第26話「先輩の本気」
フィーナ先輩との朝稽古が始まって、一ヶ月が経った。
毎朝、日課のように訓練場で顔を合わせる。
最初は「雰囲気を掴みたいだけ」と言っていた先輩が、気づけばがっちり稽古をつけてくれるようになっていた。
内容は日によって違う。
体幹の使い方を徹底的に直される日もあれば、ひたすら打ち合いだけの日もある。
俺が気づいていない癖を指摘してくることもあって、そのたびに「なんでわかるんですか」と思う。
今日はいつもと少し空気が違った。
「今日は少し、本気でやってみようかと思う」
フィーナが言った。
「……今まで本気じゃなかったんですか」
「全然」
あっさり言った。
「え」
「あなたの動きを見たかっただけだったから、最初の二週間は様子見。その後は課題を作りながらだったから、出力は抑えてた」
「一ヶ月、ずっと抑えてたんですか」
「うん」
俺は少し黙った。
そうか、とは思っていた。
でも「全然」ときっぱり言われると、さすがに苦笑いが出た。
「どれくらい違いますか」
「やってみればわかるわ」
フィーナは構えを取った。
いつもと同じ、自然体に近い構えだ。
でも、空気が違う。
さっきまで感じなかった圧が、急に生まれた。
魔力だ。
フィーナが魔力を纏い始めている。
属性は……読めない。複数ある気がする。
(属性魔法使いだったのか)
考える間もなかった。
フィーナが踏み込んできた。
速い。
今までの比じゃない。
俺は反射で後退して、距離を取った。
それでも袖が風を切った。
ほんの数センチ、当たっていた。
(速さだけじゃない。魔力の密度が全然違う)
「止まらないで」
フィーナの声が飛んだ。
俺は止まらなかった。
走る。
左に振る。
地面を蹴って跳ぶ。
フィーナの動きが読めない。
今まで見えていた「次の一手」が、まったく見えなかった。
三合、四合と打ち合った。
全部弾かれた。
いや、弾かれたというより、流された。
こちらの力を受け流して、逆に崩しにかかってくる。
五合目、俺の重心が一瞬ぶれた。
その瞬間を、フィーナは逃さなかった。
気づいたら、首の横に手が当たっていた。
「そこまで」
フィーナが手を引いた。
俺は少し息を整えた。
「……強い」
「当たり前よ」
「どれくらい手加減してましたか、今のでも」
「半分くらい」
「半分」
「うん。全力だとあなたが怪我をするから」
さらっと言われた。
悔しくはなかった。
ただ、純粋に、すごいと思った。
「あなた、今日初めて本気の圧に当たったわね」
「そうです」
「どうだった」
「読めなかった。今まで感じていた『次が見える感覚』が全部消えた」
フィーナは少し目を細めた。
「それを言語化できるのはいいことよ。わからないと言える奴は、伸びる」
「どうすれば読めるようになりますか」
「場数を踏むしかない。あとは……」
フィーナは少し考えてから言った。
「魔力の流れを感じる練習をしなさい。属性魔法が使えなくても、相手の魔力が動いた方向は感じ取れるはずよ。あなたは身体強化の練度が高いから、応用できると思う」
「魔力の動きを先読みする、ということですか」
「そう。動きより一瞬早く、魔力が動く。そこを掴む練習よ」
俺は頭の中でそれを繰り返した。
魔力の流れを先読みする。
確かに、ヒビたちが俺の意図を読んでくれるのも、魔力の方向で伝わっているからだ。
逆に言えば、俺も相手の魔力の方向を読めるはずだ。
「やってみます」
「明日から課題にしましょう」
フィーナは言って、髪を払った。
「今日は少し骨があった。悪くなかったわよ」
「半分以下の本気に全部弾かれましたが」
「最初はそんなもの。でも三合目まで逃げ切ったのは評価する。普通の一年生なら一合で終わってた」
それが慰めなのか本当のことなのか、この人の場合はどちらともとれる。
俺は苦笑しながら構えを直した。
「もう一本、いいですか」
フィーナは少し目を丸くした。
それから、口元が緩んだ。
「いいわよ」
結局、その日は五本やった。
全部負けた。
でも一本ごとに、少しずつ何かが掴めてきた気がした。
三本目から、フィーナが動く直前に魔力がわずかに揺れるのを、うっすら感じ取れるようになってきた。
先読みとはほど遠い。
でも、感じ取れた、という事実がある。
「今日はここまで」
フィーナが告げた。
「ありがとうございました」
「明日も来なさい。今日気づいたこと、忘れないうちに体に叩き込む」
「はい」
フィーナは訓練場を出ていきながら、振り返らずに言った。
「あなた、負けても顔が変わらないのね」
「悔しくないわけじゃないですが」
「顔に出さないのは強みよ。相手に読まれない」
それだけ言って、去っていった。
宿舎に戻る道、俺は今日感じた魔力の揺れを何度も頭の中で再現した。
動きより先に、魔力が動く。
それを掴めるようになれば、今日とは戦い方が変わる。
内ポケットの中で、ヒビが静かに動いた。
まるで「わかったか」と聞いているようだった。
「少しだけな」
俺は小声で答えて、歩き続けた。
翌日の昼、レオに話したら目を輝かせた。
「フィーナ先輩の本気! 見たかった!」
「お前が見ても何もわからないだろ」
「雰囲気だけでも! どんな感じだった?」
「読めなかった」
「え、ジンが?」
「そうだ」
レオは少し黙った。
「……それ、すごいことじゃないか。ジンが読めないって」
「だから鍛える価値がある」
ライルが静かに言った。
「今まで読めていたものが読めなくなる。それは今のあなたの天井に当たった、ということだ」
「ライルって、本当にたまにすごいこと言うな」
「普通のことだ」
俺はスープを飲みながら、昨日の五本を頭の中で繰り返した。
天井か。
ならば、破ればいい。




