第23話「ノールの違和感」
実技試験から三日後のことだった。
講義が終わった夕方、俺が中庭のベンチで一人ぼんやりしていると、遠慮がちな足音が近づいてきた。
「あの……少し、いいですか」
ノールだった。
いつものように眼鏡を少し押し上げて、おどおどした様子で俺を見ている。
手には講義のノートを抱えていて、なんとなく、それを盾にしているような格好だった。
「どうぞ」
ノールは隣に腰を下ろした。
それからしばらく、何も言わなかった。
中庭に風が吹いて、植え込みの葉が揺れた。
夕方の光が斜めに差し込んでいて、どこか間延びした時間が流れていた。
「……直接聞いてもいいですか」
「聞いてみろ」
「アルマーレさんの魔力、やっぱり変なんです」
俺は特に表情を変えずに、ノールの横顔を見た。
「変、というのは」
「普通、人の魔力って一種類の流れをしていて……属性があればそこに色がつく感じなんですけど」
ノールは言葉を探しながら続ける。
「アルマーレさんの魔力は、その……もう一個、層があるというか。底のほうに、全然別の種類の魔力が眠ってる感じがして」
「……」
「それが、なんというか……ざわざわするんです。怖いわけじゃないんですけど、初日から気になって、ずっと気になってて」
「ずっと、か」
「はい。授業中も少し気になってました。すみません」
「謝ることじゃない」
俺は少しだけ考えた。
ノールの【魔力感知】がユニークスキルだということは、入学前に父さんから教えてもらっていた。
学院に進む前に、王都の情報を調べてくれていたのだ。
ただ、ここまで具体的に感知できるとは思っていなかった。
「もう一個、層がある」という表現は、あながち外れていない。
「そのスキル、いつからある?」
「六歳のスキル授与式から、ずっとです」
ノールは少し遠くを見るような目をした。
「最初は自分でも何がわかってるのかよくわからなくて、使い物にならなかったんですけど、練習を重ねたら少しずつ精度が上がってきて……今は、だいたいの人の魔力の属性と量は感知できます」
「だいたいの人、ということは……」
「計測不能な人は、たまにいます。量が多すぎてうまく掴めない人が。あと……アルマーレさんみたいに、種類が特殊な人も」
俺は空を見上げた。
夕焼けが始まりかけていた。
薄いオレンジが空の端に滲んでいる。
全部話すつもりはない。
ヒビたちのことも、スキルの正体も、今は学院の中で広める段階じゃない。
ただ、このまま「気のせいだ」と言い続けるのは無理がある。
こいつの感知は本物で、嘘をつくような奴じゃないのもわかっている。
「一つだけ言う」
「……はい」
「俺のスキルは、まだ俺自身もわかっていないことが多い。だから曖昧な返事しかできないけど、お前が感じているものは、たぶん間違いじゃない」
ノールはぱちりと目を開いた。
「そうなんですか」
「ただ、今はまだ人に話せる段階じゃない。お前には正直に言う。他の奴には、まだ黙っていてほしい」
しばらく沈黙があった。
ノールは膝の上のノートを少し持ち直して、目を伏せた。
それから、こくりと頷いた。
「わかりました。言いません」
「ありがとう」
「でも……一つだけ、聞いてもいいですか」
「なんだ」
「怖いものじゃないですよね、あの魔力」
俺は少し考えた。
怖い、という概念が自分のスキルに当てはまるかどうか、考えたことがなかった。
「怖くはない……と思う。少なくとも、俺にとっては」
「じゃあいいです」
ノールはあっさりとそう言って、ノートを脇に抱え直した。
「ご飯行きましょう、レオが待ってます。さっき呼ばれました」
俺は思わず苦笑した。
「お前、切り替えが早いな」
「気になることはすぐに解決したいタイプなので。解決したら次に行きます」
なるほど、そういうことか。
こいつは怖かったから聞きに来たわけじゃない。
ただ、気になって仕方がなかっただけだ。
答えが出たら、それで十分なんだ。
研究者肌というのは、こういう人間のことを言うんだろうと思った。
食堂に向かいながら、俺は内ポケットのヒビが静かに丸まっているのを確かめた。
(バレなくてよかった)
いや、半分くらいはバレているかもしれない。
ただ、ノールは追いかけてこない。
わかったこととまだわからないことを、きちんと分けて持っておける奴だ。
それだけで、信用に値すると思った。
食堂に入ると、レオがすでに料理を山積みにしたトレーを前にして手を振っていた。
「遅いぞ二人とも! 冷める!」
「待ってたくせに食ってるじゃないか」
「少しだけ先に食べてた」
ライルがすでに向かいに座っていて、無言でスープを飲んでいた。
俺たちが腰を下ろすのを確認して、「遅かったな」とだけ言った。
「中庭で少し話してた」と俺は答えた。
「ふうん」
それ以上は聞いてこなかった。
ライルはそういう奴だ。踏み込まない。でも、ちゃんと見ている。
ノールは席に着くと、さっきまでの真剣な顔はどこへ行ったのかというくらい普通の顔で、「今日の夕飯なんですか」とトレーを覗き込んでいた。
「魚のソテーと芋の煮込みだ。うまいぞ」とレオが言った。
「魚は好きです」
「じゃあこっちのおかわりもやるよ。俺は肉のほうがいいから」
あたたかい食堂の空気の中で、四人分の声が混ざっていく。
たわいない話だ。今日の講義がどうとか、明日の予定がどうとか。
でも、そういうものが案外悪くなかった。
内ポケットの奥で、カゼマルがそっと動いた。
落ち着け、と俺は念じた。
でも、自分でも少し笑いたくなっていた。




