第29話:殺せば勝ち
屋敷の奥から、空気を震わせるような衝撃音が響いた。警笛が鳴り響き、兵たちの怒号が廊下を駆け抜ける。
(……スイレンさんが、失敗した!?)
「急がないと……!」
その確信に近い予感は、クラウンの心臓を強く締め付けた。
これは暗殺者にとって最悪のシナリオであった。暗殺は本来一撃必殺が望ましい。
おそらく、スイレンもそのはずであったのだろう。それゆえ、スイレンはクラウンが失敗した時にディアファンまで撃ち漏らすことを恐れ先行した。
しかし、実際は本来のターゲットたるディアファンの暗殺に失敗し、これで本ミッションを完遂する確率は、ほぼゼロにまで下がってしまった。
これにより、護衛たちが異変に気づき戻ってくる前にシナモンを暗殺することが必須となり、刻一刻と猶予が削られていく、過酷な状況であった。
だが、クラウンを急き立てたのは、単なる時間制限への焦りだけではない。
暗殺者として遥か高みにいるスイレンですら仕損じるような「何か」が、この屋敷内に潜んでいる。その事実が、嫌な予感となって背筋を駆け抜けた。
一瞬、彼女の援護に向かうべきかという逡巡が過るが――クラウンは即座に首を振った。
今は、メロンちゃんだ。
クラウンは決意を固めると、身を隠すのをやめ、騒乱の逆を突くように、教えてもらった最短ルートを独走し、手薄になったシナモンの調教部屋へと向かう。
「ハァハァ……。」
辿り着いた扉を蹴破ると、鼻を突く甘ったるい香りと鉄の匂いが混ざり合っていた。
「メロンちゃん!」
見覚えのある部屋だった。
薄暗く、陰湿な道具が立ち並ぶ異質な空間は、間違いなく未来視で見た、メロンの目の前でシナモンが女性を虐殺するあの光景と同じ場所であった。
クラウンは妙な悪寒を感じながら、周囲を見渡す。薄暗い部屋の真ん中で、スポットライトに照らされているかのように僅かに明るい照明の下でメロンがへたり込んでいた。
「メロンちゃん……?」
クラウンが急いでメロンに駆け寄ると、ピシャリと水たまりを踏み抜いた。
水たまりでも踏んだかのような音と感触に視線を向けると、そこには分厚い血溜まりが広がっていた。
その背後から、楽しげな拍手の音が響いた。
「素晴らしいよ、クラウン。まさか本当にここまで来るとはね」
部屋の奥から、赤い妖剣『血刀・血華』を杖のようについたシナモンが姿を現した。その足元には、先ほどまで教育に使用されていたであろう無惨な亡骸が、ゴミのように転がっている。
「シナモン……ッ!」
「あはは、そんなに怒らないでよ。この子はまだ『壊れて』ない。君への手土産に取っておいたんだ。……おや、外が騒がしいな?」
シナモンが耳を澄ますような仕草をして、口角をさらに吊り上げる。
「君のお仲間がしくじったのかな? もしかして、君が言っていたカッコいい女性ってそのお仲間だったりするのかな。だとしたら残念だね、今頃僕の父上に無様にひねり潰されている頃だよ」
「でも安心しなよ。ここに護衛は来ないから。ここは護衛も立ち寄らないように言いつけてるから。だーれも来ないよ。……だからさ、ゆっくり遊ぼうよ。ねえ?」
クラウンは、笑いながら問い続けるシナモンの顔を一生忘れることはないだろう。それと同時に、クラウンはこの光景を予期してなお防げなかった己の不甲斐なさを呪うのだろう。
クラウンは怒りのまま刀を抜き、シナモンへと向かうが――シナモンはたった一つの行動でクラウンを制した。
シナモンが笑いながら、手土産と称して生かしていたメロンの喉元に、赤い刃を突き立てたのだ。
「君は弱いな」
シナモンは呆れたように言い放つと、そのままクラウンの不意を突き、攻めに転じた。
「悲しいよ。おそらく純粋な力量なら、君は僕より上だ。でも、君では僕に勝てない。『切り捨てる強さ』も『己を壊す勇気』も、今の君には欠落しているからね。クラウン。もう一度僕につかないか? 君は強くなれる。僕と――」
「お断りします! 切り捨てる強さは、守る覚悟がない人間の強がりです! 僕はそんな強さはいりません!」
咆哮とともに、クラウンが刀を受け止める。 つばぜり合いになった刀身からはガチガチと耳障りな音が鳴り響き、互いの主張が決して交わらぬ平行線であることを物語っていた。
シナモンはそれ以上の議論を諦めたかのように、ふっと熱を失った瞳で静かに口を開く。
「そうか。残念だ。――じゃあ、ここで死になよ」
吐き出された言葉から完全に熱は抜け、あまりに軽い呟きが言い渡された。
その直後、鋭い斬撃がクラウンの肩口から腰辺りまでを切り裂いた。
痛いと感じるよりも先に、衝撃が全身を抜けた。
ドク、ドクと自分の拍動だけが耳元でうるさく響き、周囲の喧騒が遠のいていく。
クラウンもシナモンも理解していた。己の力量を。
間違いなくタイマンでやり合えば、クラウンが勝つと。
だが、クラウンの予読は、血刀・血華の理不尽なまでの「変質」にことごとく裏切られた。
斬りつけた相手の力量を模倣し、己の業へ昇華させる妙技に。
先ほどまでのシナモンの癖も、踏み込みの形も、今はもう存在しない。一振りの途中で、剣筋が別の生き物のように歪み、加速する。
他者から奪った無数の技の断片を、継ぎ目なく、デタラメに、かつ完璧な精度で叩き込んでくる。
剣筋を追えば、次の瞬間には別の誰かの型にすり替わっている。読めないのではない。「正解」が秒単位で書き換えられ続けているのだ。
クラウンは無意識に恐れていたのかもしれない。
彼のもつ未来視は、唐突に数時間後、あるいは数年先の未来を見通す能力に加え、現在から3秒先まで見透す力を持ち合わせていた。
本来なら、血刀・血華による変質すら、その3秒の隙間で捉えられるはずだった。
しかし、クラウンはメロンを救えなかった後悔を前に、未来視を使う事を恐れていたのだ。
「見えたところで、変えられないのではないか」。かつて視た「メロンを救えない未来」がノイズとなって視界を塗り潰し、彼の瞳に重い枷を嵌めていた。
途絶えゆく意識の中、断片的にかつ的確にピックアップされたワードが脳裏を叩く。
おそらく、走馬灯というやつであった。
『攻めなさい』 『未熟ゆえに備わっている勢いは、時として恐ろしいものです』 『初見殺しでいいのですよ。死者に再戦の機会などないのですから』
ヘインドルは知らない。クラウンが未来を視る力を持っていることなど。
だからこそ、その教えはあまりに純粋で、残酷なまでに今のクラウンを救い上げた。
未来がどうあれ、今この一瞬を殺し切れば、それが「正解」になるのだと。
「……相手の動きが読めないなら、それ以上に攻め勝てばいい。そうですよね? ヘインドルさん。だって――殺せば勝ちなんですから!!」
クラウンが顔を上げる。その瞳には、死に体とは思えない昏い熱を孕んだ鋭い光が宿っていた。
それは未来を予知するための光ではない。ただ、眼前の敵を滅ぼすためだけに特化した、剥き出しの殺意だ。
爆発的な踏み込み。クラウンは防御も予読もすべて捨てた。傷口から鮮血を撒き散らしながら、一歩、また一歩と、死の圏内へ強引に割り込んでいく。
「ハッハッ! やっぱ強いよクラウン……ッ!!」
シナモンが吠え、目まぐるしく技を切り替える。だが、どれほど技巧を尽くそうとも、命を燃やすクラウンの「勢い」が、そのすべてを力任せに弾き飛ばしていく。
「今の僕でも勝てないのか! その技が欲しいな!!」
技巧を弄する余裕さえ剥ぎ取られながら、シナモンは恍惚とした表情で笑う。迫りくる死を、最高の「才能」として蒐集しようとする異様な執着。王者の剣も、達人の突きも、今のクラウンにとってはただの風に過ぎない。
「これで、終わりだぁぁぁッ!!」
逃げ場を失ったシナモンの喉元へ、クラウンの渾身の逆袈裟が吸い込まれる。宿敵の命を断とうとした、その瞬間。
――キンッ、と。
鼓膜を震わせる、あまりに澄み渡る金属音が響き、クラウンの刃は吸い付くように止められていた。そこには、いつの間にかシナモンを庇うように立つ老剣士の姿があった。
「――素晴らしい。教えた通り、実に見事な『攻め』でしたよ。クラウン殿」
耳に馴染んだ、穏やかで冷徹な声。
絶望的な威圧感を纏ったヘインドルが、震えるクラウンの刃を慈しむような、あるいは値踏みするような眼差しで静かに見つめていた。
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