第18話「旅立ちの朝」
旅立ちの朝は、晴れていた。
ガルナの海から風が来て、庭の木の葉をさらっと揺らした。
いい天気だ。
旅立ちには、向いている。
荷物はもうまとめてある。
着替えと、練習用の木剣と、小さな革袋。
革袋の中には、ヒビたちが入っている。
五匹まとめて、こっそりと。
出発前、父さんと最後の稽古をした。
いつも通り、庭に出て。
いつも通り、向かい合って。
でも、いつもとは少し違う空気があった。
「構えろ」
父さんの声もいつも通りだった。
俺は木剣を構えた。
十回。
二十回。
三十回。
受けて、さばいて、踏み込んで。
体が覚えている動きを、ただ繰り返す。
父さんは途中から少しだけ速くなった。
俺はギリギリでついていった。
最後の一本で、俺の木剣が弾かれた。
「……参りました」
息を整えながら言うと、父さんは木剣を下ろした。
「四年前より、ずいぶんよくなった」
「まだ勝てません」
「当たり前だ」
少し間があった。
「学院では、強い奴がいる。お前より魔法が上手い奴も、体が強い奴も。それでも、一歩も退くな」
「はい」
「ただし、無茶もするな。命は一つだ」
「わかってます」
父さんはそれだけ言って、家の中に戻った。
俺は、しばらく庭に立ったままだった。
父さんなりの、はなむけだな、と思った。
温かいのか、厳しいのか、よくわからない。
でも、それが父さんだ。
馬車に荷物を積む頃、母さんが来た。
俺より少し背が低い母さんは、俺の顔をまっすぐ見た。
目が少し赤かった。
「……泣いてますか」
「泣いてないわよ」
「目が赤いです」
「気のせいよ」
俺は笑った。
母さんは少し眉を寄せてから、俺の頭に手を乗せた。
「ちゃんと、食べなさい。たまには休みなさい。友達を作りなさい」
「努力します」
「努力じゃなくて、ちゃんとしなさい」
「……はい」
頭に乗った手が、ゆっくりと離れた。
「魔法は、体が資本よ。無理したらだめ。わかった?」
「わかりました」
「あと、あのクールな子とも仲良くしなさいね」
「……セレインのことですか」
「手紙を出せる子は、誠実な子よ」
俺は少し笑って、頷いた。
馬車に乗り込むとき、振り返った。
庭がある。
稽古をした場所。
ヒビが生まれた場所。
何千回も、魔力を練った場所。
母さんが、手を振っていた。
父さんは、門のそばに立って、こちらを見ていた。
手は振らない。
でも、ちゃんと見ていた。
「……行ってきます」
俺は、声に出して言った。
馬車が動き出した。
ガルナの町が、少しずつ遠くなっていく。
海の匂いが薄くなっていく。
革袋の中で、ヒビがもぞもぞと動いた。
「起きたか」
小声で話しかけた。
革袋の口から、小さな頭が出てきた。
赤くうっすら光るヒビが、こちらを見た。
「しばらく大人しくしてろよ。王都に着くまで」
ヒビはくねっと体を動かした。
了解、と言っているのかどうかはわからない。
でも、俺はそう受け取った。
馬車は王都へ向かって走り続ける。
十歳の俺と、五つの命と。
新しい場所へ、向かっていく。




