第40話「フィーナ、戦う」
フィーナ先輩が闘技場に入ってきた瞬間、会場の空気が変わった。
歓声でも静寂でもない。ざわめきだ。名前を知っている者、知らない者、全員が同じ反応をしている。あの人は何者だ、という空気だ。
ジンには理由がわかった。先輩が歩いているだけで、魔力の圧がある。隠しているわけじゃない。抑えているわけでもない。ただそこにいるだけで、場の密度が変わる。そういう人間だ。毎朝向き合ってきたからこそわかる。初めて見る人間にはわからないものが、ジンにはわかった。
「……すごい」
レオが小声で言った。普段なら大声で言うところだが、今日は自然に声が小さくなっていた。
ノールがメモを取る手を止めた。
ライルは腕を組んだまま、静かに目を細めた。
セレインは、何も言わずに見ていた。
個人戦の最終試合。フィーナ先輩の相手は、四年生の男子生徒だった。
体格がいい。魔力量もある。観客席からでもわかる。普通であれば強豪と言っていい出場者だ。腕を組んで、余裕のある顔をしている。フィーナ先輩を知らないのかもしれない。
試合開始の合図が鳴った。
相手が動いた。火属性の大技だ。かなりの規模で、会場の気温がわずかに上がったのがわかった。普通の生徒なら避けるか防ぐかで手一杯になる。
フィーナ先輩は動かなかった。
ただ一歩だけ、横に踏み出した。
炎が先輩の横を通り過ぎた。髪が少し揺れた。それだけだ。
次の瞬間、先輩は相手の懐に入っていた。誰も動きを追えなかった。ジンでさえ、どう動いたのか正確には見えなかった。ただ気づいたら先輩が相手の真横にいた。
相手の足が浮いて、地面に落ちた。
試合終了。
会場が静まり返って、それから爆発的な歓声が上がった。
「……今の、見えたか」
レオがジンに聞いた。
「最初の一歩と最後の動きだけ見えた。途中が追えなかった」
「俺は最初の一歩しか見えなかった。あとは知らない間に終わってた」
ノールが興奮した様子でメモを取り始めた。
「魔力の使い方がほとんど外に出てなかった。全部体の中で完結してる。だから動きが読めない」
ジンはその言葉を聞いて、腑に落ちた。
魔力の使い方と間の取り方。今朝、先輩が言った言葉だ。
先輩の魔力は外に漏れない。身体強化として全部体の中に収める。だから相手は魔力の動きを読もうとしても読めない。そして間の取り方、あの一歩横に踏み出しただけで大技を回避したのは、タイミングの読みが完璧だからだ。相手の魔力が動いた瞬間を、完全に先読みしている。
「先輩の強さの一端が、少しわかった気がする」
ジンが言うと、セレインが静かに言った。
「あの人の魔力、量は私と同じくらいです」
ジンは少し驚いた。
「計測不能レベルじゃないのか」
「私と同じ、という意味です」
つまり計測不能レベルの魔力量を持ちながら、それを全部体の中に収めて戦っている。そういうことだ。出力を絞れば絞るほど相手に読まれない。だから先輩はあれだけ静かに戦える。
「化け物だな」
ジンが呟くと、セレインがわずかに頷いた。
チーム戦も圧倒的だった。
フィーナ先輩が入ったチームは、四試合全てを先輩の動きで決着がついた。他のメンバーが動く前に終わっていた。チームメイトたちが若干手持ち無沙汰な顔をしていたのが、遠目にもわかった。
最終的に、フィーナ先輩のチームが優勝した。
表彰の場で、先輩は相変わらず飄々とした顔をしていた。周囲が大歓声を上げる中で、ただそこに立っているだけだ。視線がこちらを向いた気がした。ジンが目を合わせると、先輩はわずかに口の端を上げた。それだけだった。
「……カッコよかった」
レオが素直に言った。珍しく静かな声だった。
「今日で先輩のこと、ちょっと理解した気がする」とノールが言った。「強さの方向性が、俺たちとまったく違う」
「俺たちが目指してる先に、あの人がいるわけじゃないってこと?」
「そういうこと。あれは先輩だけの戦い方だ」
ジンはそれを聞いて、頷いた。
フィーナ先輩の戦い方をそのまま真似ることはできない。でも学べることはある。魔力を外に出さない、間の取り方、読みの精度。それは方向性として参考になる。
来年、自分はあの闘技場に出る。属性魔法なし、身体強化だけで。今日見た光景が、その目標に少しだけ肉付けをしてくれた気がした。
内ポケットの中でヒビが静かに動いた。熱が手に伝わってくる。夕陽の中で、その温かさがいつもより柔らかく感じた。
隣でセレインが立ち上がった。
「帰ります」
「ああ」
二人で人混みを出た。夕陽が学院の石畳を染めていた。後ろからレオたちの声が追いかけてきたが、今日は二人とも振り返らなかった。
しばらく並んで歩いて、セレインがふいに言った。
「あなたは来年、対抗戦に出るんですよね」
「そうなる」
「楽しみにしています」
感情の薄い声だ。でも社交辞令でもない気がした。
ジンは少し考えてから言った。
「見ててくれ」
セレインは何も言わなかった。でも歩く速度が、ほんの少しだけ遅くなった気がした。




