第24話「フィーナ先輩」
出会いは、唐突だった。
入学から二週間ほど経ったある朝のことだ。
俺は早起きして、誰もいない時間帯に学院の裏手にある訓練場へ向かった。
日課だ。
前世からの癖で、朝に体を動かさないと一日の調子が出ない。
古武術の型をゆっくりなぞりながら魔力を流す。
ただそれだけのことだが、これをやるとやらないとでは感覚が違う。
体の隅に澱んだものを払って、一日の始まりに整えるような感覚だ。
早朝の訓練場は静かだった。
砂を固めた地面に、朝露がうっすら残っている。
鳥の声が遠くに聞こえた。
型を三周ほどやり終えたころ、砂利を踏む音が近づいてきた。
俺は型を続けながら、目の端で来訪者を確認した。
女性だ。
茶色がかった金髪を無造作に束ねていて、制服を少し着崩している。
年は十三か十四くらいか。上級生の制服の色だから、三年生の先輩だろう。
彼女は訓練場の端に立って、腕を組みながら俺が動くのをしばらく眺めていた。
俺は特に声をかけなかった。
邪魔をするわけでもないので、気にせず型を続けた。
「面白い動きをするのね」
しばらくして、先輩が口を開いた。
「古武術? それとも何か別の流派?」
「古武術です。先輩もわかるんですか」
「専門じゃないけど、見たことがあってね。普通の魔法士の鍛錬とは明らかに違う。体の軸の使い方が、根本から異なる」
俺は型を止めて、彼女を正面から見た。
飄々とした雰囲気だ。
笑っているようにも見えるし、真剣なようにも見える。
どちらとも取れる表情をしている。
つかみどころがない、という言葉がぴったりだった。
「フィーナ・アリエス。三年生よ。あなたは?」
「ジン・アルマーレです」
「あぁ、実技試験で壁を走った一年生ね。噂になってたから気になってた」
「噂になってたんですか」
「Sクラスは狭い世界だから。珍しいことはすぐ広まる」
フィーナは訓練場の中央へ、ゆっくりと歩いてきた。
「少し、相手してもらえる?」
「模擬戦ですか」
「そんな大げさなものじゃないわ。どんな動きをするか、実際に見てみたいだけ。嫌なら断っていい」
俺は少し考えた。
この人の強さの底が、まだ全然見えない。
それだけで十分だった。
「わかりました」
「じゃあ遠慮なく」
次の瞬間、フィーナが動いた。
速い。
俺は反射で後ろへ跳んで間合いを取った。
彼女の手が空を切る。直撃していたら、かなり痛かったはずだ。
「いい反応ね」
フィーナはにやりとした。
「初見の動きにここまで対応できる一年生は珍しい」
そのまま打ち合いが始まった。
フィーナの動きは速さだけじゃなくて、力の向きが読みにくかった。
こちらが押すと、流す。こちらが引くと、乗ってくる。
力で受けていないのがよくわかる。
どこかで似たような動きを見た覚えがある、と思ったら、父さんの動きに通じるものがあった。
俺はフェイントを入れながら右から回り込む。
フィーナはそれを読んでいたように体をずらして、逆に俺の重心を引っ張ろうとした。
俺は足で地面を掴んで体を立て直す。
「崩れない。重心の扱い方が上手い」
数合、やりとりが続いた。
お互い本気ではないのがわかる。
でも加減の中に本物の技術が混ざっていて、こういう動きと向き合うのは久しぶりだった。
父さんとの稽古以来かもしれない。
俺はどこか、楽しかった。
最後、俺が一歩踏み込んだところでフィーナが軽く手を挙げた。
「ここまでにしましょうか」
「もう終わりですか」
「あなたを本気にさせたいわけじゃないから。今日は雰囲気を掴みたかっただけよ」
彼女は乱れた髪を手でさらっと払いながら言った。
「ねえ、毎朝ここで練習してるの?」
「だいたい」
「じゃあたまに顔を出すわ。鍛えがいがありそうだから」
「……先輩が俺を鍛えるんですか」
「嫌?」
俺は考えた。
底が見えない。その一点だけで、断る理由がなかった。
「嫌じゃないです」
「よかった。じゃあまた」
フィーナはそれだけ言って、訓練場を出ていった。
あっさりした去り方だった。
足音が砂利の上を遠ざかって、消えた。
朝の空気の中で、俺は一人取り残された。
(なんだったんだ、あれは)
強いのはわかった。
ただ、どれくらい強いのかがまだわからない。
あの動きの中に、本気の片鱗はほとんどなかった気がする。
内ポケットの中でカゼマルが動いて、顔を出しかけた。
俺はそっと指で押し込んだ。
「まだ早い」
ぴよ、と小さく鳴いた。
俺は苦笑して、もう一周だけ型をやることにした。
(鍛えがいがある、と言っていたが……鍛えられるのはどっちだろうな)
そう思いながら構えを取ると、なんとなく、今朝は気分がよかった。
宿舎に戻る途中、廊下でレオとばったり会った。
「早いな、もう訓練してきたのか」
「ああ」
「俺も朝練しようかな……いや無理か」
無理そうな顔で言っていた。
「フィーナ先輩って知ってるか」と俺が聞くと、レオは目を丸くした。
「知ってる! 三年Sクラスの! あの人、めちゃくちゃ強いって有名だぞ」
「そうらしいな」
「去年の学院対抗戦で一人で他校の上位陣を相手にしたって話、聞いたことある。底が見えないって先輩たちの間で言われてるらしい」
俺は廊下を歩きながら、その話を頭の中で転がした。
底が見えない、か。
今朝の打ち合いで感じたのは、まさにそれだ。
あれは本気じゃなかった。余力を大きく残したまま、ただ俺を見ていた。
(また来る、と言っていた)
楽しみだ、と素直に思った。
「なんか笑ってるじゃないか」とレオが言った。
「笑ってない」
「絶対笑ってた」
俺は否定しながら、食堂へ向かった。




