第23: 八十点の天才
協力者が得た情報によれば、ディアファンは予定より大幅に遅れているという。
ならば、彼女――スイレンの今宵の役割は、建物の構造把握、そして奴隷売買や人攫いといった、この屋敷に渦巻く醜悪な噂の真偽を確かめることであった。
静謐な夜に、涼やかな風が鳴く。
今宵の得物を背負い、瞳を閉じながら肺の空気をすべて吐き出す。
その瞬間、身体は闇に溶け込み、気配を断つ。
仮面をつけたかのように感情を殺し、肉体もまた、一振りの凶器へと変貌していく。
準備が整い、静かに開眼したとき、密命の幕が上がる。
……かつての話をしよう。今では忘れ去られ、ふとした瞬間にそう言えば天才と呼ばれた少女がいたな。と誰かが思い出す、期待と噂がたった、かつての栄光の時代の話を。
その少女は名家の末っ子として生を受けた。
あらゆる才能を持ち、二度、三度やれば大抵のことは卒なくこなす。
しかし、彼女は知っていた――自分は天才ではないと。
彼女は難なく卒なくこなす一方で、才能の限界も近かった。
どれだけ研鑽を積んでも、『八十点』で彼女は限界を迎える。
常人が確実な足取りで一歩一歩上り詰め、けして超えることができない壁を努力という執念で超えるのに対し、彼女の目の前に現れた壁は以前同じ高さで少女を見下ろし続けた。
少女は知っていた。自分は才人ではあるが、天才ではないと。人には言えない分かりきった変えようのない残酷な現実。
そんな少女の心情に反して、周囲の声は無責任に響く。
「この子は天才だが飽きっぽいのがねぇ。何をやっても確実に結果を出せるのに」
賞賛を含んだその言葉は、彼女をさらに袋小路へと追い詰めた。
「違う」と、本当は叫びたかった。
飽きっぽいわけではない。ただ、「期待外れだ」と失望されるのが怖かっただけなのだ。
だから彼女は逃げ続けた。
一つの事に固執せず、『飽きた』と一言残し、限界が見えると同時にフェード・アウトした。
だが、そんなある日。
彼女が焦がれ、そして自分より先が存在しなかった空虚な世界に、天才は突如として現れたのだ。
少女は、未だかつてないほど一人の女性に魅せられた。
自分では一生到達することのない「絶対の領域」を前に、一瞬で理解させられた――勝てないと。
それゆえに、魅せられてしまった。 彼女のようになりたいと。
かつて天才の名を欲しいままにした才女は、憧れの人に近づくために、名も、名誉も、家柄も捨て、彼女が所属する革命軍にまで入隊し追いかけ続けた。
だが、その憧れはいつ日か陰りを見せた。
現実を知るとともに霧散していく憧れを前に、才人ははじめて自分自身にではなく他人に挫折させられた。
常人が当たり前のように経験する現実を、才女は生まれて初めて突きつけられたのだ。
……わかっていた。自分では到達できないと。それ故今まで逃げ続けてきたのだから。
でも、どこかで信じたかった。自分ならできるのだと。今まで目に見える目標がいなかったからできないのであって、目標が目の前にさえいればいつかは……。
自分の中にあった自尊心が崩れ始めた頃、ふと彼女の悪い癖が出た。
ある日から、普段から使い慣れた武器ではなく、任務をともにするパートナーと同じ武器を使うようになった。
自暴自棄だったのかもしれない。
仲間たちの反対を押し切り、戦場に出たが……彼女の天賦の才が彼女を生きながらえさせた。
そんな判然としない日々が過ぎ、気がつけば周囲の目線も変化した。 かつてと同じ、天才として羨望の視線を向けられた。
皮肉なことに、死に場所を求めた戦場が、彼女に再び「天才」の称号を与えたのだ。 それからは、早かった。 凡人達が彼女をみつめるように、彼女もまた、天才をどこか諦めたような視線を向けるようになった。
そして。 かつて天才の名を欲しいままにした少女が、魅せられ、憧れたミロットから全てを盗むために。
名も、名誉も、家柄も捨ててまで得た技を――いまだ本物の模倣に過ぎないその未完成さに、消えない苛立ちを覚えながらも――血の滲むような執念で使いこなし、彼女は今、娼館へと潜入する。
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