第一部
啓発書の執筆に以前に選んだのが渡辺淳一氏の『鈍感力』をベースにして書き進めた『あきらめの法則』という主題の作品でしたが、途中で本来の趣旨から逸脱した内容になってしまい、形骸化してしまったと大いに反省しております。
そこで、名誉挽回、再度この分野に挑戦していきたいと存じます。
けれどもやはり自らのオリジナル創作は能力不足と判断し、参考図書のお力添えを得ることにしました。
一時期、品格本が流行し数多くの書物が出版されておりますが、その中でも『国家の品格』『女性の品格』はベストセラーとなり有名です。
今回は両書を下敷きにしてテーマを紐解いていきたいと思います。
内容については自身の現状に照らし合わせると、『シニアの品格』とするのが妥当と考えましたが、『老いの品格』という本が既刊されており重複の恐れがあって断念しました。
色々と思案しましたが、いっそのこと常人では考えつかない、奇想天外なテーマに挑戦しようと決心して、思いついたのが『宇宙人の品格』でした。
さて、どのような方向に進むのか全く予測できませんが、とにかく取り組んでいきたいと思います。
(宇宙人の品格)
私は宇宙の彼方にある星の一員で、この地球という惑星の調査を命じられました。
様々な生物が生息していますが、実態は知性を有する人間が支配していることは分かっております。
乗ってきた飛行艇を某所に隠し、生身の姿を見せると騒動になるため、街中でよく見かける猫の体を借りて色々と調査することにしました。
この星に君臨している人間の生活を調べるには、彼らの身近で暮らし、ほとんど警戒されない猫がうってつけで、しかも容易にその体内に同化することが出来たからです。
その結果、かなり詳細に人間社会及び文化を知ることが出来ました。
けれども彼らの側にいて、見聞きすることは出来ても意思疎通することは不可能です。
なんとか人間そのものになることが出来ないかとの願望が強くなりました。
ところが深刻な問題が立ちはだかりました。
体だけを借りるというわけにはいきません。
精神をコントロールしなければならないのです。
猫のような他の動物の場合は、脳を支配することは容易なのですが、人間の場合は自我が強すぎるため、完全に制御することは不可能だと解っています。
無理に入り込んでもかならず抵抗にあってしまいます。
たとえ子供でもある種の知能や特性を備えており、難しいと判断しました。
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ところが、ある日のこと、公園で老人が真っすぐに顔を上げてベンチに座っていました。
周りで家族連れが何組か遊具等で楽しんでいます。
その老人はそちらと別の方向を見たまま微動だにしないのです。
私はそのベンチに近寄り『ニャー』と鳴き声を出してみましたが、やはり動こうとはしません。
そこで、思い切ってベンチの上に乗り、老人の膝に猫面を擦りつけてみました。
けれどもなんの反応もありません。
もしかしたら、人並みの精神、感覚が欠けているのではないかと思い、頭の中を探ってみることにしました。
私は猫の体内を飛び出し、老人の鼻の穴から侵入し脳内に入り込みました。
その作業は今まで何度も行っており、スムーズに移行することが出来ました。
ところが今までのケースと違って、何の抵抗も障害もありません。
ほとんどの領域が空虚で、最奥部に記憶の痕跡が垣間見えるのみです。
これなら乗り移ることが可能と判断し、猫を元に戻しこのまま老人の身体を借りることにしました。
では乗り移った私はいったいどこの誰なんだろうと疑問が頭をもたげます。
人間であれば名前と住む場所があることは分かっております。
男性で頭髪は白く年齢は70台位であると思われます。
身なりは割合きれいで、紺色のズボン、茶色のセータ、そして藍色のブレザーを身に付けておりポケットを探ってみると、財布のようなものはなく、上着の内側に薄いビニールに用紙が包んであった。
開けると手書きで文字が書かれていました。
『私は朝日四郎という者です。もし本人が名前を忘れているようならお手数ですが左記に連絡願えないでしょうか』
そして、住所及び連絡先と電話番号が記入されている。
どうやら頭の病気を患っているようです。どうしたものかと思案中に道路側から声が掛かりました。
「朝日さん。ここにおられましたか。捜しましたよ」
その方向を眺めると、自分と年が同じくらいの男性が手を振っています。
どうやら知り合いが私を見つけてくれたようです。
その男性が近づいてくると、私は立ち上がり軽く会釈をした。
すると、彼は不思議そうな顔をして言った。
「どうしたんですか朝日さん。私がわかりますか?」
その時、自分は認知症だろうと理解した。
「まあ、元気そうでなにより。一緒に家に帰りましょう。娘さんが心配しておられましたよ」
彼は携帯電話を取り出しながら、私を導いた。
そして後をついていくと、10分くらいである住宅の前で女性が待っているのが分かった。
近くまで来ると彼女が恐縮した様子で話しかけた。
「組長さん、本当にありがとうございました。助かりました」
そして、いくつか言葉を交わした後、再度礼を述べて、私を家の中に引き入れた。
「お父さん、心配したのよ。家の中のどこを捜しても見つからないし、どこに行ったのかわからなくて、ご近所の皆さんに聞いてまわったのよ」
私は娘に対して素直に謝ることにした。
「すまないね。心配かけて」
人間に同化して初めて出した言葉だった。
今まで人々の会話は身近で耳にしていたので、容易に話すことが出来た。
だが、娘は首を傾げて言った。
「どうしたのお父さん。いつもと様子が違うけど」
その言葉に私は納得した。
おそらく自分は認知症でもかなり重い段階にきているのだろう。
公園で見た時は全く自覚があるようには見えなかった。
「気のせいかしら。なんだか正気のように見えるけど」
恐らくこの人物は話しかけられても無反応だったに違いない。
だが、これからもこの家で暮らそうとするなら、今までと同じような行動は拙いと思った。
咄嗟に精神状態を正常に戻すことにした。
「どうやら元に戻ったようだ。話しかけられたことも解るよ」
それを聞いて娘は大いに喜んだ。
「まあ、それが本当ならとても嬉しいわ。元のように自分でなんでも出来るのね」
娘は私の世話で毎日大変だったのではないかと同情した。
そして安心させようと思ったが、自分が何者かを知らないことに気が付いた。
「ああ、どうやら正常に戻ったようだ。だが、以前の記憶が全くないんだ。自分がどういった人間で、どのような生活をしていたか。それに家族のことも教えてくれないか」
娘はびっくりしたようだったが、私の言葉を信じてくれて、説明を始めた。
私は元教師で一緒に暮らしていた娘たちも嫁に行ったことから、65歳で定年を迎えた後は家内と夫婦水入らずでのんびりと余生を過ごそうと思っていたそうである。
ところが、家内に癌が見つかり治療に専念したが、既に末期状態だったため、あっけなく亡くなってしまった。
その後、私一人の生活となったが、気が抜けた状態となり、目標を失い毎日を無為に暮らしていたとのこと。
そのためか、今度は自身が認知症を患ってしまい、徐々に記憶力が低下し直前にしたことや見たことが思い出せなくなって、日々の生活に支障がでるようになってしまった。
幸い近くに娘が住んでおり、それを知って身の回りの世話をしてくれるようになった。
治療のため病院への付き添い、介護人の手配や食生活の段取り等、単独での行動は非常に危険を伴うようになったため、あれこれと面倒をみてくれた。
ただ、日を経るに従って徐々に進行し、徘徊もみられるようになり、このままでは自宅に一人で住むことは不可能と判断し家族とも相談、施設に入所させると決めていたそうである。
それ以外にも自身に関することや周りの親しくしている人々ついても説明があり、ある程度の知識をもった。
ちなみに熱心な趣味は盆栽を手入れし育てることだそうである。
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このような経緯で、宇宙人である私が、朝日四郎に乗り移り、今の家に住むことになった。
けれどもしばらくは娘が心配して顔出しにきたが、どうやら一人でも大丈夫だと判断し、介護人も断ってしまった。
同時に、症状の悪化によって、娘が私の財産等を管理する後見人となっているが、今後どうするかとの相談があった。
そのことは、発症初期の私も同意しており、様々な権利書や預金カード類も娘が保管し、使用していたそうである。
私は今まで通りで構わないし自由に使えばいいと言うと、安堵したようである。
私の年金は公務員生活が長かったこともあり、結構な金額が入金されていて、都度以前の私の了解を得た上で、娘家族の家計の足しになっているそうだ。
子供たち、つまり私の孫がまだ学生で毎月の出費が大変だという。
そして、私自身お金はさほど必要ではないと思われる。
周囲に公言は出来ないが、私のこの社会での任務は基本的には人の行動を調査することだから、それさえできれば多額の現金を持ち歩く必要はない。
本来であれば宇宙人である私に関しては飲食、衣料その他の費用は発生しないのだが、朝日四郎として暮らすため、娘から毎月最小限の小遣いをもらうことになった。
**
さて、人間の観察をし始めてから真っ先に感じた事柄は、善悪の存在です。
日常生活していく過程で、自ずと他の人々との接触が発生しますが、各個人の精神状態及び行動は異なります。
一方で、長い歴史の中で形成された社会規範、共通認識があることも事実です。
即ち、善いと思っていることと、悪いと思っていることで人々の日常の動きが成立しており、社会全体の常識にもなっています。
いわば、人々の間に浸透した倫理や規則が判断基準となって社会が構成されているといっていいのです。
ある日、街中の観察のためにバスに乗る機会があったのですが、席に座っていた若い女性が立っていた私に向かって、『どうぞ、ここに座ってください』と、声を掛けてくれました。
もちろん私が年寄りに見えたから席を譲ろうとしたのでしょうが、一瞬考えて申し出を受けることにしました。
私は目まぐるしく頭を回転させた。
地球人の数倍の速度で知恵を働かせることが出来るのである。
これが人の善意の代表的なケースで感謝の意を表し、記録に残して置くべきだと思った。
私は着席してから、その女性が身に付けているものから、名前を知ることが出来た。
私には透視能力が備わっているのだ。
そして彼女に言った。
「ありがとう山田さん」
彼女はびっくりして、
「なぜ、私の名前を?」と不思議そうな顔をすると、
私は
「やはりそうでしたか。何となくそう思ったものですから」
とごまがし、更に付け加えて言った。
「私の習慣でその日に善いことがあると、カレンダーに記入しているんですよ」
彼女は笑って頷き、周囲の人も関心を寄せている様子だった。
私の記憶回路には、日々起こったことは正確に記録され、取捨選択もその都度可能で、人間のように忘失することはないのである。
*
では、悪意と思われる例には身近なところで遭遇した。
私が以前に朝日四郎の体を借りたのは、最寄りの公園だったが、その片隅の日陰の石段に年老いた男性が僅かばかりの家財道具の袋を前後に置いて座っていた。
明らかにホームレスといった身なりで、大人しく遠慮気味な印象であった。
そこにバイクに乗った3人組の若者が近寄っていく。
そして老人に対して冷やかしの言葉を浴びせ始めた。
『わお!汚ね。おっさん、こんなとこにおったらあかんで』
『そやそや、蛆が湧くやろ、皆いやがってるで!』
『聞こえてるか。戻り戻り!あんたが行くのはマンホールの中やで!』
どうやら発散できる相手を見つけて、喚き散らして罵っているようだ。
恰好の苛めの相手を見つけた様子で、その後も罵詈雑言が続く。
私は通りかかっただけで、そのまま行きすぎようとしたのだが、
近くにいた主婦が顔を曇らせて、
『あれはいけないわね。誰か止める人はいないのかねえ』
と周りを見回す。
園内にいる人たちも通りかかった者も、乱暴な暴走族と思える若者に対し、係わるのを恐れて誰も注意することはなかった。
ホームレスとおぼしき年老えた浮浪者は、ただただおろたえるばかりだ。
若者たちは自己満足に浸っているかのように、益々悪口を浴びせる。
私はこの時立ち止まり、これが悪意ではないかと直感した。
このままエスカレートすれば、暴力行為に発展しかねない印象があった。
園内にいる主に子供連れの主婦たちも誰か止めてほしいと願っている様子。
私は決心した。けれども宇宙人として、人間どうしのトラブルに力を行使して係わることは禁じられている。
何か方法はないか思案したが、上空を見ると電線や木にカラスが止まっているのが目に入った。
彼らに手伝ってもらおうと考え、朝日四郎の体から抜け出し、一羽のカラスの体内に入った。
以前に試したことがあり、コントトールすることはた易かった。
そして、若者たちの頭上に飛んでいき、思い切り腹部に力を入れて排出物をまき散らした。
彼らの体に降りかかる。
『なんだ、なんだ、白いものが降って来たぞ』
上空を見上げて、カラスの糞だと気がついた。
私は別のカラスにも乗り移り、繰り返し若者たちにまき散らす。
『カラスの糞だぜ。汚な!』
上空からの糞攻撃に彼らは音を上げた。
『こらたまらん。ここから離れようぜ!』
そして、バイクに乗り走り去った。
この間、浮浪者は呆気に取られて見ているだけだったが、彼もそそくさと、持ち歩いていう袋を手に公園から出て行った。
私も一件落着と元に戻り、近くで見ていた主婦に、
「よかったですな。とにかく無事に終わって」
と笑みを浮かべながら、歩き始めた。
**
人間社会に大事な要素には、約束という概念がある。
いや、世の中は約束事で成り立っているといっても過言ではない。
毎日のスケジュール、当校及び出社時間、締め切り時間、日程、更には法律、公約等々、数え上げれば切りがないほど人々は約束事に縛られている。
もしそれが守られていれば問題はないのだが、破られてしまえば騒動になりがちである。
ある日の早朝、娘の家に用事があって出かけた。
ところが、玄関に着くなり高一の孫娘の叫び声が耳に入ってきた。
「もう、こんな時間よ。お母さんなんで起こしてくれなかったの!」
今度は娘の声も聞こえてきた。
「何度も起こしにいったわよ。でも、ちっとも起きなかったわ。昨日遅くまでテレビ見ていたから寝坊したのよ」
孫娘が言い返す。
「無理やり起こしてくれればよかったのよ。もうこんな時間。あの電車にのらないと、皆との約束に間に合わなくなってしまうわ。皆に迷惑をかけてしまう」
「すぐに出発しましょ。お母さんが車で駅まで送って行くから。急げば間に合うかもしれないでしょう」
「もう間に合わないわよ。電車の時刻まであと5分しかないわ。どう考えてもここからだと10分かかるし、次の電車は30分後なの。もう遅刻間違いなしだから!」
「そんなこと言ってないで行くのよ。早く来なさい。電車だって遅れるかもしれないわよ」
玄関扉が開き、娘と孫が現われた。
孫娘は泣きべそをかいている。
娘は私の姿を見て慌ただしく声を掛けた。
「お父さん、いいところに来られて助かったわ。大至急娘を駅まで送って行かなくてならないの。お留守番お願いできるかしら」
私は頷いて答えた。
「ああ、聞こえていたよ。早く二人とも行ってきなさい」
そして、二人はガレージにある車に乗って出て行った。
私は家の中に入り頭を回転させる。
肉親である孫娘の緊急事態である。
なんとか助けてやりたいと思った。
部屋の周りを見渡すと電話が目に入った。
この方法が一番速いだろうと判断し、体を抜け出し電話口からコード線を伝い、屋外に出て電柱に架けてある電線に到達。
そして一目散に内部の銅線に沿って駅方面に移動する。
更に電車の架線に入り込んで、進行状況を確認。
ほとんど瞬間移動と言ってもいいスピードだ。
「どうやら、あの電車だな」
あの二人の会話から、該当車両を特定するのはた易かった。
私は駅までの進行方向にある信号機を、青から赤に切り替えた。
運転者がそれを確認したようで、スピードを落とし信号機手前で停止した。
車両内と駅から信号待ちの音声が聞こえてくる。
駅方面に移動すると、数分後に母娘の乗った車がロータリーに入ってくるのが確認された。
そして、更に待っていると、孫娘が息せき切って階段からホームに駆け上がって来る姿が見えた。
私は『もういいだろう』と思い、信号機に移動し青に切り替えた。
電車が動き出すのを見届け、私は同じ電線経路で帰路についた。
帰って待っていれば娘の安堵した顔が見られるだろう。
私も安心した顔を見せてやらねばなるまいと思った。
約束ということからすると、極めて日常的なありふれた例であるが、当人たちにとっては重大なことのようである。
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人々にとって挨拶を交わすことは大事なことのようだ。
午前中の時間帯では『おはようございます』が主であるし、午後になると『こんにちは』以外にも、『暑くなりましたね』のような天候を表現する場合もある。
夕刻の仕事帰りには『お疲れ様』といった具合で、その他人によって様々な言い表し方があるようだ。
それらは人間関係を良好なものにするために、有効な方法として日常口から発せられているが、一方で会話の糸口にもなっているのである。
いきなり話し相手に対して、具体的な用件を話始めるよりも、挨拶言葉から始めたほうが円滑な会話ができるようである。
私も自宅を出て、歩いていると近隣の人たちから様々な声が掛けられる。
ほとんどが私を朝日四郎だと知っている人々ではあるが、同時に認知症を患っていたことを承知している人も多いようだ。
「おはようございます、朝日さん。お元気になられて良かったですね」
半信半疑ながらも病状が改善したことを喜んでくれており、それに対して、
「ありがとうございます。おかげ様で良くなりましたよ」
と答えるのだが、若干後ろめたい気分でもある。
なぜなら、私は朝日四郎本人ではなく、宇宙人が体を借りている存在だからである。
もちろん誰一人真相を知ってはいないが、認知症という難病から回復したことについては、驚きを隠せないようだ。
その中でも私の気を引くのは、小さな女の子に声を掛けられた時である。
私が道を歩いていると時折、
「おじいちゃん、おはよう」
とあどけない声が耳に入ってくる。
メグミちゃんというのだがまだ4歳で近所ではニコニコと愛嬌あって可愛がられている。
その両親も親しく挨拶を交わしてくれるが、どうやら朝日四郎が認知症になる以前からの顔見知りのようである。
二人にとっては、不妊時期が長かったが、努力し合ってようやく授かった待望の娘であり、一人っ子であるもメグミちゃんを、目に入れても痛くないほど、可愛がり大切に育てているようだ。
もちろん町内では家族そろって評判はよく、いつも明るく笑顔で周囲と接している。
私は家中で過していても、外の音は僅かなものでも耳に入ってくる。
常人の数倍の聴覚を保持していると同時に、不用と思われる音声はカットも出来るし、逆に増大して聞くこともできる。
ある日、道路の通行音に混じって(メグミちゃんが・・)という声が耳に入ってきた。
かなり慌てている様子がうかがえる。
その声の方向にだけ聞こえるように聴角度を調整すると、
「大変だ、メグミちゃんが車に撥ねられたそうだ」
「頭を打ったようで、意識がないそうだ。かなり酷いらしい」
「知らせを聞いた奥さんが事故現場に向かったそうだ。旦那さんは仕事に行っていていないらしい」
「メグミちゃんは皆から好かれているのよ。無事だといいんだけど・・」
私も気になって家を出て現場に向かった。
私が着いた時には大勢の人が集まっていて、倒れているメグミちゃんを見守っている。
奥さんが「メグミ、メグミ!」と叫びながらすがりついているのを、人々の隙間から垣間見えた。メグミちゃんは意識を失ったままで、全く動かないようだ。
誰かが「動かさないで!救急車を呼んでいるから」と必死にアドバイスしている。
耳に入って来る情報から、メグミちゃんは仲良くしている親子連れと一緒に公園に行く途中だったらしい。
奥さんは用事がすみ次第向かう予定だったそうだ。
歩道を皆で歩いていると、車道から暴走してきた車が一番前を歩いていたメグミちゃんに直撃、はね飛ばされたという。
全身を痛打し意識不明の状態になっている。
車は少し離れたブロック塀にぶつかったまま大破しており、近くに運転手であろう、高齢の男性が蒼白な表情で佇んでいる。
どうやらハンドル操作を誤り、ブレーキを踏み間違えたのかもしれない。
近年高齢者ドライバーの事故が頻発しており、今回もそうなのであろう。
また、一緒に歩いていた母子たちも傍らで涙ぐんでいる。
パトカー、救急車が相次ぎ到着し慌ただしく警察官や救急隊員が動き回る。
メグミちゃんは隊員の手でストレッチャーに乗せられ、救急車内部に運び込まれた。
その間も母親が「頑張ってメグミ!」と声を上げながら付き添っている。
そしてサイレンを鳴らして最寄りの病院に向かう。
見送っている人々が同情して話している声が聞こえてくる。
「メグミちゃん。なんとか助かって欲しいなあ」
「ご両親にとっては、可愛い一人っ子だけに祈るような思いだろうさ」
また、引率していた主婦が嘆き悲しんでいるのを年配の女性が慰めている。
「あなたはちっとも悪くないのよ。これは偶然に起こった事故なんだから」
私は見届ける必要があると理解した。
すぐに自宅に戻り、朝日四郎の体から抜け出し、部屋に置いてある電話口から侵入した。
そして、電線を移動し、救急車が走っている位置に達すると、車内に移動し電灯部位から内部の様子が窺えた。
ストレッチャーに寝かされたメグミちゃんに対して、隊員が備え付けの装置で応急措置を試みている。
その側で母親が必死で励ましている。
「もうすぐ着くから、もうすぐ着くから」
繰り返し繰り返し呼びかけている。
治療はあくまで病院に着いてから行われるため、早く着くことが望ましい。
私は運転席に移動。
進行方向を見ると、サイレンは鳴らしているものの、信号と他車を避けるのに時間を費やしていることは明白である。
私はすぐに行動に移し、サイレンの音量を拡大し、さらに、電線に移動。
救急車の進行方向にある信号を全て青にした。
『変だなこの信号。たった今青になったと思ったらすぐに赤になったぞ』
とのドライバーの声も聞こえてきたが、救急車は比較的スムースに走行することが出来た。
そして病院に到着、待ち構えていた職員が手術室までメグミちゃんを運ぶ。
私は院内の配線を伝いその様子を観察すると、救急隊員からの事前連絡である程度救急患者の状態は把握しているようだ。
従って、手術を受け持つ外科医、看護師等スタッフも準備は出来ていて、どのような容態にも対応できるよう必要器材は揃っていた。
もちろん、母親は手術室には入れず、廊下で待機するほかない。
医師がメグミちゃんの症状を調べて、予断を許さないと判断すぐに治療を行っていく。
私は天井に設置された照明箇所から見守っているが、もはや乗りかかった船の心境となっている。
全身を強く打っており、頭部をはじめ体のあちこちに損傷がある。
呼吸装置、麻酔、輸血等の緊急手術に必要な処置が速やかに行われていく。
幼い子供の命がかかっており、医師はじめスタッフも真剣である。
ところが、担当者が計器を見て医師に告げた。
「先生、心拍数が下がってきています」
心臓が動かなくなると死につながるのだ。
医師は咄嗟の判断で、「心臓マッサージを行う」と言って、胸に手を当て蘇生処置を繰り返す。
私は極めて危険な状況であると認識し、ここまできたのなら、本来の使命から逸脱した行為もやむおえないと感じた。
そしてメグミちゃんの脳内に入り込み探ってみることにした。
そのため、一瞬照明を消した。
「どうした?」
医師たちが驚いて天上を見上げる。
その間に私はメグミちゃんの鼻の穴から脳内に侵入した。
再び照明が点いて皆が安堵した。
その間ほんの1秒たらずで誰も変化に気が付かず、再び蘇生措置は続行された。
私が脳細胞を辿っていくと、大勢の子供たちに囲まれたメグミちゃんの姿があった。
背後から声を掛けることにした。
「メグミちゃん」
メグミちゃんが振り返り、私の姿を認めると、
「あ、おじいちゃんだ!」
と笑顔で応えてくれた。
「どうしたんだいメグミちゃん?」
私の問いかけに嬉しそうに答える。
「皆が楽しいところに連れてくれるって」
周囲には同じような年ごろの子供たちが集まっていた。
おそらく行先は人間界で言う『あの世』であろうと察しがついた。
私は引き止めるべきだと判断した。
「お母さんが向こうで待っているよ」
「え!そうなの。でも?」
どうやら、楽しいところに未練があるようだ。
「そうだ。おじいちゃんが今度楽しいところに連れていってあげるよ。だから一緒に行こ。途中で何か欲しいもの買ってあげるから。何がいいかな?」
「ワア、メグミ、ドーナツが大好き!」
「わかった。じゃあ一緒にお母さんのとこに行こうね」
メグミちゃんは頷き、振り向いて子供たちに向かって、
「バイバイ、またね!」
そして私は手をつなぎ歩きはじめた。
その瞬間集まっていた子供たちは一瞬にして消えていった。
一方で手術スタッフの声が耳に入った。
「先生、心拍数が正常に戻りました」
「そうか、では再び治療を進めよう」
*
人々は贈り物をすることを好むようだ。その代表的なものは、お歳暮、お中元であり、結婚祝い、出産祝いもそうだし、香典返しもその中に加えてもいいだろう。
要するに親しい人や日頃の付き合いの関係で、自分をアピールするために行われている慣習のようで、バレンタインデー、母の日等の贈り物、数え上げれば切りがない。
私もこの日入院患者のお見舞いをするために、手土産を買っていくことになった。
どうやら宇宙人である自分も人間社会で暮らしていくには、避けて通れない行動であった。
病院に着き病室の前で名乗って中に入ると、いつもと同じ明るい声に出迎えられた。
「おじいちゃんがきてくれたよ」
「まあまあ朝日さん。ありがとうございます」
ベッドの上で起き上がっているメグミちゃんと付き添っている母親がいた。
「どうだい、元気になったかい」
「うん。元気、元気よ」
「おかげさまで皆さんに親切にして頂いて、すっかり元気になりましたわ。もう1週間ほどで退院してもよいと先生に言って頂きました」
「そう、それは良かった。また町内で会えるのを楽しみにしてるよ」
そして、手にしていた袋から土産物を取り出した。
「これは以前にメグミちゃんと約束した食べ物だよ。ドーナツが大好物だと言っていたから買ってきたよ」
「ウワー、メグミ、ドーナツが大好き。お母さん食べてもいいでしょ」
「まあ、いつの間に約束したのかしら。朝日さん本当にありがとうございます」
「ただ、あまり食べすぎないようにね。食べ過ぎて退院できなくなったら困るからな」
私がそう言うと、メグミちゃんも、母親も笑いころげた。
その時、人間に近づいている自分を感じた。