第二章「データの海と仮面の都」1. データの海を渡る
崩壊した都市の記憶が漂う”データの海”。リリアはそこで、自分の存在さえ曖昧になる感覚を味わう。
リリア・ヴァレンティヌス(17) – 失われた”美”を探す少女。記録能力を持つ義眼を持つ。
エグゼ(年齢不詳) – 電脳建築士AI。皮肉屋だが記憶を失っている。
全17話
「……本当に、ここを渡るの?」
リリアは目の前の光景に圧倒されていた。
彼女とエグゼの立つ岸辺の先には、果てしなく広がる《虚無の湾》——通称、“データの海”が横たわっていた。そこは、崩壊した都市の断片、失われた記憶の残滓が流れ着く場所。
水面は存在しない。波の代わりに、色彩を失ったデータの粒子が漂い、渦を巻きながら漂流している。時折、歪んだビル群の残像が立ち現れては霧のように溶け、聞き取れない人々の声が断片的に響く。
——忘れ去られた世界の墓場。
「ここに長くいると、自分が誰だったかさえわからなくなる」
エグゼの低い声が響いた。
リリアは足元の水面を覗き込む。
そこに映るのは——自分のはずの顔だった。
けれど、輪郭が曖昧に滲み、目元がぼやけ、ノイズの波紋が広がっている。自分の顔なのに、自分ではない何かのように感じた。
「……私、本当に“私”なの?」
言葉にした瞬間、胸が締め付けられる。
「自己とは、境界が曖昧なものさ」
エグゼは静かに言った。
「それは記憶の集合でできているが、記憶とは曖昧なものだ。ましてやこの場所ではな」
リリアは息を呑む。
——ここにいたら、私は私でいられなくなる。
「行くぞ」
エグゼが、データを束ねた舟へと乗り込む。
リリアは躊躇いながらも、その手を取った。舟は静かに滑り出し、虚無の海を渡り始める。
行く先には——霧の向こうに“仮面の都”が待っていた。
形を失った記憶の海で、リリアは”自分”すら曖昧になる感覚を味わいました。あなたなら、この世界で何を感じるでしょうか?