、棘のある言い方をしていた。
それが今は、ちゃんと目を見て話せるようになっている。
ただそれだけのことだが、積み重ねとはそういうものだと思う。
フィーナ先輩がよく言っていた。
「稽古と同じだ。一日では変わらない。でも毎日続けると、ある日気づいたら変わっている」
人間関係も、たぶん同じだ。
内ポケットの中でヒビが動いた。
何かを感じ取ったのか、温かい感情が静かに伝わってきた。
翌朝の訓練場でも、リゼルはいた。
俺が到着すると、こちらを見て小さく会釈した。
俺も同じように返した。
それだけだったが、不思議と悪くない空気だった。
「昨日の話、試してみました」
「どうだった」
「少しだけ、感覚が掴めた気がします。まだ全然ですけど」
「それで十分だ。最初から全部できる方がおかしい」
リゼルは少しだけ口元を動かした。
笑ったわけではないが、硬さが取れた顔だった。
二人で並んで練習するでもなく、ただ同じ空間にいるだけ。
でも、敵意も気まずさもなかった。
学院に学生が増えてきて、訓練場が賑やかになってきた。
リゼルはその頃に静かに引き上げた。
「また明日」
振り返りもせず、小声でそう言って去っていった。
短い言葉だったが、去年とは何かが違った。
三年生の日常は、そうして静かに積み重なっていった。




