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結婚式当日に捨てられた男爵令嬢は王子に甘く溺愛される  作者: 星名柚花


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17/20

18:王子は当て馬を目指す

 一時間ほど経っただろうか。

 向かいで王子が本を閉じたことに気づいて、私は顔を上げた。


「もう読み終われたのですか?」

「ええ。女性向けの本なのですが、面白くて、つい夢中になってしまいました」

 王子はちょっと恥ずかしそうに本を持ち上げた。


 その表紙には予想通り、『アンベルクの騎士譚』というタイトルが刻まれていた。

 キアラ様に教えてもらって私も読破したのだけれど、『アンベルクの騎士譚』は主人公の騎士が、理不尽な理由で婚約破棄された令嬢を献身的に支え続ける物語。

 令嬢は王子と結婚してしまうため、主人公の恋は報われないままに終わる。

 最後まで令嬢への愛を口にすることなく、ただ令嬢の幸せを願って一途に尽くした騎士が素敵だと、貴族令嬢たちの間で大人気なのだ。


「主人公の高潔さが胸に染みました。でも、私は彼のようにはなれそうにありません。一人の人間として、愛した人には愛を返してほしいと願ってしまいます。傲慢でしょうか?」

「そんなことはございません。私も、エイモン様にはそう願っていましたから……愚かにも、愛した分だけ、愛を返してくださることを期待していたんです。最初から彼には愛などありませんでした。エイモン様にとって私は、ただ都合の良い女でしかなかったのに……」

「フィオレット嬢。エイモン殿の話は止めましょう? 彼は貴女にとって過去の人です。いつまでも過去に囚われているのはよくありませんよ」

 ハッとして、顔面から血の気が引いた。


「申し訳ございません! 婚約者候補の身でありながら殿下の御前で他の男性の名を出すなど、浅慮も甚だしい振る舞いでした。心よりお詫び申し上げます」

 私は弾かれたように立ち上がり、深く頭を下げた。


「ああ、いえ、怒っているわけではありません。きっかけとなる話を振ったのは私のほうですから。顔を上げてください」

 椅子を引く音がして、ユーリス王子の手が私の右肩に触れた。

 恐る恐る顔を上げると、ユーリス王子はまるで赦しを与える聖人のように、柔らかく微笑んでいた。


「過去はどうあれ、いまのフィオレット嬢は私の大切な婚約者候補です。すぐには無理かもしれませんが、エイモン殿のことは私がいつか必ずフィオレット嬢の心から追い出してみせますよ。これから二人で楽しく幸せな記憶を作り、辛い記憶を少しずつ上書きしていきましょう」

「……はい」

 胸がきゅっと締めつけられた。

 どうして王子は、ここまで優しくしてくださるのだろう。


「そのための第一歩として、これから私の前でエイモン殿の名前を出すことは禁止です。いいですね?」

 ユーリス王子は人差し指を立て、悪戯っぽく笑った。


「はい。わかりました」

 頬を緩めて返事をすると、王子は落ち着いた仕草で「どうぞ」と椅子を示した。

 ――ああ。私……もう二度と、ユーリス王子の前でエイモン様の名前を口に出したりしないわ。

 ユーリス王子に失望されたくない。

 そんな思いを胸に秘め、私は椅子に座った。


「フィオレット嬢は、この本は読まれましたか?」

 着席してから、ユーリス王子は『恋と献身の騎士譚』に目をやった。


「はい。キアラ様に勧められて読みました」

「私もそうです。最初は歴史書を読むつもりだったのですが、偶然本の前を通りかかったときに彼女の言葉を思い出して、手に取りました。私がこの本の中で最も気になったのは、令嬢の幼馴染であるダニエルです。よりにもよって最悪のタイミングで令嬢に告白してしまい、即座に振られてしまうという可哀想な役回りの男性ですが、 私がいまから目指すべき理想の姿だと思いました」

 ユーリス王子は本に手を触れ、しみじみとした調子で言った。


「…………はい?」

 私は唖然としてしまった。


「で、殿下? 何を言っておられるのですか? ダニエルは俗に言う『当て馬』ですよ? この国の王子たる殿下が決して目指してはいけない役割です」

「いえ、キアラ嬢にとって、私は当て馬ではなくてはならないのですよ。私がキアラ嬢と結ばれることはあってはならないことなのです」

 ユーリス王子は意味ありげに笑った。


「そういうわけで、フィオレット嬢。申し訳ないのですが、これからの日程を少々変更させてください。来週のデート予定日はキアラ嬢と一緒に過ごしたいのです。その代わり、再来週のキアラ嬢とのデート予定日はフィオレット嬢と一緒に過ごしたいと思っています」

「わかりました。それでは、来週はキアラ様と二日連続でお過ごしになり、再来週は二日連続で私とお過ごしになるということですね?」

「いえ。実は、ロクサーヌ嬢の許可も得ましたので、来週は三日連続でキアラ嬢とデートする予定なのですよ」

「そうなのですか……あの、それは、殿下の仰られた当て馬云々に関係あることなのですか?」

「はい。キアラ嬢と親密な関係にあることを存分に見せつけたい人がいるのです」

 ――なるほど。読めたわ。

 ユーリス王子はキアラ様と親密な関係であることを見せつけることで、キアラ様の想い人の嫉妬心を燃え上がらせ、『当て馬』となるおつもりなのね。

 そして、ユーリス王子がここで大きく動かれたということは、キアラ様の想い人はきっと、つい先日王宮に召し上げられたキアラ様の護衛騎士――カイト様だわ。


「あ、いえ。正しくは親密なフリをするだけなので、誤解しないでくださいね。さっきも言いましたが、キアラ嬢を婚約者に選ぶつもりはありませんので」

 俯いて考え込んでいると、何故か慌てたようにユーリス王子が付け足した。


「……殿下。その言葉は本気なのですか?」

 私は王子のアメジストの瞳をひたと見つめた。


「ロクサーヌ様もキアラ様も選ばないとなると、必然的に私しか残らないことになってしまいます。前例のないことですが、もう一度王子妃選定を行うつもりなのですか?」


「いいえ。そのつもりはありません」

 ユーリス王子は私を見つめ返して、ハッキリとそう言った。


「…………」

 にわかに心臓が騒ぎ出す。

 ロクサーヌ嬢に続いてキアラ様も辞退を決められた場合、王子は本気で私を選ばれるおつもりなのだ。

 王子妃になる覚悟はあるかと問われたら、あるとは言えない。

 本当に私でいいの?――胸を占めるのは、そんな戸惑いと不安ばかりだ。


 ユーリス王子は、ただ黙って私を見つめている。

 目を逸らすのは簡単だ。でも。

 ――逃げたくはない。


「……わかりました」

 私はこくりと唾を飲み込み、アメジストの瞳から目を逸らさぬまま頷いた。


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