第七話
ソロモンがそこまで話し終え、ニュートンの中に少しの躊躇いが生まれた。
「儀式が成功したとしても、バラ十字団に俺達が投獄されることも」
「もちろん、ありうるじゃろうな。奴らは、自分達の意と反する儀式を歓迎しない。これだけ大きな儀式となると覚悟は必要になる」
伯爵が付け足すように口を開いた。
「バラ十字団はイングランドでは王立協会と名乗って、この国の科学と儀式を手中に収めようとしています」
「それで、海江田さんが襲われたってことかよ」
「ただ、奴らの影響を受けなくて済む方法もあるんじゃ」
「なんだそれ?」
ソロモンはニヤっと笑って言った。
「お前が、奴らよりもビッグな物理学者になってしまえばいいんじゃ。そうすれば、奴らも手出しできん。世界の常識になるような儀式を成功したとなれば、バラ十字団も手に負えんということじゃ」
「なるほど……解りやすいな」
「どうじゃ?」
「ジジィ、その王立協会の顔が真っ青になるような凄え儀式を書いて来いよ!」
ニュートンは、覚悟を決めた。
「では、この四人での儀式チームの結成でいいですね」
伯爵の問いニュートンはニヤっと笑った。
「あぁ、最高の儀式で世の中をアッと言わしてやろうぜ!」
この時、世界の常識をひっくり返す儀式チームが誕生した。
以降三百年間も『ニュートン物理学』として我々の生活に根付く歴史的な物理学者にして、恋愛のカリスマ、十七世紀を代表する大物理学者アイザック・ニュートンの栄光の歴史の始まりである。
後日。ソロモンから「儀式が完成した」という連絡が入り、ニュートンと海江田はソロモンの研究室へと呼び出された。それは、どこかの貴族の屋敷だったらしい空き家の物置小屋を改造した、今にも崩れそうなあばら屋であった。
当時の魔術師、錬金術士達への風当たりは強く、研究といえば、人に気付かれないこの様な空き家などでコソコソしていたのだ。
「おう、来たか」
ニュートンと海江田は中に入った。
薄汚れた木製のテーブルにフラスコなどの実験器具や儀式道具が置かれ、机の周りには所狭しと積み上げられた本の柱が何本も、今にも崩れそうにグラグラ揺れている。ほとんどソロモン自らが書いた魔道書だという。
「まず、これに目を通せ」
海江田とニュートンは、クリアファイルに入れられた『万有引力の儀式』と書かれたA4の企画書に目を通した。
「今回の儀式はライブ型だ。で、我々は四人しかいない。誰一人として欠けることは許されん。それだけは覚悟しておけ」
「ライブ型?」
日本から来た海江田には聞いたことのない横文字だった。無理もないバンド文化がまだ伝わっていない江戸時代の日本には「ライブ」「ギグ」という概念はなかったのだ。
儀式には二種類のタイプがある。まず、ガリレオの地動説のように、大掛かりな儀式を一度に行う『イベント型』である。これは、儀式の実力よりも話題性や知名度、科学者としての人気、ルックスなどが重視されるため、新人の魔術師や物理学者達では中々簡単ではない。
よほど大きなコネや、大手の儀式代理店などの巨大組織から鮮烈デビューする大型新人などはこの『イベント型』の儀式を行うが、大抵は業界の大物たちでしか行えない代物だ。三百年後の世界で言う所の、テレビのオーディション番組や、顔だけのアイドルなどがこの方法を使用する。
逆に『ライブ型』とは文字どおり、教会などでライブを重ねることで知名度、実力を兼ね揃えていき、次第に神様の人気を得ていく方法である。
つまり、今回のニュートンの万有引力の儀式は、同じ儀式を何度も重ねることで徐々に有名になっていくことを目的とした儀式だという事だ。
三百年後の歌手でいえば、アンダーグラウンドのロックバンドなどがこの系列である。他にも『実力派』と冠がつく、顔がイマイチな女性歌手などもこの方法でのし上がっていく。
三百年後の世界の音楽業界のシステムは、この時の科学業界にヒントを得たのである。
海江田は儀式の内容に目を通し、驚愕した。
「こ、こんなのをやるんですか!」
思わず声が高ぶった。
「そうじゃ」
「で、でも。僕にこんな恥ずかしい事!」
「言い訳などいらん。万有引力がお互いを引っ張り合うというものなら、これしかない」
「まじかよ……」
ニュートンもモヒカンを掻き上げて頭を抱えた。内容を見た瞬間、儀式が出来なかった時以上の壁が目の前に現れたのだ。
ソロモンの書いた儀式の内容をかいつまんで言えば、こういうものであった。
まず、万有引力の法則は『重力を持っている物質同士はお互いに引っ張り合う』という性質である。ソロモンはこれを儀式化するにあたり、まず儀式を行っている人と人が何らかの形で引っ張り合っている状態に持ち込まなければならないと考えた。
まずライブ型の儀式のステージには二種類の人間が上がる事になる。儀式のメインとなる演技を行う『演者』と、魔方陣やロウソクなどの小道具の準備をしたり演者の後ろで呪文を唱えたりする『バックバンド』である。
細かい説明を省くと『万有引力の儀式』とは、ソロモンと伯爵の二人がバックバンドを行い、祭壇で呪文を唱えている間、演者であるニュートンと海江田の二人が両端に洗濯バサミをつけた紐を引っ張り合うという代物であった。
ポイントは、この洗濯バサミを海江田とニュートンお互いの乳首につけ、痛みに耐えながら引っ張る所である。これは、三百年後の現代で『乳首相撲』と呼ばれ、テレビバラエティなどで芸人達がやっているのをよく目にする事がある。
我々の普段の何気ない行動が、実は太古の昔に偉人達が行った儀式の名残である事は少なくないのだ。
「こんな恥ずかしいこと、できるかよ……」
ニュートンは弱々しい声で思わず呟いてしまった。
「これ、ニュートンくん。泣き言を言ってはいかん。過去の偉大な物理学者たちは辛い儀式に耐え、その理論を世の中に広めていったのだ。これぐらいの事ができなくて物理学者などにはなれんぞ」
サンジェルマン伯爵が珍しく厳しい口調で言った。何千年も儀式と向き合ってきた伯爵だから言える言葉であった。
「解ったよ、やるよ」
ニュートンは、ため息のような声で言った。
「で、この儀式、どこでやるんだ?」
「は?」
ソロモンは、とぼけた顔で言った。
「儀式をやる場所なんか、わしは知らんぞ?」
「は?」
ニュートンはとぼけた顔で聞き返した。
「わしの仕事は儀式を書く事じゃ。まぁ、多少の儀式の道具などは貸せるが、儀式の場所やらのマネジメントはお前らがやるに決まっとるじゃろ」
「ソロモンくんのいう通りです。マネジメント業務は海江田くんの仕事のはずです」
「で、でもよ! 海江田さんだって、こっちにコネなんか殆どないんだぜ。アンタらなら、なんか知り合いくらいいるだろ」
「いない」「いない」
二人は声をそろえて言った。人望はほとんどなかった。
「ニュートンくん。私とソロモンくんはむしろバラ十字団に目を付けられています。コネどころか、敵だらけです。私達が動くより、マネジメントは君達二人でやった方がまだ可能性があるでしょう」
「そんな……」
ニュートンと海江田は、目の前のハシゴを取り外された気分になった。
しかし、突き放された事によってニュートンは地元イングランドの広島を捨て「ビッグな物理学者になってやる」と誓い、五万イングランド円を片手に夜行列車へと飛び乗ってケンブリッジへとやってきた昔を思い出した。
「そうだった。俺は『最高の論文を書いて、ぶっちぎりの儀式で、絶対に成り上がってやる』って誓ってケンブリッジに出てきたんだった」
大学のフェロー時代は、ショーパブのバイトをして学費を稼ぎ、研究、論文を書く日々。次々と挫折し辞めていく仲間を見ながら、どんな逆境にも耐え、ビックになると誓ったのだった。
ニュートンは海江田の手を取った。
「海江田さん。ビッグでメジャーな儀式でブッチぎってやろうぜ!」
海江田はニュートンの握る強さに自分への期待を感じ、魂が震えた。
海江田もニュートンと同じである。遠くはるばる日本からこの地にやってきたのだ、爪痕も何も残せずこの地を離れるワケにはいかない。
「僕も全力でマネジメントします。やりましょう、ニュートンさん!」
二人はまず代理店の事務所に戻り、ケンブリッジ内で儀式ができる教会のリストアップから始めた。