第15 悩む者たち
クラウンは和の趣を湛えた茶屋に居た。
素朴でありながら、どの文化にも勝る美しさ、そして品と秩序を兼ね備えた、世界で最も気高い文化。
それは、まるでこの国の人々を象徴するかのようであり、他民族には理解しがたい緻密さがそこにはあった。
スイレンに習い茶をいただくと、クラウンに流れる血が共鳴するかのように安らぎを感じる。スイレンが言うには、各所に革命軍ご用達の店がいくつか存在するのだとか。そして、クラウンたちがいるここもまた、その一つであった。
「これで、作戦の第一段階は終了だね」
スイレンの声は丸みを帯びていた。街を徘徊している時と比べ、クラウンと同じく彼女もゆったりとリラックスしているのだろう。個室ということもあり、あまり気を遣わずに済むのもこの店の利点であった。
「そうなんですか?今のところ、武器屋に行って武器を買っただけですよね?」
「何?僕に素手で戦えって言うの?」
「そうは言いませんけど、本来の作戦とはかなり違うので……」
クラウンは言葉に詰まった。言葉の端々で返しづらいパスに、イマイチ言い返せずにいたからだ。
しかし――
「そういえばそうだね。それで、今回の作戦は何だったの?」
スイレンはクラウンへ視線を向け、珍しくこちら側の話題に乗ってきた。
だが、視線を向けられたというのに、目は合わない。頬杖をつき、身体を斜に構え、クラウンにではなく、内容にだけ耳を傾けていた。
しかし、この機を逃すまいとクラウンは急速に頭を回し、言葉を紡ぐ。
「作戦では、ターゲットが治める西方都市カサーオと皇都の中間地点であるハーマから、ナンバーズの護衛がつくと情報があったので、それ以前に叩く段取りになっていました。」
「へぇ~。大都市の貴族だからってナンバーズが動くなんて、随分と好待遇だね」
「元商人ってこともあってか、金回りはいいらしいです」
「商人は物じゃなく、顔を売れ、の典型だね。でも、その作戦はもう使えないね。どうせもう護衛についちゃってるでしょ?」
「そうだね!誰かさんが作戦通りに動かないからね」
襖が開くと同時に、聞き覚えのある声がした。本来の作戦行動から外れた動きをするクラウンたちを追ってきたのだろう。
「ミロットさん!どうしてこんなところに!?」
クラウンの驚いた声色に反応し、「そうだよ、ミロットお姉さんだ!」とでも言うように手を振った。
服の上からでもわかる彼女の研ぎ澄まされた肉体美に、気ままな振る舞い、そして襖を開けるまで気配すら察することができなかった隠密術は、まるで猫を彷彿とさせる。それと、やはりどことなく似ているような気が……。
「……作戦なんて、計画通りに動かないことばかりでしょ?第二、第三の策は用意しておくべきじゃない?」
スイレンの声色は、クラウンと対した時に比べ鋭さが影を潜めていた。片肘をつき、鷹揚と振る舞っているにも関わらず鋭さを感じさせないのは、彼女自身が認めているからだろうか?ミロットと自分とではどちらが上なのかを。
「痛いところを突くね。でも、仲間のワガママで瓦解する策は考えてなかったから仕方ないね」
スイレンとは対照的に、ミロットには余裕を感じた。気ままに、ゆらりと、風のように相手の言葉を躱し、逆に相手を追い詰める皮肉をチクリと刺す。
そんな女の応酬に、クラウンは空気と化し、舌戦に敗北したスイレンはプイッとミロットから視線を外し、拗ねたように話題を切り替えた。
「それで、なんでミロットが動いたわけ?僕が信用できないわけ?それとも、お気に入りが心配だったとか?」
「どっちもかな」
何とも返しづらい返答に、ミロットは逡巡することなく笑顔で返した。
「はぁ!?それってどういうことさ!」
勢いよくテーブルに手をついて身を乗り出すスイレンに、
「作戦会議には参加しない。作戦も守れない。そんなやつ、信用できないでしょ?」
ミロットは淡々と、そして一部の隙もなく突きつける。
「……。」
しばしの間、スイレンはミロットを射抜くように睨み続けた。しかし、ぐうの音も出なかったのか、睨み合いに負けた野良犬のように、スイレンは喉の奥で一度小さく息を呑むと、急速に視線から熱を失った。
スイレンは無言のまま、敗北を悟ったかのようにゆっくりと身体を起こし、静かに立ち上がる。そして、微かな足音一つ立てずに、戸口に立つミロットの横を通り過ぎる直前――
「仕事、こなせばいいんでしょ?」
スイレンは立ち止まりミロットを見て、ぶっきらぼうに言葉を付け加えた。
「そうだね」
ミロットは、スイレンが真横を通過し、立ち止まって言葉を交わす間も、口元に浮かべた笑みを一切崩さなかった。スイレンは、そのまま音もなく部屋を去っていった。
「ん?少年元気ないようだけど、どうかしたのかな?」
スイレンが立ち去ったあとミロットは不意にクラウンへと視線を向けると、密かに思い悩んでいたクラウンの心根を察し静かに問いかけた。
「いえ、スイレンさんのことせっかく助言を頂いたのに全然信用されていなくて。それどころかこの国のことも全然知らなくて、むしろ教わっている状態で。僕とそう年も変わらないスイレンさんも僕よりずっと大人で、スイレンがああいう態度をとるのは、僕が信用されていないからなんでしょうし。」
「……。一朝一夕にどうにかならないさ。」
「それはそうなんですけど……。」
「……。少年。頼ったり、弱みを見せるのは悪いことじゃないよ。少年が弱みを見せた分、私も、みんなも少年に頼れる。言っただろ?仲間を頼っていいって。今はお姉さんが少年の話を聞く番だ。だから、ほら!ほら!言ってみ!」
明るく、何よりミロットの声は丸みを帯びていた。
その優しさが余計にクラウンを傷つけた。
「……わからなくなってしまったんです。スイレンさんに「子供が知らなくていいこと」だと言われたあの瞬間。僕たちは、何のために戦っているのだろうって。どれだけ大義名分を掲げても、この国で平和に暮らしている人間からすれば革命も戦争も大差ないんじゃないかって。僕達が起こす戦争で、どれだけ犠牲を出して、誰を殺せばこの国は変わるんですか?」
現実は残酷であった。
世界など何も知らなかった自分が思い描いていた光景と、現在地はあまりにかけ離れていた。
あの頃のクラウンには、自信があった。
武術だけではない若さ故の根拠のない自信に満ち溢れていた。世界とは単純であり、皇都にさえ行けば一兵卒だろうが何だろうが目標に向かって一歩一歩上り詰め、いつ日かナンバーズに至るのだと。
夢見がちでありながら持ち前の謙虚さを胸に、まるで約束された未来に向かって踏み出した一歩があった。
しかし現実はナンバーズどころか憧れた組織とは対極の組織に属し、世界を知れば知るほど無知と力不足が嫌と言うほど突きつける。
挙げ句、ミロットに忠告された言葉すらロクに守れていない現状であった。
そんな自分が、いったい何ができるのだろう。
クラウンは、敵対する相手すら見据えられない現実に自分がどこに進むのかさえ見失っていた。
「誰ってことはないさ。私達革命軍が斬るのは失われた時代そのもの。いわば、時代との喧嘩さ。でも、強いて言うのならこの国を牛耳っている5人の元老達を倒せば、この国は確実に変わる。私らアッシュ・ドッグズがやることはただ一つ。蛇の頭を最速最善手で切り落とし、最低限の犠牲でこの国を変えること。私らが手を汚せば汚すほど、早く、そして確実に民間人の被害は抑えられる。」




