第32話凡愚こそ、人たらしめる
息を殺し、薄暗い草陰で身を潜める。
ディアファンの暗殺に失敗したスイレンは、ハイウェイから命からがら逃げおおせ、無様に醜態を晒していた。
周囲は警笛が鳴り響き、見つかるのも時間の問題であった。
今更ながら、気がつく。
後悔とは願いであり、当時散りばめられた些細なヒントを見落としたツケなのだと。
スイレンは静かに息を吐き出すと、瞳を閉じ瞑想した。
それは諦めであり、これから起こる未来への受け入れでもあった。
―――――――――――――――――――――――
……認めてくれると思った。
いつの日か、たどり着く未来の自分に「よくやった。」「さすがだ」などという散々聞き飽きた言葉を、彼女から引き出せるものだと。
だが、そんな日は来なかった。
少しの努力と、持ち前の才覚を活かせば、その場所には簡単に手が届く。どこかそう確信していた思い上がりは、現実を前にいとも簡単に砕け散った。
はじめの頃は、その絶望すら少し嬉しかった。
自分がはじめて目指した相手だ。こうでなくちゃ面白くない。「容易にはたどり着けない」という事実が、かえって心と身体を充実させた。
……しかし、練度を上げれば上げるほど、世界は残酷に、そして明確な境界線を突きつけてくる。
届かないのではない。そもそも、同じ地平にすら立っていないのではないか?
周囲の眼差しも、いつしか変質していた。
かつての彼女に向けられていた、羨望と嫉妬が入り混じった熱い視線は消え、今や「ああ、ここまでか」という冷ややかな諦めの視線が、刃のように突き刺さるようになった。
届かない壁を前にした時、人は己の無力さを否定するために、己ではなく他者へと視点を変える。
自分より劣った誰か、あるいは、圧倒的に優れた誰かへと。
己のプライドをかけ、誰彼構わず勝負を挑んでは敗北し、一つ、また一つと夢を諦め、人はそうして大人への階段を登る。
敗北こそが、人を「大人」へと作り変えるのだ。
……人はそうやって、現実逃避という名の自己正当化を積み上げ、どうにか正気を保つ生き物だ。
それは、天才と呼ばれた少女とて同じことである。
天才と呼ばれた少女もまた、己を誇示するために、自分より優れた誰かを「絶対的な天才」と称えることで、向き合うべき努力を放棄していた。相手を神格化してしまえば、負けることに「正当な理由」がつくからだ。
幼い頃に湧き上がった燃え上がるような闘争心は、敗北を重ねるごとに薄れ、代わりに言い訳ばかりが上手くなる。
だが、天才と呼ばれた少女は、勝てないまでも「模倣」と呼ぶには十分過ぎる精度を誇っていた。
常人が残酷な現実に打ちのめされる一方で、紛いなりにも結果を残す彼女を称える周囲の反応が、中途半端にプライドだけを歪に肥大化させた。
その結果、いつしか手段と結果が入れ替わってしまった。
憧れている人のお気に入りとの実力差を見せつければ、僕を認めてくれると……。
今にして思えば、なんて子供っぽい考えをしていたのだろうと自分に呆れる。
任務をともにする相棒と同じ武器を選ぶのも、再び任務をともにした時はわざわざ同じ技をなぞってみせるのも、ひどく子供っぽい。
こんなのまるで、母親に構ってもらうために声を枯らして嘘泣きをする子供の、浅ましい常套手段と変わらない。
今にして思えば、アカデミー時代に散々蔑んできた暴力でしか自尊心を満たすことができなかった彼らと、周囲を見下すことでしか優越感に浸ることができなかった自分といったい何が違うのだと思い知らされる。
―――――――――――――――――――――――
スイレンは長いようで短い自分の半生を振り返ると、静かに自分の最期を悟る。
足音が真っ直ぐとこちらへ向かってきたからだ。
スイレンは身体にキュッと力を入れ、震えを抑えるように小さく丸まった。
草むらを掻き分け、姿を現したのは――
「スイレンさん、ここにいたんですか? 逃げますよ」
息を切らし、満身創痍の身体を引きずるクラウンであった。
スイレンの表情に一瞬だけ安堵が浮かぶ。だが、ハイウェイに植えつけられた圧倒的な恐怖が、すぐさまスイレンの表情を曇らせた。
「無理だよ。その傷で逃げるなんて不可能だ。それに、例え万全だったとしても同じことだよ。相手は僕たちよりずっと強い。弱者が強者には勝てない。それは、生物が誕生してから一度も覆されたことがない摂理だ。僕たちはここで死ぬ」
身体が言う事を聞かない。
自信がそのまま原動力であった彼女は、人生初の敗北から未だに立ち直っていなかった。
しかし
「……。逃げますよ」
とうのむかしに限界を超えたクラウンは、スイレンのそんな心情にかまけているほど余裕はなかった。
「だから、逃げないって言ってるだろ」
「なら、なぜ隠れているんですか?」
「……」
「もし本当に勝てないと諦めて、生きるのを止めたのなら、なぜ死を選ばずに隠れていたんですか? ……それは、死にたくないからじゃないんですか?」
スイレンの子供じみた主張を、ハッキリとそして明確に突きつけるように言い放つ。
「……例えそうだとしても、死ぬという事実に変わりはない」
「そうですか。じゃあ、諦めたままでいてください」
「え? ちょっ、ちょっと!」
拒む間もなく、クラウンの両腕がスイレンの体を宙に浮かせた。いわゆる、お姫様抱っこだ。
未だかつてされたことがない女の子の憧れのシチュエーションに加え、強引なまでに男らしい態度と発言に微塵も反応しなかった鼓動がキュッと締め付け、その反動から来る爆音に紛れて謎の成分まで投薬されたかのように味わったことのない甘美ななにかが全身を駆け巡る。
「僕が道を切り開きます。死ぬ運命が変わらないというなら、僕にその命を預けても構いませんよね?」
「……っ! めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど、これ!」
「行きますよ!」
お読み頂き、ありがとうございます。
この作品を『おもしろかった』『続きが気になる』と思ってくださった方はブックマーク登録や↓の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』に評価して下さると執筆の励みになります。




