最高の遺産
2006年 日本議長国 東京 獄界町
獄界町は娯楽の街だ。
多数ある繁華街には多数のゲームセンターやパチンコ店、レストランやバー、風俗店が並ぶ。
人々の喧騒が24時間絶えず続くこの街はしかし裏の勢力によってひそかに支配されている。つまり獄界町はヤクザの街だ。
大半の繁華街が東京、そして日本で最も大規模なヤクザ組織である「善輪会」系のヤクザによって支配される。その繁華街の全ての店は組織にみかじめ料を払い、ヤクザ側は店のケツ持ちとなるのだ。
そんなわけで善輪会三次団体の米田組若頭山城の乗る車がバー「恋華」の駐車場に入るとバーの警備員が一礼して出迎え、また中では従業員が忙しくVIPルームのしたくを始めるのだった。
山城は63歳という年齢に似合わず若々しい顔立ちをしていた。皺ひとつない肌、綺麗に整えられた黒髪ロングヘア、三角に刈り込まれたダンディな口ひげ。このおかげで彼は繁華街の風俗店の嬢たちの噂のたねとなっていた。(最も本人は冷めたもので、風俗店にはほとんど訪れない。嬢たちのケアも部屋住みや傘下の半グレに任せている。)
彼は葉巻を口から離すと隣の舎弟に声を掛ける。「すまねえな。親父からそろそろ休めと言われたんでな。久しぶりにここに来てみたよ。警備はここの連中がやってくれる。」「は!お気をつけて!」と言う舎弟の声と共に運転手が山城の座席側のドアを開け、山城はゆっくりと降りた。
「ありがとさん。」「は!カシラ、いつお迎えに上がりましょうか?」と運転手。「今から飲むと・・・10時くらいになっちまうな・・・お前の舎弟の夜更かし野郎に越させろ。お前は寝ていい。」
山城は指示を終えると走り出てきたバーの店長の肩を叩く。「お久しぶりです、山城様。」「おお、九条か!いつのまにおめえは店長になったんだよう!」「ハハハ・・・引退した前任者の次に年老いているのが私ですからな。」「フハハハハ・・・」山城は豪快に笑う。
談笑しながら二人がバーの玄関に向かったときだ。いきなり建物の側面から青龍刀を掲げた覆面集団が現れる。「ひえっ!」と腰を抜かす九条の横で山城は「くそ!」と舌打ちをした。
集団は一斉に山城に切りかかる。「ここ・・・は・・・わ、わたしの店だ・・・」よろよろと立ち上がった九条がそう言って一人の構成員の前に飛び出したが「ウルサイ!」とそいつは叫んで何と九条の顔に青龍刀を走らせる。「うっ!」と九条が顔を覆って蹲る。
その隣にどさっと山城の巨体が倒れた。体中切られて大量出血だ。もう死んでいる。
覆面の連中はいつのまにか喧噪の中に消えていた。
翌日 東京 中心通り
「山城の・・・兄貴・・・」米田組若頭補佐星山は警察の遺体安置所にて傷だらけの兄貴分の遺体を見て号泣した。
「・・・青龍刀を持った奴らに襲われたとバーの店主は言っているぜ。中華系の半グレ組織だと俺らは見ている。」とマル暴の刑事富山が言う。「中国系?」「ああ。今米田に事情聴取してるが中国系の奴らとの間には不戦協定を結んだらしいな。」「ああ、その筈だ。俺らは八天黄会の連中にヤクの不買、互いのシマへの出入り禁止を約束させた。奴らは中華街から出てこない筈だ。」「だよなあ・・・ともかく、山城のことはお悔やみを申し上げよう。俺の本望じゃないが上司はあんたの取り調べをさっさと開始しろと言ってくる。すまんが数分後に呼びに来る。それまではお別れを述べてくれ」そう言って富山は退室した。
星山はもう一度山城の顔を見た。そして泣いた。「兄貴・・・カシラ・・・!あんたには畳の上で死んでほしかった!それに俺はまだあんたから学ぶことが沢山あるんですよ、山城の兄貴!なのに・・・なのにどうして行っちまったんですか!」星山は崩れ落ち、壁に背中を持たせかけた。
山城は星山の恩人と言ってもいい兄貴分だ。社会のごみ溜めのように感じて個性を殺しながら自暴自棄に暴力をふるっていた星山の中に山城は光を見た。
あのゴミだらけの地下格闘技場で山城に声を掛けられたときのことを今でも星山は覚えている。いつも通りサディスト野郎の肋骨を破壊し終わったときだ。見物席の上段に座っていた高級スーツのヤクザが格闘技場の運営の暴走族長に声を掛けていた。「あいつはお前らの仲間か?」「いいえ山城さん、あいつは借金を返すために俺らのところに来たんすよ。俺の高校時代の同級生で闇金やってる奴がいるんですけど、そいつの紹介っすね。」「借金を抱えてるのか?」「詳しくは知らないっすよ。だけどその闇金の話によると相当なクズみたいですぜ。堅気の借金は全部踏み倒したとか。で俺らは勝者に金を配ってるでしょ?奴はそれで借金返済をするってわけっすよ。クズだけど力だけはありますぜあいつ。順調に稼いでます。」それを聞いた山城はじろりと星山を見た。星山は少しイライラして山城に言ったものだ。「なんだよおっさん!言いたいことがあるならはっきり言ってくれよ!」「おいてめえ・・・」慌てて総長が拳を振り上げるが山城はそれを止めた。「おめえいい目してるじゃねえか。よかったらうちに来ねえか。借金については俺があんたの債権者とナシつけてやるからよお。」そうして星山は原山太闘会米田派即ち今の米田組の前身に加入したのだ。
二日後 獄界町
「よし、ここだ。すまねえがお前たちは車の中から店の入り口を見張ってくれ。」と舎弟3名に命じると星山は一番弟子の富樫と共に車を降りた。
暖簾をくぐると店主の笹山の声が響く。「いらっしゃい!ああ、あんたらか・・・」笹山は満面の笑みを浮かべた老人で、この店の店長兼料理人であった。
星山がいつものカウンター席に富樫と並んで腰かけると笹山が近づいてくる。「山城のことは残念だったな。俺も奴とは兄弟の契りを結んだんだ。奴は良い舎弟だったが・・・あんなかたちで亡くなるなんてよお・・・」「俺も残念です、笹山さん。」と言って星山は涙をこぼす。富樫が黙ってティッシュを渡した。そのティッシュで鼻をかんだ星山は少し身を乗り出して笹山に問う。「山城のカシラを襲った連中について情報有りますか?」
実はこの笹山という男、元原山太闘会の構成員で現在は堅気のふりをして酒屋経営をして裏では情報屋として活動している。
彼は「情報を敷紙に書いて渡す。」と小声で言うと「注文はどうするね?」と少し大きめな声で尋ねる。
星山は「えび天セットを。酒は焼酎で。富樫はどうする?」と尋ねた。富樫は「俺は焼酎と旬の根菜てんぷらを下さい。」と頼んだ。笹山は「はいよ!」と答えて天ぷらを作り始めた。
3時間後
星山は組長室をノックして名乗った。「おお、ご苦労。入ってくれ。」と組長米田の声がした。
星山が入室すると早速米田は尋ねた。「山城をやったクズどもの情報は?」「まあ大体親父の見立て通りです。奴らの正体は清獅子ブラザーズという中国系の半グレ組織です。」「やはり中国系か・・・八天黄会の奴らは信用できねえと思っていたんだよ。だがよお、こんな形で俺らに攻撃を仕掛けてくるとはなあ・・・」米田は悔しさで歯噛みした。
「どうしやしょう?八天黄会との和平協定を破棄しますか?」「いや、今破棄はまずい。天城会の連中が八天黄会に接近してやがる。天城会との戦争だけは避けなきゃならねえ。」「・・へい。」と悔しそうに星山。「まあそう落胆するな。中国マフィアの連中に俺ら任侠を舐めるなと伝える必要はある。だから中華街には侵攻しねえ。だがよお・・・」そう言って米田は身を乗り出した。その顔には狂気を秘めた笑みを浮かべる。「清獅子ブラザーズには攻撃する。八天黄会は清獅子ブラザーズとは無関係だと主張するはずだ。だから俺らが清獅子ブラザーズに攻撃しても奴らとの協定違反にはならねえ。」
こうして米田組は中国マフィア「八天黄会」下部組織「清獅子ブラザーズ」への攻撃開始を決定したのだ。
四日後 清柳街
清獅子ブラザーズは獄界町に接する清柳街を拠点とするという情報があった。
そのため星山は富樫、胡桃の二人と共に清柳街の友好団体岸田組を訪れていた。
岸田組は米田組と同じく善輪会三次団体であり、超武闘派として知られる。彼らは米田組の依頼で清獅子ブラザーズ壊滅部隊を編成。そこに米田組から星山と二人の舎弟が加わる。
「今日はよろしくたのんます。」と星山が挨拶したのは壊滅部隊のリーダーとして任命された組長付きの武闘派斎藤だ。斎藤はがっしりとした腕で握りつぶさんばかりに星山と握手した。「お会いするのは始めてだがあんたの噂は俺らの街にも届いていますぜ。米田組の精鋭としてね。」「こちらこそ斎藤さんの噂は聞いてます。川田組長を襲った半グレの弾を腹で受け止めた上半グレ連中をチャカで瞬殺したとか。」「ハハハハ、あんただって米田組長が同じ目にあったらそうするでしょう。」「まあ、確かにそうですが・・・」「ハハハ、極道として当たり前のことをしたまでです。さあ・・・そろそろいきやしょう。」
30分後
清柳街の一角にある年季の入ったテナントビルの一階にある闇カジノ「獅子処」は休業日であり、扉にはがっちりと鍵がかけられているうえ、そこには黒い厚手のカーテンがかけられている。
だが中は騒々しい。「おいてめえ、いかさまなんぞここじゃあ通じねえぞ。」と怒鳴って一人の半グレらしき風情の男が床にうずくまる無精ひげの男を蹴りつける。「ふざけんなよ!」「清獅子ブラザーズを舐めたようだな!」と次々と怒声が飛び交い、男を複数の足が踏みつける。
「許してくれ・・・金は二倍にして返すから・・・」と男は口から血と歯の破片を吐き出しながら言う。だが半グレ達は男の言葉に耳を貸さない。「くそやろう!」と言ってまた蹴りが入れられる。
その奥には別のチンピラ風情の男が椅子に縛り上げられていた。その男の目の前に凶悪な薄笑いを浮かべた半グレがいた。奴は果物ナイフをチンピラに近づけたり遠ざけたりしながら言う。「あんたと組んだお仲間はあの通りだぜ。」「ううう・・・」チンピラは猿轡をかまされた口で必死に助けを乞うが半グレはそれを笑い飛ばした。「お前はよお!おもしれえ奴だな。ギャンブラーのクズを丸め込んで俺ら相手にいかさまを仕掛けるとはよお!大した度胸だぜ!」
その時、入り口からガシャンという大きな音がした。そして怒号。「俺ら米田組の若頭をやっといてただで済むと思うんじゃねえぞ!チンピラ風情が!」
星山は斎藤と共に乗り込むと「何だ!」と駆けつけてきた清獅子ブラザーズ構成員の腹に拳を突っ込んだ。「てめえらは・・!」と驚きながら呆然と突っ立っている半グレの頭をつかんだ星山はそいつの頭をコンクリート製の壁に叩きつけて近くの椅子に座っていた半グレに飛び掛かる。
斎藤は奥に進み、腰から清獅子ブラザーズの構成員を見かけると次々とナイフをその首筋に突き立てていく。
「くそ・・・俺だけでも逃げねえと・・・」椅子に縛られていたチンピラを脅していた半グレはナイフを片手に持つと「道を開けやがれ!」と傲慢に叫びながら裏口に向かう。
しかし裏口では血しぶきを上げる半グレ達の断末魔と銃声が響き渡る。「てめえらはここから出て行くことは出来ねえ!」と言って富樫と胡桃が返り血を浴びながら現れた。
「くそ!」ナイフを持った半グレは慌てて逆方向に走る。だがその目に飛び込んだのは自分の腹に突っ込んでくる星山の姿だった。「てめえがボスだな。じっくり俺らのところで話、聞かせてもらうぜ。」
数分後、壁に掛けてあった青龍刀を持って極道達に挑む清獅子ブラザーズであったが富樫・胡桃と岸田組の部屋住み達は全員銃を使っていて多勢に無勢であった。
半グレ達が一方的に虐殺される様子を見ながら星山は斎藤に礼を述べた。「助かりましたぜ。」「ああ、俺も丁度腕がなまっていたんでな。こちらこそ助かりましたよ。」
その彼らの後ろでは猿轡をかまされた清獅子ブラザーズのリーダーが転がっていた。そしてその隣に解放されてぶるぶる震えているチンピラと助け起こされた無精ひげのギャンブラー。彼らは「助かりました・・・助かりましたよ・・・」と壊れた機械のように繰り返し呟いているのだった。
翌日 獄界町
「よく眠れたか?」星山はそう言いながら富樫と共に裏庭にある小さな倉庫に入った。
倉庫の中には昨日から椅子に縛りつけられている清獅子ブラザーズのリーダーがいた。椅子の下には臭気を放つ水たまり。
「ああ!この野郎漏らしやがったな!」富樫が清獅子ブラザーズのリーダーを蹴りつける。「うっ!」とうめく奴の顔は具合が悪そうだ。
「肉切り包丁用意しとけよ。」と富樫に命じた星山は荒々しく猿轡をはがすと清獅子ブラザーズのリーダーの顎をつかんで自分の顔を突き付けて言う。「山城のカシラをやったのはてめえだろ!?」清獅子ブラザーズのリーダーは泣きながら首を振った。「俺じゃない・・・俺じゃないよ・・・」「ふん、情けねえな。本当に半グレの頭目かてめえは?」「確かに・・・俺のところの血の気の多い連中は青龍刀を取ってあんたらの幹部を襲いに行ったよ。で、でも・・・俺はそうとは知らなかった。奴らがまた強盗にでも行くと思って・・・」「おいおい、岸田組のシマで奴らが強盗しようってのにお前は止めなかったのか?ああん?」と星山が詰め寄ると清獅子ブラザーズのリーダーの体はさらに震える。「ち、違う・・・とにかくだよ、あんたんところの幹部を襲ったのは八天黄会の連中の指示だよ。俺は関与してねえ。」「なるほど、分かった。ありがとよ。お前は釈放だ。」それを聞いて少しほっとした顔を浮かべる清獅子ブラザーズのリーダー。しかし次の富樫と星山の会話で凍り付くことになる。「星山の兄貴、親父が八天黄会とは協定を結んでいるっつってましたよ。どうしやしょう?」「ううん・・・奴らに米田組に手出しをさせねえと約束させる必要があるよなあ?」「ええ、そうっすね。」「富樫、いい案はねえかな?」「そうっすねえ・・・そうだ、こいつを返して奴らにもう俺らに手出ししねえことを約束させるのはどうっすかね?」「そ、それだけはやめて下せえ・・・」清獅子ブラザーズのリーダーは情けなく泣きつく。「うん?どうしてだよ。俺らはてめえを見逃してやろうってんだよ。」「八天黄会の情報をばらしたとなれば俺は奴らに切り刻まれちまう。」「そうか・・・富樫、おめえの案はあまりよくねえな。こいつが切り刻まれちまうってよ。」「すんません・・・では奴らの代わりに俺らがこいつを成敗した方が優しいっすよね。」そう言って富樫は肉切り包丁を取り出す。「そうだな。」星山はその包丁を受け取ると縛られて動かせない獅子ブラザーズボスの手首に当てて動かしていく。絶叫が倉庫に響き渡った。
三日後
「親父、ただいま参りました。」星山は米田に呼び出されて組長室を訪問した。
「先日はご苦労だったな。山城も天国で喜んでいるだろうな。」米田はそのように星山をねぎらうと話を切り出した。「山城はお前の兄貴だよな?」「ええ。そうです。俺に極道のイロハを教えてくれたのは山城の兄貴でした。」そう言う星山の目にはうっすらと涙が浮かぶ。「そんな山城だが一番弟子であるお前に最高の遺産を残してくれたぞ。」「遺産?」「ああ、そうだ。」そう言って米田はしっかりと星山の目を見て言う。
「奴がてめえに残した最高の遺産はなあ、若頭の地位だよ。」「!!」星山は絶句した。「星山泰全、明日付けでお前を善輪会直系原山太闘会米田組若頭に任命する。明日執り行う任命式の準備をしとけよ。」