第36話「リゼルの壁」
リゼルがジンに突っかかってきたのは、入学から三週間ほど経ったころだった。
放課後の廊下で声をかけられた。リゼルはいつも通り背筋を伸ばして、真っ直ぐな目をしていた。ただ今日はその目に、先日の値踏みとは少しちがう感情が混じっていた。緊張、とも、覚悟とも取れる目だ。
「アルマーレさん。少しよろしいですか」
「いいけど」
「セレイン様と、最近よく一緒にいますよね」
ジンは少し考えた。
休日の練習場のことだろう。学院の中でセレインと並んで歩く機会はそこまで多くない。ただリゼルは観察眼が鋭そうだから、わずかな変化も見逃さないのかもしれない。
「たまたまそういう機会があるだけだ」
「たまたま、とは思えません」
リゼルの声は穏やかだ。でも意思が強い。
「セレイン様は特定の方と深く関わることを好まれません。それはご本人の意思です。あなたがそれを乱すようであれば、私は見過ごせません」
ジンはリゼルの顔をしばらく見た。
敵意というより、心配だ。このまま押し返してもいいが、それでは話が終わらない。
「セレインが俺と話したくないなら、自分でそう言うと思う」
「……それは」
「あいつはそういうやつだ。嫌なことははっきり態度に出る。去年一年間、同じクラスで見てきた」
リゼルが少し黙った。
「あなたはセレイン様と仲がいいと、そう言いたいんですか」
「仲がいいかどうかはわからない。ただ、嫌われてはいないと思う」
また沈黙だ。リゼルの表情は変わらないが、少しだけ目の固さが和らいだように見えた。
そこへ廊下の角からレオが現れた。
「ジン!飯行こうぜ!……あ、リゼルさんも一緒に行く?」
空気が読めないのか、あえて読まないのか。今回はありがたかった。
リゼルが一瞬だけレオを見て、それからジンに視線を戻した。
「……失礼しました」
小さく頭を下げて、踵を返す。
レオがその背中を見送りながら「何か言ったか俺」と首を傾げた。
食堂でジンがそのことを話すと、ノールが興味深そうに身を乗り出した。
「リゼルがセレインのことでジンに突っかかった?なかなかやるじゃない」
「やるじゃない、じゃなくて」
「でも悪意じゃないんでしょ。むしろ真剣にセレインのことを考えてるって感じ?」
「そうだな。だからきつく返す気にはなれなかった」
ライルが静かに言った。
「あいつ、訓練の腕はいい。実技で何度か見た」
「一年生でSクラスだから当然か」
「ただ……どこか頑張りすぎてる感じがする。完璧にやらなきゃいけない、みたいな」
ライルにしては珍しく長い観察だ。ジンはそれを聞いて、少し合点がいった。
だから最初から張り詰めているのか。セレインを守るという役割を、自分に課している。そういう育ち方をしてきたのかもしれない。
「まあ、時間が解決するだろ」
レオがパンをかじりながら言う。
「俺、明日普通に話しかけてみようかな。俺って結構誰とでも仲良くなれるし」
「やめろ」
三人が同時に言った。
レオが「えっそんなに」と傷ついた顔をした。ノールが「今は時期じゃない」と説明し、ライルが「お前の普通は普通じゃない」と補足した。レオはしばらく黙ってパンを食べた。
ジンは食事を続けながら、リゼルのことを考えた。ああいう子は、無理に距離を詰めると逆効果だ。悪い印象を与えないようにしておけば、時間が経てば変わる。フィーナ先輩の言葉を思い出した。最初が大事だ、という。あの言葉は正しかったかもしれない。
翌日の朝、訓練場でウォームアップをしていると、リゼルが入ってきた。
ジンがいることに気づいて、一瞬足を止める。でもそのまま反対側のスペースに向かった。自分の練習をするつもりのようだ。
ジンも特に何も言わなかった。
しばらく、二人が別々に練習する時間が続いた。音は足音と、魔力が動く気配だけだ。静かで、悪くない空気だった。リゼルの動きを横目で確認すると、やはり精度が高い。水属性の制御がきれいで、流れに無駄がない。付与魔法の家系というだけあって、魔力の扱い方が洗練されている。
三十分ほどして、ジンが水を飲んでいると、リゼルが近づいてきた。
「……昨日は失礼しました」
声は静かだが、ちゃんと届いた。逃げていない声だ。
「いい。気にしてない」
「私はセレイン様のことを心配しすぎるところがあります。自分でも、わかってはいるんですが……なかなか」
「悪いことじゃない。ただ、セレインは思ってるより強い。ほっといても大丈夫なやつだ」
「……そうですね」
リゼルは短く答えて、また自分のスペースに戻った。
会話としては短い。でも昨日よりはちがう。昨日は壁があった。今日はそれが少し薄くなった気がした。
ジンはそう感じながら、水筒をしまった。
内ポケットのヒビが、そっと動いた。小さな熱が伝わってくる。
今日は悪くなかった。ジンはそう思いながら、訓練場を出た。廊下を歩いていると、遠くでカゼマルがポケットの中でぴよ、と小さく鳴いた気がした。気のせいかもしれないが。




