第33話「朝稽古、再び」
明後日の朝、という約束通り、フィーナ先輩は訓練場にいた。
朝靄の中に立つ先輩の姿は去年と変わらない。飄々として、どこを見ているのかよくわからない目をしている。ただ、その場にいるだけで空気の質が変わる。ジンはそれを改めて実感しながら、距離を詰めた。
「おはようございます」
「おはよう。一年ぶりにしては顔がいい」
「先輩こそ。冬の間どこかへ行ってたんですか」
「少しね」
それ以上は言わなかった。ジンも聞かなかった。フィーナ先輩がしゃべらないことは聞いてもしゃべらないと、去年の一年間で学んでいた。
ウォームアップを終えて、稽古が始まった。
「課題の続きから。魔力先読み」
「はい」
先輩が静かに間合いを取る。ジンは呼吸を整えて構えた。
相手の魔力の動きを、放出の一テンポ前に読む。これがフィーナ先輩にもらった課題だ。去年の秋から取り組んでいる。精度は上がったが、まだ完璧じゃない。速い動きについていけないことがある。
先輩がわずかに腰を落とした。
来る。
魔力が動いた。先輩の右手から、指先へ。その流れを追いながら、ジンは半歩横に動いた。
掌底が空を切る。
ジンは後ろへ滑るように距離を取った。
「悪くない」
先輩が言った。ほめているのかどうかよくわからない声だ。でもジンには、これが肯定だとわかる。
「ただ読めてから動くまでが少し遅い。感知と動作が繋がりきってない」
「……感知した瞬間に動き始めるイメージですか」
「そう。頭で処理してから体を動かしてる。次の段階は、感知と動作を一つにすること」
言葉にすれば単純だが、やることは全然単純じゃない。ジンは静かに息を吐いた。
「わかりました」
「一年かけてやればいい」
フィーナ先輩はそう言って、また構えた。
三十分ほど動いたあと、さらに模擬戦を二本こなした。
一本目はジンが読みを外して先輩の手刀をもらった。二本目は半分まで追いつけたが、最後に崩された。悔しくはないが、足りないのははっきりわかる。
「今日はこんなもんだ」
先輩が言って、二人は地面に腰を下ろして水を飲んだ。読みの精度は上がっているが、動作との連動がまだ甘い。頭でわかっていても、体がついてこない。これを埋めるのが今年の課題だ。
朝靄が少し晴れて、中庭の向こうに学院の棟が見え始めていた。静かな朝だ。鳥の声が遠くから届く。内ポケットの中のヒビが、その音に反応するようにわずかに動いた。
「新入生が来たな」
先輩が言った。
「はい。Sクラスにも一人」
「見た。リゼル・ファランだろ」
「知ってるんですか」
「ファラン家はそこそこ有名だ。付与魔法の家系で、エルディア家とは昔から縁がある。家の子女がエルディア家のそばに仕える、みたいな繋がりがある」
やはりそういう関係か、とジンは思った。ノールの読みは合っていた。
「セレインのことが気になってるみたいで、俺に話しかけてきました」
「どんなことを聞いてきた?」
「学院での生活に不自由がないか、と」
「そうか」
先輩は空を見上げた。
「ああいう子は最初が大事だ。変に刺激すると面倒になる」
「刺激するつもりはないですよ」
「お前がじゃなくて、周りが、という話。特にうるさい奴」
レオのことだ。ジンは即座にそう判断した。
「一応言っておきます」
「それがいい。あの手の子は、悪意じゃなくて無神経さに反応する。気をつけとけ」
先輩は言いながら水を飲んだ。さらりと言うが、人の観察眼が鋭い。去年から感じていたことだが、フィーナ先輩は周囲のことをよく見ている。
しばらく沈黙が続いた。
風が吹いて、中庭の木が揺れた。
「今年は対抗戦に出る」
先輩がふいに言った。
「……先輩が、ですか」
「そう。3年だから。見とけよ」
飄々とした顔のまま言って、フィーナ先輩は立ち上がり、訓練場を歩き出した。その背中はやはり、どこか掴みどころがない。
ジンはしばらくその場に残って、空を見上げた。
今年は先輩が対抗戦に出る。どういう戦い方をするのか、どれだけの強さを見せるのか、まだ想像がつかない。ただ、楽しみだとは思った。純粋に。
その日の放課後、ジンはレオに声をかけた。
「リゼルのことなんだけど」
「あの新入生か。どうした?」
「変に刺激しないほうがいいと思う。センシティブそうな子だから」
レオが少し考える顔をした。
「俺なんかした?」
「まだしてない。してからじゃ遅いから言ってる」
「……俺ってそんなにやらかすか?」
「去年の実技で、知らない女子に突然話しかけて逃げられてたろ」
「あれは俺が悪くない!普通に練習場所聞いただけだ!」
ノールが横から「声が大きかった」と言った。
ライルが静かに「三回呼んだ」と補足した。
レオが「えっそんなに」と呟く。
ジンは苦笑した。
「とにかく、普通にしてればいい。それだけ」
「わかった。普通にする」
頼もしいかどうかわからないが、レオは真剣な顔で頷いていた。
内ポケットの中でヒビがもぞ、と動いた。ジンはそっと手を当てて、小さく息を吐いた。




