第28話:届かない背中
気に食わない。気に食わない。気に食わない。
なぜ、あの人は僕を見てくれない。
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……。
はじめは、単純に僕に興味がないからだと思っていた。
強者の立場にいる者が、弱者を気にかけないのは当たり前の理屈だからだ。
実際、アカデミー時代もそうだった。
知らない連中に勝手にライバル視され、敵意を向けられても、僕は欠片も興味が持てなかった。
下を見て蔑むほど、僕は暇じゃない。
自分より能力が劣った輩とつるんで満たされるのは、自尊心ではなく、ただの安い優越感だ。
だが、人間は勘違いができる生き物だ。
その優越感を自尊心だと履き違え、己を誇示するために彼らは下を探し続ける。
あー、くだらない。つまらない。吐き気がする。
嫉妬に満ちた憎悪の瞳も、実力もないのに夢を見る脳内お花畑の連中も、どいつもこいつも、底が浅くて反吐が出る!
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きっと、ミロットから見た僕も……彼らと同じだったのだろう。
でも、仕方ないじゃないか。
憧れてしまったものは、どうしようもない。
瞳を閉じれば、脳裏に焼き付いたあの妙技が蘇る。どこまでも洗練され、一切の無駄を削ぎ落とした、残酷なまでの美しさ。
生まれて初めて「届かない」と絶望した彼女のたった一つの技を皮切りに、僕はすべてを奪われた。
横顔も、佇まいも、口調ですらも……何もかもだ。
恋と勘違いするほど焦がれ、未だにその背を追わずにはいられない。
それなのに。
あの人は一度たりとも、僕に興味の片鱗すら向けようとしなかった。
それなのに――。
ある少年は、驚くほどあっさりと、あの人の瞳を奪い去った。
僕がどれだけ叫んでも、どれだけ追いかけても、決して重なることのなかったあの視線を。
あの少年は、いとも簡単に奪ったのだ。
理解ができなかった。
強者しか認めないというのなら、なぜ、あの少年を見つめる?
誰とでも向かい合うというのなら、なぜ、僕を見てくれない?
何が足りない。僕に、何が。
……。
わからない。
少年と共にいれば、その謎が解けると期待したが、結局何もわからないままだ。
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気配が変わった。先ほどまで場を満たしていた娼館の淫らな空気が、一瞬にして凍りつく。大物の登場に、空間そのものが圧し潰されたかのように息が詰まる。
ディアファンだ。
スイレンは直感的に理解した。
たった今、標的が到着したのだと。
「……ふぅ」
一つ。熱を帯びた吐息を吐き出す。
それを合図に、脳を焼いていた醜い嫉妬も、届かぬ人への焦がれも、すべてを心の奥底へ封じ込めた。
思考を殺し、ただ合理的に「仕事」を完遂する――一振りの冷徹な凶器へと、彼は変貌する。
ディアファンが娼館の廊下を歩む。
豪奢な絨毯が足音を吸い込み、淫らな香煙が視界を霞ませる中、スイレンは「死の影」となってその後を追った。
一人。 最後尾を歩いていた護衛の喉笛を、音もなく掻き切る。
崩れ落ちる体を受け止め、床に触れる音すらさせずに闇へ沈める。
二人。 角を曲がった瞬間に、眉間を貫く。
三人、四人。 ディアファンが自室の扉に手をかけるまでに、周囲の気配は完全に消え失せていた。
まるで最初から、この世に彼一人しかいなかったかのように。
スイレンの心臓は、驚くほど静かだった。
思考を殺し、感情を削ぎ、一振りの刃として研ぎ澄まされる。
ディアファンがこの娼館を設計する際、真っ先に、そして最も精緻に組み込んだ自室。その重厚な扉が、今、静かに開かれた。
主を迎え入れるための聖域。そこへ滑り込むディアファンの背中が、無防備に晒される。
(――仕留める)
スイレンが死の一撃を放とうと、その一歩を踏み出した、その刹那。
背後から、大気を引き裂く凶悪な刺突音が響いた。
「ッ!?」
振り返る暇すらない。 暗殺者としての本能が、スイレンの身体を強引に真横へと突き飛ばした。
直後。 彼が先ほどまでいた空間を、巨大な「槍」が閃光のごとき速度で通り抜けた。
ドォォォォォン!!
凄まじい風圧。ディアファンが心血を注いで設計したはずの重厚な扉が、まるで紙細工のように爆ぜ散り、粉砕される。
壁に叩きつけられそうになりながら、スイレンは紙一重で体勢を立て直す。舞い上がる粉塵の向こう側に、その影は立っていた。
「……あァ? 避けやがったか。ネズミにしちゃあ、良い勘してるじゃねえか」
不機嫌そうに槍を引き戻す、理不尽な暴力の化け物。
ハイウェイが、そこにいた。
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