第2章:時速4kmの終焉――最高特別賢者への招待
王女レオノールはイザベルの報告を重く受け止め、国を揺るがす異常事態として宮殿の最高実力者たちを招集した。
重厚な円卓を囲むのは、王国の智と武の頂点に立つ面々だ。
宮廷魔導師長ゼノス: 百戦錬磨の老魔導師。
宰相バルタザール: 国の防衛と予算を統括する冷徹な文官。
騎士団長イザベル: 現場の生き証人として、沈痛な面持ちで同席。
レオノールは、イザベルが持ち帰った「算術魔法」の概念と、騎士団が受けた壊滅的な屈辱を包み隠さず説明した。
ゼノス(魔導師長): 「『2の6乗』……。累乗の概念を魔法の並列起動に組み込むなど、理論上は考えたこともありますが、それを瞬時に制御するなど人間の演算能力を超えています。我々の魔法が『定型文』だとすれば、その男は『世界の構造式』を直接書き換えているに等しい 」
バルタザール(宰相): 「危険すぎる。その男一人で、オーガ50体……つまり国を3から5は滅ぼせる戦力を無力化したというのだな 。もし彼が他国に雇われれば、我が国は一夜にして地図から消える。武力で勝てぬなら、もはや対策は一つしかない」
会議室に絶望的な沈黙が流れる中、レオノールは厳しい決断を下した。
武力行使の全面禁止: これ以上の刺激は国家存亡の危機を招くと判断。騎士団および隠密部隊に対し、男への接触と攻撃を厳禁とする。
懐柔と観測: 敵対ではなく、あくまで「未知の賢者」として遇する方針へ転換。彼が望むなら爵位でも財宝でも与え、国内に留まらせる可能性を模索する。
算術の解析: 男が残した「2の5乗」「2の6乗」といった言葉から、次世代の魔法体系を構築するための極秘プロジェクトを開始する 。
イザベルは、会議の席で一度も顔を上げることができなかった。自分たちが心血を注いできた武力が、今や「最も不要なもの」として封印されたからだ。
「……我々は、彼と同じ空気を吸っていることさえ、幸運だと思うべきなのかもしれぬな」 ゼノスの呟きが、実力者たちの無力感を代弁していた。
レオノール王女は、武力による解決が不可能であることを悟り、国を挙げた「懐柔策」へと舵を切りました。選ばれたのは、かつてカイトに圧倒的な力の差を見せつけられた当事者であり、現在は絶望の中にいる騎士団長イザベルでした。
イザベルは、もはや武器を手にすることはありませんでした。漆黒の鎧は王宮の奥底に封印され、彼女は一人の貴婦人としての装いで、カイトが目撃された隣国への街道へと馬を走らせました。
彼女に与えられた任務は、捕縛でも制圧でもなく、「対等、あるいはそれ以上の敬意を持って、王都への招待を申し入れること」でした。
隣国の国境近く、静かな湖畔でカイトは見つかりました。彼は相変わらず、焚き火のそばで空中に浮かぶ半透明の「算術式」をいじり、新しい関数の調整に没頭していました。
イザベルは馬を降り、数メートル手前で立ち止まると、深く優雅な一礼を捧げました。
「……カイト殿。再びお会いできたこと、光栄に存じます」
カイトは面倒そうに顔を上げ、片目を細めました。 「またあんたか。今度は何を剥ぎ取られに来たんだ?」
その辛辣な言葉に、イザベルは一瞬肩を震わせましたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべました。それしか道がないことを理解していたからです。
「いえ。今日は騎士としてではなく、レオノール王女の使者として参りました。我々の無礼と無知を深くお詫びし、あなたを王国の『最高特別賢者』としてお招きしたいのです」
イザベルは、宰相バルタザールが用意した破格の条件を読み上げました。
完全なる自由の保障: 王国内での行動に一切の制限を設けない 。
国家予算に匹敵する報酬: 研究費用として望むだけの金貨と、希少な魔導具の提供 。
算術の研究施設の設立: 彼が「効率化」を追求するための専用の工房を王都の一等地に用意する 。
カイトは興味なさげに鼻で笑いました。 「研究施設? 効率化? あんたたちに俺の計算が理解できるのか? 前に言っただろ、時速4kmのあんたたちと、俺の世界は住んでいる次元が違うんだ」
イザベルは、その言葉を真っ向から受け止めました。 「はい。理解できるとは毛頭思っておりません。ですが、せめてその高みを仰ぎ見ることだけは、お許しいただけないでしょうか。我々の無力さを知った上で、なお、あなたの知恵の一端に触れたいのです」
かつて誇り高かった騎士団長の、あまりにも殊勝な態度に、カイトは少しだけ表情を緩めました。
「……まあ、野宿にも飽きてきたところだ。宿代を一生分出してくれるってなら、考えてやらんこともない」
カイト殿、私たちの望みは、もはやあなたを縛ることではありません。
あまりにも隔絶したあなたの「算術」を前に、私たちは自分たちが守ってきた理がいかに脆いものであるかを知りました。 今の私たちの望みは、以下の通りです。
未知の知見の享受: あなたが操る効率化の極致、その「算術」の一端を学び、停滞した魔法体系に新たな風を吹き込んでいただきたいのです。
国家の存続: あなたという規格外の存在と敵対するのではなく、同じ国の空気を吸う隣人として、破滅の回避を選択したいと考えています。
価値の提供: あなたの計算や研究を邪魔する「ノイズ」を私たちが排除し、あなたが最も効率的に活動できる環境を提供することです。
レオノール王女は、あなたに「最高特別賢者」の地位を用意しました。 それは権力であなたを縛るための鎖ではなく、あなたがこの世界で誰にも邪魔されず、思う存分にその数式を振るうための「盾」として機能するものです。
「時速4km」で歩むことしかできない私たちですが、その歩みを、あなたの描く未来のわずかな足がかりにしていただけないでしょうか。
カイトは空中の数式を消し、面倒そうに首を振った。
「分かった。話を聞くだけ聞いてやる。ただし、俺がそっちに行くのは効率が悪い。騎士団の奴ら5人ほどと、その王女をここに呼べ」
イザベルは目を見開いた。一国の王女を、何もない湖畔の野営地に呼びつけるなど、本来なら不敬の極みだ。しかし、今の彼女にはそれが「合理的な要求」であると理解できた。時速無限大の力を持つ男にとって、移動のコストを払うのは自分たちの方であるべきなのだ。
数日後、王都から厳重な警護(という名の、男を刺激しないための形式的な供回り)を連れて、王女レオノールが現地に到着した。
同行したのは、以下の5名だ。
イザベル: 案内役兼、連絡責任者。
マーガレット: 警護。しかし、武器を抜くことは固く禁じられている。
エリザベス: 男の言葉を記録し、理論の一端を解析する役割。
サティ: 周辺のノイズ排除と雑用。
ゼノス: 王宮魔道士長。この世界の魔法の限界を知る老人。
レオノールは、質素な焚き火の前に座るカイトを前に、一切の虚飾を捨てて地面に腰を下ろした。
「呼び出しに応じ、足を運んだぞ。カイト殿。これが、今の我が国にできる誠意の形じゃ」
カイトは手元の木の枝で地面に図形を描きながら、顔も上げずに答えた。 「わざわざご苦労。で、最高特別賢者だっけか? その椅子に座ったら、俺に何をさせたいんだ。あるいは、俺に何をさせるつもりだ?」
カイトの視線がレオノールを射抜く。それは、権威や美貌など一切の変数を排除し、純粋な「存在の価値」だけを計算しようとする、冷徹な観測者の目だった。
カイトは手元の枝を放り投げると、並み居る王国の重鎮たちを冷めた目で見渡した。
「あんたらの実力、というか『出力のムダ』を客観的に見せてやる。全員、今ここで全力のバレット(弾丸魔法)を湖に向かって撃ってみろ。出し惜しみはなしだ」
王女レオノールの許可を得て、イザベル、マーガレット、エリザベス、サティ、そして老魔導師ゼノスが湖畔に並び、それぞれの得意な属性で詠唱を開始した。
ゼノス: 最も洗練された「ファイアバレット」を放つ。その火球は大きく、熱量も凄まじい。
エリザベス: 「ウィンドバレット」を音速で放ち、湖面に鋭い筋を作る。
イザベル・マーガレット・サティ: それぞれの魔力を込めた弾丸が、次々と着弾し水柱を上げた。
「……さすがじゃな。これほどの威力を同時に見るとは」とレオノールが感嘆の声を漏らしたが、カイトは鼻で笑った。
「威力の話じゃない。処理効率の話をしてるんだ」
カイトが指をパチンと鳴らすと、空中にホログラムのような数式が展開された。そこには、今放たれた5人の魔法の「損失率」が赤字で表示されている。
「ゼノス、あんたのは熱放射のロスが40% 。イザベル、あんたのは弾道計算のブレで威力が分散してる。全員合わせて、注ぎ込んだ魔力の3割も有効活用できてない。これが時速4kmの世界だ」
カイトは立ち上がると、片手を軽く突き出した。
「『ストーンバレット、2の5乗』」
詠唱とも呼べない短い言葉と共に、32発の石弾が物理法則を無視した幾何学的な陣形で整列し、一寸の狂いもなく湖の一点に着弾した。爆発音はない。ただ、着弾点の水面が、あたかもドリルで穿たれたかのように深くまで抉れ、数秒間その穴が塞がらなかった。
「……これが最適化だ。俺が欲しいのは、俺の計算を現実の現象に変換するための『魔力の供給源』と、計算機としての場所だ」
カイトはレオノールを直視した。
「王女様。あんたに、この無駄だらけの国を俺の計算式通りに『再構築』する覚悟はあるか?」
イザベル、マーガレット、サティが放った三者三様のバレットが、それぞれの実力と絶望的なまでの「非効率」を浮き彫りにした 。
イザベルの火魔法: 騎士団長として放った「ファイアバレット」は、周囲を焦がすほどの熱量を持ちながらも、カイトの眼には熱エネルギーが四散し、目標に到達する前に威力の4割が失われている「非効率な炎」と映った 。
マーガレットの土魔法: 副長が放った「ソイルバレット」は、かつて魔物を防いだ土壁と同様に頑強な一撃であったが、その質量を維持するために膨大な魔力を無駄に消費しており、カイトの理論における「計算資源の浪費」そのものであった 。
サティの水魔法: 俊敏なサティが放った水弾は鋭く湖面を叩いたが、カイトの指摘した「弾道計算のブレ」により、エネルギーが一点に収束せず水面で霧散してしまった 。
カイトは、この三人の攻撃を見届けた後、彼女たちが心血を注いできた「武の研鑽」がいかに「時速4kmの世界」に留まっているかを、冷徹な数式で突きつけた 。
「……どうだ、自覚できたか? あんたたちの魔法は、イメージという曖昧なものに頼りすぎている 。俺の『2の5乗(32発)』に、その三人の全魔力を合わせた以上の出力が出るのは、すべてが最適化されているからだ 」
湖面に穿たれたまま塞がらない巨大な穴を前に、三人は自らの魔法が、カイトの前ではあまりにも幼い遊びに見えることを痛感した 。
カイトは鼻で笑うと、今度は両手を広げ、周囲の魔素を強制的に一点へと収束させた。
「見せてやるよ。これが本当の『計算による全属性制御』だ」
カイトが呟いた瞬間、彼の背後に10の光球が出現し、それぞれが異なる色彩と圧力を放ち始めた。
ファイアバレット: 燃焼効率を極限まで高め、熱損失をゼロに抑えた青白い炎。
ウォーターバレット: 表面張力と水圧を計算し、鋼鉄をも容易に断つ高圧水流。
ウィンドバレット: 真空状態を弾芯に据え、空気抵抗を完全に排除した不可視の弾丸。
ストーンバレット: 密度を累乗で強化し、一発で城壁を粉砕する質量を持った岩石。
ソイルバレット: 土の結合力を分子レベルで固定し、着弾と同時に硬質化する土弾。
ホーリーバレット: 波長を最適化し、不純な魔力を完全に分解する純白の光。
ダークバレット: 光を吸収する負のエネルギーを数式で安定化させた漆黒の弾丸。
アイスバレット: 絶対零度に近い温度を座標に固定し、着弾地点を瞬時に凍結させる氷塊。
ボイルバレット: 液体の沸点を超高速で上昇させ、着弾時に爆発的な膨張を起こす熱水。
スチームバレット: 過熱蒸気を高密度に圧縮し、指向性を持たせて放つ不可視の熱波。
「10属性並列展開。これらすべて、俺にとってはただの『定数』の書き換えに過ぎない」
カイトが軽く指を動かすと、10個の異なるバレットは一糸乱れぬ動きで湖へと吸い込まれた。それぞれの着弾地点で、蒸発、凍結、粉砕、消滅が同時に発生し、湖の生態系そのものが数式によって上書きされていく。
イザベルたちは、そのあまりの光景に膝をついた。自分たちが一生をかけて一つの属性を磨き上げる中、この男は10の理を同時に、それも遊びのように弄んでいた。
レオノール王女は、震える声でカイトに問いかけた。 「……カイト殿。そなたにとって、この世界の理とは……単なる数字の羅列に過ぎぬのか?」
カイトは王宮へと赴き、彼専用に誂えられた巨大な訓練場へと足を踏み入れた。そこにはレオノール王女の命により、イザベル、マーガレット、エリザベス、サティ、そして老魔導師ゼノスの5人が整列していた。
カイトは腕を組み、並んだ5人を冷めた目で見下ろした。
「いいか。あんたたちが今まで信じてきた『精神力』や『イメージ』なんてゴミ箱に捨てろ。これからはすべてを『最適化』された数式で制御してもらう」
まずカイトが命じたのは、詠唱の破棄だった。 「無駄な言葉を並べる時間は計算資源の浪費だ。2の累乗、座標、熱量、それだけを脳内で定義しろ」
イザベル(火): 炎の熱放射を極限まで絞り、針の穴を通すような一点集中型の「ファイアバレット」の連射。
マーガレット(土): 質量の無駄を省き、比重を極限まで高めた小石サイズの「ソイルバレット」による貫通訓練。
サティ(水): 水の分子結合を数式で固定し、着弾するまで液体ではなく「氷の刃」に近い硬度を維持する制御。
エリザベス(風): 大気の抵抗値を定数として扱い、弾道のブレをゼロに固定する精密射撃。
ゼノス(老魔導師): 若い連中よりも固定観念が強いゼノスには、既存の魔法陣を解体し、最小構成の数式へ再構築する作業を課した。
訓練開始から数時間後、訓練場にはかつてのような「魔法の詠唱」は響かなくなった。代わりに聞こえるのは、カイトの冷徹な指摘と、空気を切り裂くような鋭い着弾音だけだ。
「遅い! イザベル、今のバレットは熱損失が2%出ている。再計算しろ」 「サティ、水の表面張力の定数がズレている。着弾時に霧散させるな、全てを貫け」
5人の顔からは余裕が消え、滝のような汗が流れていた。しかし、彼らの放つ「バレット」は、数時間前とは比較にならないほど鋭く、洗練されたものへと変わり始めていた。
「……信じられん。今まで私が一生をかけて磨いてきた魔法が、これほどまでに無駄だらけだったとは」 ゼノスが、指先に灯した最小出力かつ最大熱量の小さな火種を見つめ、震える声で呟いた。
カイトは訓練場の中心で、必死に数式を脳内に展開しようとする5人を見渡し、鼻で笑った。
「魔法の適性だと? そんなもの、俺の基準で言えば**『計算リソースの初期割り当て』と『ハードウェアの出力特性』**の違いに過ぎない」
カイトは空中に、彼ら5人の魔力波形をグラフ化したような数式を浮かび上がらせた。
属性適性(ハードウェア特性): 「火だの水だのと言っているのは、その個体の魔力がどの周波数で共振しやすいかという物理的な特性だ。イザベル、あんたの魔力は熱変換の効率が極めて高い。それは『才能』なんて曖昧なものじゃない。単に熱力学の数式を現象化させるためのハードウェアが最適化されているだけだ」
魔力容量(計算リソース): 「魔力量が多いというのは、一度に処理できるメモリ(記憶容量)が大きいということだ。だが、あんたたちはその膨大なメモリを、冗長な詠唱や無駄なイメージという『バグ』だらけのプログラムで浪費している」
演算適性(プロセッサ性能): 「本当の意味での『魔法の適性』とは、どれだけ複雑な数式を、どれだけ速く正確に脳内で処理できるか――つまり演算速度だ。2の累乗を展開する際に、脳が焼き切れずに並列処理を維持できるか。それこそが、この先俺の領域に踏み込めるかどうかの境界線になる」
「適性があるから特定の魔法が使えるんじゃない。その属性の数式を解くのが、他の奴よりほんの少しだけ得意だというだけだ」
カイトは冷徹に言い放つ。
「だからイザベル、火が得意なあんたが水を制御できない道理はない。ただ、水の流体極限を計算するためのコストが、火の熱力学を解くコストより高いというだけだ。その『非効率』を、脳内の演算能力で強引にカバーしてみせろ。それが俺の言う訓練だ」
ゼノスをはじめとする5人は、自分たちがこれまで「神からの授かりもの」や「血筋の才能」だと信じていた適性という言葉が、カイトの手によって単なる「物理パラメータ」へと解体されていくのを、戦慄と共に聞き入っていた。
カイトは訓練場の中心にある、魔力耐性加工が施された標的用の石柱を指差した。
「火しか扱えないだと? それはお前の脳が、特定の計算式に最適化されすぎて硬直しているだけだ。ハードウェアの限界じゃない。OSの欠陥だ」
カイトはイザベルの目の前に、指先で青白い数式の羅列を書き換えてみせた。
「いいか、熱力学の数式から『エントロピーの増大』を差し引き、分子の運動エネルギーを強制停止させる定数を組み込む。そうすれば火は氷に、熱は冷気に変わる。属性の壁なんてものは、演算処理における『定数の違い』に過ぎない」
カイトは冷徹に言い放ち、イザベルの額に指を触れた。
「今、お前の演算領域に『水』と『氷』の最適化パッチを直接流し込んだ。拒絶するな。火を出す時のリソースを、そのまま流体計算に回せ」
イザベルの全身に、かつて感じたことのない異質な寒気が走る。 彼女の指先が小刻みに震え、紅蓮の魔力が青白く変色し始めた。
「……っ、あ……あああ……!」
「叫ぶ暇があるなら計算しろ! 流体の密度、表面張力、凝固点。変数を固定しろ!」
イザベルが苦悶の表情で標的の石柱に手をかざすと、指先から放たれたのは火炎ではなかった。 鋭利な氷の刃を伴った高圧の水流が、凄まじい計算密度を持って石柱を叩き、瞬時にその表面を凍結させた。
「……水と、氷……。私が……?」
自分の手を見つめ、呆然と立ち尽くすイザベル。 カイトはそれを見て、当然だと言わぬばかりに鼻を鳴らした。
「次はマーガレットだ。土の硬度計算を応用して、大気中の窒素を固定しろ。風を『物質』として扱わせる」
訓練場は、もはや魔法の練習場ではない。 既存の常識を数式で解体し、5人の脳を強制的に書き換える「再構築の場」と化していた。
カイトは訓練場の中心に立ち、5人を半円状に並ばせた。
「自分はこれしかできない、という思い込みが計算のボトルネック(停滞)を生む。今から俺が全属性の基本定数を共鳴させる。お前たちは自分のリソースを強制的に拡張し、未体験の属性を定義しろ」
カイトが指を弾くと、訓練場全体に青白い算術の光が網目状に広がり、5人の脳内演算領域に直接介入した。
カイトの過酷な命令が飛ぶ。
イザベル(火) 「火のエネルギーを反転し、熱を奪う計算に回せ。アイスバレットだ。熱力学の符号を変えるだけだ、迷うな!」
マーガレット(土) 「土の質量を捨て、流体の摩擦係数をゼロに固定しろ。ウィンドバレットを展開しろ。大気も数式上は物質だ!」
エリザベス(風) 「空気の振動を止め、分子の運動エネルギーを摩擦熱へ変換しろ。ファイアバレットだ。風を燃料に変える計算を行え!」
サティ(水) 「水の結合を解き、大気中の塵を核にして固定化しろ。ストーンバレットだ。液体の計算を固体の計算へ移行させろ!」
ゼノス(老魔導師) 「光の屈折率を最大化し、エネルギーを一点に収束させろ。ホーリーバレットだ。老いぼれた脳のキャッシュをクリアして再起動しろ!」
5人は歯を食いしばり、脳が焼き切れるような熱量を感じながら、カイトが送り込む膨大なデータと格闘した。彼らにとって、それは魔法を放つというより、未知の難問を瞬時に解き明かす作業に近い。
「放て!!」
カイトの怒号と共に、訓練場に5つの光が走った。
イザベルの指先からは、紅蓮の炎ではなく、空間を凍りつかせる氷の礫が。 マーガレットの手のひらからは、鈍重な岩石ではなく、真空の刃を伴う暴風の弾丸が。 エリザベス、サティ、ゼノスからも、それぞれが本来持っていた適性とは正反対の属性が、鋭い算術の制御下で放たれた。
着弾した標的の石柱は、凍結し、切り刻まれ、炎上し、粉砕され、浄化の光に包まれた。
「……できた。私たちが、属性の壁を……」 イザベルが膝をつき、荒い息を吐きながら呟いた。
カイトはそれを見下ろし、当然の結果だというように冷淡に告げた。 「適性なんてのは、初期設定に過ぎないと言っただろ。これでようやく、お前たちは『時速4km』の鈍足から、少しだけ加速し始めたわけだ」
5人は疲れ果てていたが、その瞳には「かなわない」という絶望を越えた、未知の力への渇望が宿り始めていた。
カイトは鼻で笑い、訓練場の床に巨大な六角形の幾何学模様を算術で描き出した。
「火、土、水、風の4属性に、光と闇。それがこの世界の魔法の『すべて』だと教え込まれてきたわけだ。だが、なぜ自分の適性をたった一つだと決めつける? それは、あんたたちの思考が**『静的な定義』**に縛られているからだ」
カイトは6つの角にそれぞれの属性の定数を浮かび上がらせ、それらを数式で連結していく。
初期値の絶対視: 「あんたたちの言う『適性』は、単なる初期パラメータに過ぎない。火の共振係数が高いからといって、他の計算が不可能だという証明にはならない。単に『火の数式を解くのが一番楽だった』という経験則を、絶対的な限界だと誤認しているだけだ」
観測の欠如: 「光と闇だってそうだ。あれは独立した属性じゃない。光はエネルギーの放射密度であり、闇はその吸収と拡散の関数だ。物理現象の根源を理解せず、見た目の現象(属性)に名前をつけて分類した時点で、あんたたちの成長は止まっている」
計算リソースの固定化: 「『自分は土の魔道士だ』と定義した瞬間に、脳はその計算式専用の回路しか構築しなくなる。最適化どころか、自ら脳にリミッターをかけているんだ。属性の壁なんてものは、演算処理における『定数の書き換え』だけで越えられる程度のハードルだ」
「いいか、イザベル。火を扱えるのは、お前の魔力が熱力学の定数と相性が良かっただけだ。だが、一度その数式の構造を理解してしまえば、他の5つの定数を代入するだけで、すべての属性は等価に扱える」
カイトは六角形の中心に立ち、5人を鋭く見据えた。
「決めつけるな。お前たちが使っているのは『魔法』じゃない。ただの不完全な『計算式』だ。その不完全さを算術で補えば、6属性すべてがお前たちの手の内にある」
5人は、自分たちが「天賦の才」だと思い込み、大切に守ってきた自らの属性が、カイトにとっては「不自由な先入観」でしかないことを突きつけられ、言葉を失った。




