第六部
宇宙人の苦悩
暑さ寒さも彼岸までということわざがあるらしい。
4月に入ってから、陽気も良くなり気分も上々。
朝為すべきことも終わり外出してもいい頃合いである。
宇宙人である私にとっては真夜中でも活動が可能ではあるが、周囲の人たちから不自然に思われないよう、人間の習慣に合わせるようにしている。
時と場合によっては身体を家中に置いて、電気コードや電線を伝うことによって外の様子を見に行くことも出来るのだが、朝日四郎の生の姿を近隣の住民に見せる必要もあるし、顔なじみの人との会話も大切な日課である。
通りすがりの人たちと言葉を交わしながら最寄りの公園に向かう。
そこは本物の朝日四郎と出会った場所でもある。
まだ朝も早いせいか利用する人はいなかった。
と思いきや、ブランコの向こう側にある砂場に子供が一人で屈んで遊んでいる様子が目に入った。
近くにランドセルが置いてある。
丁度今の時間帯は学校の授業が始まっているはずと思いながら空いているベンチに腰かけた。
雲一つない天気で清々しい気持ちではあったが、どうも小学生らしき子の様子が気になる。
誰か話しかける人間はいないかと入口の方を見ると、丁度親子連れが2組入ってくるのが見えた。
幼児を遊ばせに来た顔見知りの母親どうしのようだ。
パンダやゾウのスイング遊具の側にあるベンチに座り、我が子を見守りながら二人は笑顔で喋っている。時折砂場の方にも目を向けているようだが、一人遊びしている子供には関心はなさそうである。
その後、何人かの男女も公園内に休息に来たが、スマホを見たり、買ってきたものを飲み食いするのが目的のようで、他の人のことなど気にしていないようだ。
その間もその子は砂遊びに夢中のようで、腰を上げようとしない。
私は「やれやれ」とささやきながら、ベンチから立ち上がり砂場の方に歩きはじめた。
子供の側に寄り、見下ろすと何やら小声で呟きながら建物のようなものを作っているのが目に入った。
とりあえず声を掛けてみる。
「やあ、何を作っているんだい?」
その子は振り向き私の顔を見上げた。
だが、いきなりの問いかけで不審に思っているためか答えようとしない。
見たところ小学生低学年くらいの年回りのようだ。
今度は笑顔を浮かべながら少し褒めるそぶりで問いかけた。
「ほう、なかなかよく出来ているね。建物かい?」
すると、気をよくしたのかその子から答えが返ってきた。
「ディズニーランドのパレードだよ」
よく見てみると大きな車のような気もする。
「それじゃあ、パレード用の観覧車かな。おじさん見たことがあるよ」
「ディズニーランドに行ったことあるんだ。うらやましいな。どうだった?」
「ああ、楽しかったよ。坊やは行ったことないのかい」
「うん。行ってみたいな」
「まだこれから誰かが連れて行ってくれるよ。お父さん、お母さんかもしれないな」
その子は首を振って俯いてしまった。
「ところで学校には行かなくていいのかい」
答えはなかった。
なにやら訳がありそうである。
「行きたくないのかい」
今度は頷いて認めた。
ではいつまでここにいるのだろうか。
「まあ、嫌なら仕方がないだろうが、家には帰らないのかい。それとも帰るのも嫌なのかい」
「ううん、帰っても誰もいないから。お母さん仕事に行ってる」
「坊やは一人っ子かい。それと、お父さんは」
少し間をおいて、渋々といった様子で答える。
「僕一人。お母さんと二人だけ」
どうやら母子家庭のようで事情があるのかもしれない。
「お母さんは何時頃家に帰ってくるのかい」
「夕方ごろ」
「それまでここにいるのかい」
「わかんない。どうしようかな」
家に帰っても中にはいれないのかもしれない。
私は溜息を吐いた。
どうも我関せずで、この場を離れるわけにはゆくまい。
周りを見回してもこの子の面倒を見てくれそうな人はいそうになかった。
仕方がない、私が付き合うしかなさそうだ。
けれどもいつまでもここにいるわけにはいかない。
その子に向かって言った。
「どうだろう。おじさんの家にこないかい。いいものを見せてあげるよ」
その子は怪訝な表情を浮かべて見上げた。
「ハハハ、おじさんがディズニーランドに行った時の写真だよ。ビデオもあるんだ。それと決して怪しい者ではないよ。このあたりでは私のことを知っている人も多いから」
以前に孫娘と行った時の写真があったことを思い出した。
「それなら行こうかな」
その子は興味を持ったようで立ち上がった。
「ところでおじちゃんは朝日というんだが、君の名前を教えてくれるかい」
「僕はあつしと言うんだ。玉川あつし」
「じゃあ、これからあつし君と呼ぶことにするよ。あつし君、一緒に行こう」
設置トイレで手を洗わせた後、公園の出入口の方向に歩いて行くと、あつし君もランドセルを手に持ってついてきた。
ところが途中にあるベンチで顔見知りの女性が座っているのに気が付いた。
彼女は俯いてスマホを覗き込んでいた。
そのまま通り過ぎるのも失礼と思い、挨拶することにした。
「こんにちは」
相手も私を認めたか、やや顔を上げて小声で挨拶を返した。
そのまま通り過ぎようと思ったが、私は彼女が隠そうとしている横顔に痣があるのに気が付いた。
私の目は奥まった細部も見分けることが出来るのである。
かなり重い傷のように思えて声を掛けてしまった。
「どうしました。顔が腫れているようですが」
その問いかけに彼女はびっくりしたようで、顔を上げて言った。
「いえ、なんでもないんです。大丈夫です」
今度ははっきりと瞼の下が黒く変色しているのが目に入った。
恐らく誰かに殴られたのであろうか。
彼女の旦那さんも見かけたことがあり、もしかしたら夫婦喧嘩かもしれない。
ただ、どうやらその経緯には触れないほうがよいと思われ、とりあえず傷を癒すことを勧めた。
「いや、そのまま放っておくとよくないでしょう」
「ええ、でも・・」
どうやら家に帰れない事情がありそうだが知らぬが仏。
とはいっても見過ごすわけにはいかないだろう。
袖振り合うも多生の縁かもしれないと言い聞かせ、誘うことにした。
「私、自宅に帰ってこの子にディズニーの写真を見せようと思っているんですが、一緒に来ませんか。確か救急箱に消毒剤等あったはずです。それに冷やしたほうがいいでしょう」
「ご迷惑じゃ・・」
「いえいえちっとも。一人住まいなのでご遠慮なく」
彼女は躊躇ってはいたが結局腰を上げ、私たちと共に歩み始めた。
本人も顔をしかめており、痛みもあるのだろう。
今日はお節介を焼く日となりそうである。
いやこういうのをお人好しというのかもしれないと思いながら公園を出て、住宅街を進む。
だが、想定外の出来事はこれだけでは終わらなかった。
三人で人通りの少ない街路を歩いていると、前方から女性が駆け足で近づいてくるのが目に入った。
まだ二十歳前後と思われ何かに怯えて引きつった表情をしている。
彼女は私たちに向かって声を発した。
「お願いです。助けてください」
そして、即座に私たちの後ろに回り込む。
前方を見るとこれも若い男性がこちらを見ているのが目に入った。
「どうしましたか」
私が問いかけると彼女は言った。
「追われています。私の後をついてくるんです」
「不審者ですか。それなら警察に通報したほうが」
彼女は言いにくそうに答えた。
「元カレなんです。私はもうお付き合いしないと断ったんですが、彼には伝わらなくって」
とすると、まだ彼女に未練があるということか。
彼は今話題になっている交際拒絶を認めず、つきまとうストーカー男性ということのようだ。
後をつけてきた男性はUターンしてとりあえず彼女との接触を諦めたようだ。
けれども、彼女が一人になるとまた近寄って来るに違いなかった。
「警察には相談したのですか」
「まだなんですが、そんなことしたら余計に彼を怒らせて酷い目に遭うんじゃないかと二の足を踏んでしまって」
最近最悪のケースではストーカー行為がエスカレートして相手女性が殺害される事件が発生しているのである。
彼女はそれを知っているから怖がっているのであろう。
老人に怪我を負った主婦、それに子供という頼りなさそうな組み合わせであるが、我々と一緒にいれば安全と考えているようだ。
溺れる者は藁をも掴むという心境なのであろう。
「どうでしょう。私たち三人とも親しくはないのですが、訳あって私の家に向かっています。あなたも一緒に来ませんか。ご相談に乗れるかもしれません」
彼女は安堵した様子で返事した。
「ありがとうございます。そうさせて頂きます。もう大丈夫だと判断できれば失礼いたしますので」
「ああ、ちっとも構わないですよ。さあ行きましょう」
今度は4人で歩き始めた。
今日は思いもよらない出会いが重なってしまった。
不登校の小学生、DV被害者で途方に暮れていた主婦、ストーカーにあっている女性。
それぞれを自宅に連れ帰ることになろうとは思ってもいなかった。
いったいどのように世話すればよいのか戸惑いながら歩いていると自宅の前まで来てしまった。途中何人かの知り合いとすれ違ったが、声を交わすことなく会釈だけにした。おそらく妙な組み合わせだとみなされていることだろう。
鍵をポケットから取り出し玄関扉を開けて中に入る。
そして順番に招じ入れた後、表に出て左右を確認したが、ストーカー男性の姿はなく、ホッと一安心。
履物を脱ぎ板の間に上がるとリビングで、ソファとテーブルが置いてあり普段はそこで食事もするのだが、冷蔵庫やキッチンもあり、テレビも置いてある。
とりあえず皆をそこに座らせ、隣の部屋に救急箱を取りに行く。
その部屋には鏡台が置かれており、そこで、DV被害の主婦に痣の治療をするように勧めた。
彼女は言った。
「奥様が使われていたのですね」
「ええ、十年ほど前に亡くなりましてね。それ以来一人暮らしです。ああ冷蔵庫には氷嚢袋もありますんで、遠慮なく使ってください」
といっても、朝日四郎の伴侶には宇宙人の自分は会ったことはなかった。
と同時に、孫娘が持ってきたディズニーランドに行った時の写真やパンフレットを棚の引き出しから取り出し、ソファに持って行った
。あつし君が言った。
「ああ、本当に行って来たんだ。沢山あるんだ」
「紹介ビデオもあるんだよ。テレビの下にあるデッキに差し込んで見ればいいから。それと、冷蔵庫に飲み物も入れてあるから取り出して適当に飲んでほしい。ああ、食器棚のコップを使えばいいし、貰い物だけどお菓子もあるから食べてくれると助かるよ」
それを聞いたストーカーに遭っている女性が頭を下げて立ち上がり、キッチンに向かった。
どうやら我が家は避難所であるような錯覚を抱いたが、一方でここまでやるからには、中途半端は後で後悔するだろうと思った。
宇宙人は人間社会の出来事に干渉してはならない。
けれども、そのルールはもはや絵にかいた餅にすぎない。
であるなら徹底して関与しようと決心した。
善は急げとばかり私は隣の部屋に行き、訳ありの主婦に事情を聞くことにした。
彼女は鏡台の前で顔の黒ずんだ痣を濡れたガーゼで冷やしている最中であった。
「どうですか。良くなりそうですか」
「ええ、おかげさまで腫れもひいてきたようです」
「そらよかった。まあゆっくり治されたらいいでしょう」
「ありがとうございます。ご親切に感謝いたします」
「ところで、その傷はご主人と関係があるのでしょうかな。いや立ち入ったことを聞いて申し訳ない」
「いえ、構いません。確かに主人から殴られてついたものです。お恥ずかしいことです」
「なにかご事情がおありでしょうな。もし私のような者でもよければ、お聞きするだけかもしれませんが」
彼女は口が重くはあったがポツリポツリと身の上を話始めた。
夫妻はどちらも親も身寄りもいない児童養護施設で育ち、早くからアルバイトもしながら中学、高校を経て社会人となった。
お互い子供のころから顔見知りでそれぞれ就職してからも交流が続き、二十歳を越えて結婚を意識するようになった。
最初は狭いアパートで一緒に住むようになって、将来はお金を貯めて子供を持ち、広い家に移ることを夢見た。
ところが、それから何度か住まいを変え期待はしたものの、十年を経ても子供は生まれなかった。
仕事に関しては、夫は長続きせず転職を繰り返した。
更に最近になって、生活が荒れるようになり、パチンコやギャンブルにも手を出し、酒も飲むようになって妻に暴力をふるうようになったとのこと。
「ご存じだと思うんですが、この近くの中古住宅に住んでいるんですが、まだ借金もあり返済しなければならないのです。けれども主人は働こうとせず私がパートで生活をやりくりしています。子供がいればまだ夫も張り合いがあると思うんですが」
「つかぬことを伺うんですが、お子さんが出来ない理由は」
「お医者さんに行って診てもらったところ、どうも私のほうに原因があるようで。不妊治療もしてみたのですが、だめでした。だから夫に強く言えなくって」
私は彼女の話を聞き同情を禁じえなかった。
さて、どうしたものかと思案しながらリビングに戻った。
今度はストーカーにあっている女性に話を聞くことにした。
あつし君はディズニーのビデオを見るのに夢中のようだ。
「先ほど見かけた男性と以前にお付き合いされていたのですか」
「ええ、そうなんでが、私は今年大学を卒業し希望した会社に就職したんです」
彼女は私の質問に対して、むしろ聞いてほしかったようでスラスラと話し始めた。
「学生時代にある店でアルバイトしていたんですが、客としてやってきた彼と出会って親しくなったんです。私より年上の彼は話が上手で面白くて何度か付き合ったんです。営業職で上司からも信頼されていると言っていたんですが」
「じゃあ、何か違っているところがあったのかな」
「ええ、今の会社に就職して先輩社員に彼と一緒にいるところを見られたんです。そして何日か経ってから彼について調べたほうがいいと忠告されて。彼は以前に詐欺行為をして警察から注意された人に似ているって。その人で間違いないなら、定職はないはずだって。それで心配になって一緒に食事した後、彼の後をつけたんです。すると街中の古いビルに入って行き、しばらくしてあまり感じの良くない人たちと出てきたのを目撃してしまって。今話題になっている特殊詐欺に関わってるんじゃないかと思い、怖くなってすぐその場を離れて帰りました」
「で、彼に交際しないと告げたわけか」
「いちおう念のため勤めている会社名を聞いたのですが教えてもらえませんでした。そして、電話でもうお付き合いしないと連絡したんです」
「それでも彼は付きまとうんだね」
「そうなんです。その後も電話してくるんで、携帯を買い替えたんです。また、勤め先を言ってしまっているんで、私の帰社時間に待ち伏せするんです。私マンションに住んでいるんですが、前の道に立っている姿が目に入ったりして。今日は休みの日で、この近くに買い物に来たんですが、後を付けられて、それで同行をお願いしたんです」
「じゃあ、典型的なストーカー行為ですね。彼と話し合ってもだめなんですね。誰か相談する相手はおられますか」
「私地方出身で両親とも離れて暮らしているんです。まだ誰にも話してはいないんですが、やっぱり警察に相談に行ったほうがいいんでしょうね。でも最近のストーカー事件を耳にしますし、正直怖くて迷っているんです」
更に詳しく話を聞いたが、なかなか有効な解決策はなさそうである。
どうやら私の出番のように思われた。
致し方ない。
彼女からストーカー男性の名前、電話番号、その他分かっている人物像を聞きだした。
住所は分からないそうだが、何とかなるだろう。
彼女には私の知り合いで、ストーカー案件の専門家がいるので相談してみると言っておいた。
次はあつし君の対応も考えねばならない。
とりあえず母親に息子を預かっていると連絡する必要がある。
学校から登校していないと連絡があったかもしれない。
そうであれば騒ぎになっているだろう。
電話番号をあつし君に聞くと、緊急用として控えているとのこと。
一応あつし君の了解を得てTELすることにした。
仕事中だからであろうか、それとも知らない番号だからかもしれないが、つながるまでに時間が掛かった。
私は名前を名乗ったあと、あつし君を家で預かっていることを伝えた。彼女はあつし君が学校に行っていないことを知らず驚いていた。
学校には家の電話番号を知らせてあるが携帯は言ってないそうだ。
学校には彼女から連絡してもらうことにして、母親の仕事が終わるまで私の家で預かることにしたところ、何度も感謝の言葉があった。
その後、あつし君が学校に行きたくない理由に心当たりがないかと聞いたが、ないと言う。
私はいわゆるいじめに遭っているのではないかと思うのだが、その相手も知らないであろう。
お互い住所を確認しあった後、代わりに、同学年で近所に親しい子について、二人の子を教えてもらった。
毎日学校に行かずに公園で過ごさせるわけにはいかない。
このケースも骨を折るしかないと思いつつ電話を終えた。
さて、どこから取り掛かることにしようか。三人にそれぞれ声を掛けた。
「私はこれからいつものように2階の部屋で一時間ほど休むことにするよ。遠慮せずにゆっくりしていっていいから」
2階に上がり寝室で横になった。
とはいっても私の本体はこれから行動を開始することになる。
一時間以内に目的を果たさねばならない。
早速電気コードを伝って1階に降りる。
あつし君とストーカーに遭っている女性は仲良くビデオを鑑賞している。
二人とも結構楽しそうにしている。
そして、隣の部屋に入ると、DV被害女性が顔の痣がある部分にガーゼを当てテーピングして横になっていた。
かなり疲れが溜まっていたのであろう。
私は口からスンナリと体内に入ることが出来た。
喉を通り胸部へ、今まで頭、肧、心臓付近に行くことはあったが、腹部は初めてであった。
腸部を越えて目指すは子宮であった。
この臓器は人間の女性にはあって、男性にはついていない。
私は人間の体内に関する構成ユニット及びその特徴のデータがメモリに保管され、必要な時に取り出せるのだ。
子宮内に入り精査すると、受精、妊娠の器官としては問題がないことがわかった。
だとすれば、精子自体に原因がなければ受け入れる部分に障害があるのか。
その入り口を調べてみると精子受け入れの制御因子の働きがかなり強いことがわかった。
「どうして頑なに受け入れを拒絶するんだね」
『あら、ご本人が妊娠を望んでいないからですわ。まだ早いし、子供を産めば体型が崩れる恐れがあるって』
「それは若いころのことだろう。今は気持ちが変わっているようだが」
『え、どういうこと。じゃあ方針が変わったの』
「そうなんだ。今は逆に子供がほしくてしょうがないらしいよ」
『なんだ。そうなの。それなら閉鎖を解除するから』
「そうしてもらえるかな。頼むよ」
『わかったわ。任せてくれる』
どうやら成功したようだ。
私は大急ぎで次の対応先に向かうことにした。
彼女が住んでいる住居に夫がいるはずである。
場所については、以前に見掛けたことがあり把握している。
彼女の体内、家から飛び出し電線を伝って目的の建物に侵入。
その一室に男性がワンカップ酒を飲みながら競馬新聞を見ているのを確認。
間違いなく彼女の夫だが、午前中からアルコールを口にしており、生活が荒れているようだ。
この習慣を正さねばなるまいと思いながら、一瞬部屋の電気を消して彼の体内に侵入した。
今度は脳内に移動する。
そして大脳で日常の行動を管理する因子と接触した。
「どうして女房に対して暴力を振るわせるんだ」
『ああ、毎日仕事もせずにぶらぶらされたら困るとか、アルコールもギャンブルも控えてほしいって。それと以前のように真面目になってほしいと言われたんで、カッとなってついつい手を上げてしまったわけさ』
「二人とも養護施設の出身で、一緒になったころはお互い助け合って頑張っていたそうじゃないか。なぜ変わってしまったんだね」
『どうやら倦怠期といってもいいのかな。それに加えて忍耐力がなくなり仕事も長続きせず日常に張り合いがなくなったようだな』
「そのことなんだが、子供が出来れば様子が変わるのかね」
『そら、大いに変わると思うよ。以前から欲しがってたからね。仕事にも熱心に取り組むと思うよ』
「わかった。それは私が何とかするよ。その代わり、仕事を見つけて規則正しい生活を取り戻し、アルコール、ギャンブルはほどほどにすること。それとなによりも女房に対して優しくすること。そのように仕向けてほしい」
『了解した。子供の件よろしく頼むよ』
「ああ、約束するよ」
夫婦間の問題を方向づけした後、急ぎ街中に移動した。
そして、ストーカー男性の行方を追跡した。
一瞬見かけただけだが、人相、体型、服装は完璧に記憶している。
名前は聞いているが住所がわからないため、あちこちに設置されている防犯、監視カメラを辿って行ったほうが速そうである。
何カ所かの録画データを読み取り、彼の行動を調べていった結果、電車に乗っている姿が目に入った。
今日は彼女の後を追うことを諦め、自宅に戻る途中であろうか。
幸いなことに、座席でうたた寝をしている最中であった。
私は車両の揺れに乗じて、誰にも気づかれず難なく脳部位に入ることが出来た。
そして、感情、行動系の制御因子を覚醒させ、率直に話しかけた。
「彼女に付きまとうのを辞めてほしいのだが」
『ああ、もうお付き合いしないと言われてショックだったんだ。かなりゾッコンなので諦めきれないようだ』
「職業に関して嘘を言っているようだな。違法なことをやっているそうじゃないか」
『本当は辞めたいらしいが。闇バイトの仲間から脅され抜けられないらしい。彼女との交際がうまくいけば、覚悟を決めて真っ当な職に就くつもりのようだ』
「それは逆だろう。今のままでは彼女は危害を受けないかと怖がっているようだ。よりを戻すのは無理だろう。どうだろう。そのお仲間との縁切りは私のほうで何とかするので、その代わり、今後彼女に近寄らないように感情の調整、行動の規制を行ってほしいのだが」
『ああ、そういうことなら、その申し出受け入れるよ。そろそろ行動を改めないとな。承知したよ』
一応の対応策を講じた後、走行電車から離れ今度はあつし君が通う小学校に向かう。
まだ授業中だと思われるが、乗り掛かった舟。早く済ませるに越したことはない。
そして、そこでも二人の体内になんとか侵入し対策を完了。
但し、子供の場合は脳内因子も幼いため、緩やかな依頼に止めた。
家に帰りついたころお昼前で、丁度二人の女性が帰るところであった。
それぞれから深く感謝されたが、ストーカー被害に遭っている女性には、知り合いの専門家に携帯で相談し、対応してくれることになったと伝えた。
さらにDV被害主婦にはご主人の態度が変わるはずだと匂わした。
更に子供は諦めないよう説得した。
見送りした際には、二人とも出会ったときと異なり、明るい表情であった。
これであつし君だけが家に残った。
後夕刻まで彼を預かることになる。
お昼になるので、あつし君を誘い近くのスーパーに弁当を買い出しに行くことになった。
昼食を終えてから、午後はビデオ鑑賞や以前から置いてあったゲーム機等で遊んだり絵本を見て過ごした。
そして夕方一人で母親の待つ自宅に帰っていった。
私は今日1時間あまりの間で思い付く限りの手を打ったのだが、すっかりエネルギーを消耗してしまい充電する必要があった。
翌朝、あつし君の登校時に様子を見に行った。
もちろん電線のからの視察であったが、同学年の生徒が二人、誘いに来ていた。
あつし君は嬉しそうに一緒に喋りながら学校に向って行く。
それを母親が笑顔で見送っていた。
私が前日そのように暗示をかけたとは知る由もないだろう。
2週間ほど経って、あつし君の母親が菓子折りを持って訪れた。
「あの折は本当にありがとうございました。今では学校に行くのが楽しくってしょうがないようで、朝から元気に家を飛び出して行きます。何があったのか存じあげませんが、こちらにご厄介になってから、それまでの内気な性格がガラッと変わってしまって、明るくなり勉強にも熱心になったんです。今では本人の希望で家の鍵を持たせていますが、なんだか見違えるようになって私が帰ると色々と手伝ってくれて、その日に起こったことも詳しく話してくれます。おそらく朝日様が親身になってお相手していただいたおかげだと存じます。心から感謝申し上げます」
そして何度も礼を述べて帰っていった。
彼女の話はある程度事実であった。
私はあつし君の頭の中にも入り、誘導していたのだ。
それから1か月後、ストーカーに遭っていた女性がやってきた。
彼女の顔は晴れやかであった。
「あれから彼を見かけなくなったんですが、もしかしたら様子をみているだけかなと思ったんです。ところがある日に彼とばったり出会ってしまって、私一瞬逃げようかなと思ったんですが、彼がその時言ったんです。『怖がらせて悪かった。もう付きまとわないから安心して』って。それを聞いてホッとして。これで今の仕事に集中できると思いました。恐らくお知り合いの方が何か働きかけをされたと思うんです。その方に深く感謝していますと言っておいてほしいんです」
私は必ずそのように伝えると返答した。
ただ、前にいるのがその当人だとは口にはしなかった。
更に2か月が経ち、DV被害に遭った主婦が訪問してきた。
驚くことに、その横に夫の姿があった。彼女は言った。
「ご心配をお掛けしているんじゃないかと主人が言うんで、お伺いしました。あれ以来主人もギャンブルを辞め、お酒も飲まずもう私に手を上げることはありません。それに主人も新たに仕事を見つけて、これから頑張るそうです。ですから、私たち以前のように協力しあって良い家庭をきずいていこうと誓いあっています。それから、私たち子供に恵まれそうです。先日お医者さんに行ったら、妊娠3か月だと言われました。お互い喜んでおり今はとても幸せです。あの時朝日さんに子供を諦めないように言われましたが、信じて良かったと思っています」
私は、それは良かったおめでとうと言って祝福した。
二人は一見恥ずかしそうだが嬉しそうな笑顔を見せて帰って行った。
確かにこの夫婦や、あつし君、ストーカーに遭った女性もそれぞれの悩みが解決し、私は感謝され喜ばしいことには違いないが、一方で複雑な心境にあることも事実である。宇宙人として人間社会の出来事に干渉しないという約束事を破ったばかりか、特に今回は人の行動を意のままに操り、いわば洗脳を行ったことは、人道的な観点からも批判にさらされるであろう。それに同じような案件はこの世の中限りなくあり、私が駆け回ったところで、焼け石に水である。
これからはこの惑星の観察という本来の自分の役割に徹して、任務から逸脱せぬよう心掛けていく決意である。
また、新たな朝を迎えることになり、朝日四郎として街中に出て行こうと思うのだが、言うは易く行うは難しである。
悩みや困りごと等、見過ごすことの出来ない人がいても首をつっこむのはやめよう。
触らぬ神に祟りなし。
さてどうなるものやら。




