第3話「母の授業」
二歳を過ぎた頃から、母のレッスンが始まった。
といっても大したことはしない。
母が魔力を操作して見せて、俺がそれを真似る。
ただそれだけだ。
でも実際にやってみると、これが思ったより難しかった。
「ジン、魔力を手の先に集めてみて。こうやって、ゆっくりと」
母が手のひらを上に向けると、指先にじわりと水色の光が滲み出てくる。
量の加減も、形も、見事に制御されていた。
元SSランク冒険者の奥さんだけあって、所作に無駄がない。
俺は同じように手を向けて、胸の奥の魔力に意識を集中した。
動け。手の先に集まれ。
……何も起きなかった。
「焦らなくていいのよ。最初はみんなできないから」
母は優しく笑った。
俺は内心で少し唸った。
頭では理屈が分かっているのに、体がついてこない。
前世でゲームのコントローラーを初めて握った時に似た感覚だ。
操作方法は分かっているのに、指が言うことを聞かない。
三日後、ようやく指先がほんのり温かくなった。
光は出なかった。
でも母は「あら」と目を丸くして、俺の手を両手で包んだ。
「感じたわ、ジン。ちゃんと動かせてる」
それが素直に嬉しかった。
そこからは少しずつ進んだ。
魔力を手に集める。足に流す。全身に薄く広げる。
母が一つ一つ丁寧に教えてくれて、俺はひたすら繰り返した。
言葉が喋れるようになってからは、質問もできるようになった。
「ねえ、母さん。魔力って増やせるの?」
「増えるわよ。使えば使うほど、少しずつ器が大きくなるの。鍛えるのと同じね」
「属性はいつ分かるの?」
「スキル授与式の時よ。六歳になったらね」
「それまでは分からない?」
「分からないの。だから焦らなくていいわ」
母はそう言うが、俺は焦っていなかった。
むしろ今は属性より、魔力の操作精度の方が気になっていた。
属性なんて授与式まで待てばいい。
それより、魔力をどれだけ細かく動かせるかの方がずっと重要な気がしていた。
なぜそう思うのかは、うまく説明できなかったけど。
父が稽古をつけてくれるようになったのも、この頃だ。
といっても本格的なものじゃない。
二歳児にできることなんてたかが知れている。
ただ、体の軸の作り方や、重心の移し方を教えてくれた。
前世で祖父に習った古武術と、驚くほど共通点が多かった。
「力は腕じゃなく、体全体から出すものだ」
父がそう言った時、俺は思わず「知ってる」と答えそうになった。
寸前で飲み込んで、「うん」とだけ言った。
父は少し目を細めた。
「飲み込みが早いな、ジン」
「父さんの言ってること、分かりやすい」
「そうか」
それだけ言って、父は続きを教えてくれた。
口数は少ないが、教え方は丁寧だった。
一つのことを何度でも、同じ言葉で繰り返してくれる。
理解できるまで待ってくれる。
そういう人だった。
夜、床に就きながら俺は今日学んだことを頭の中で整理した。
魔力操作、体の使い方、世界の常識。
少しずつだが、確実に積み上がっている。
前世では両親がいなくて、祖父母に申し訳なさを感じながら育った。
でも今世では、両親が俺に惜しみなく時間をかけてくれている。
――悪くない。むしろ最高の環境じゃないか。
窓の外では波の音がしていた。
港町の夜は、いつも穏やかだった。




