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第五話

 サンジェルマン伯爵は『儀式あるところにこの男あり』とまで称された、世界の儀式界を裏から支えていた儀式バカである。定説では四千歳どころか、それ以上ではないか? と、年齢をサバを読んでいる疑惑が出るほど、その出生の秘密は詳しく解っていない。

 噂には紀元前の時代にソロモン王と面識があったとか、十六世紀にはスペイン王に仕えていたとか、不死身の身体を持つ錬金術マスターである「フランシスコ・ベーコン」や「ローゼンクロイツ」などの偉大な魔術師たちは彼であったという説まである。まさに魔術バカ。儀式バカ。


 海江田は、なぜ伯爵ほどの偉大な魔術師の情報が耳に入ってこなかったのか、と不思議に思った。

「それは当然です。私の存在は、バラ十字団によって歴史から抹消されているからです」

「えっ!」

 魔術と儀式を愛する伯爵にとって、儀式界を支配し無理やり科学を思い通りにしようとするバラ十字団のやり方は納得のいくモノでは無かった。

 伯爵はバラ十字団に対立しながら、世界各地にいる才能ある科学者を発掘し、世に送り出そうとした。が、事あるごとにバラ十字団に邪魔をされ、伯爵自身もその存在を儀式界から除名させられてしまった。それ以来、水面下での活動を続けていたのだという。

 その日は、もう遅かったので「明日、改めてニュートンさんを紹介する」という事で二人は別れた。

 そして、これは海江田にとって人生を変える出会いとなり、我々人類の発展に大きく関わる出来事となる。


 翌日、海江田はニュートンを事務所に呼び、伯爵を紹介した。その時の事をニュートンは、生涯誰にも見せていないの日記に、こう記している。

『海江田さんに初めて紹介されたサンジェルマン伯爵は、どこから見ても胡散臭いオッサンだった。

 でも、海江田さんから、今の自分たちの置かれた状況とバラ十字団の事を聞いたら、伯爵を信じざる得なくなった。それほどまでに俺たちは追い詰められていた』

 ちなみにこの日記はとある理由から、数年後に焼却処分されることとなった。


 翌日。

「ニュートンさん、はじめまして」

 伯爵は紳士らしくニュートンに手を差し出した。

「お、おお……よろしく」

 ニュートンは伯爵が差し出した手を、たどたどしく握った。

 その後、三人は今後の事について話し合った。と言っても長年の経験がある伯爵による論文の問題点の提示が主であった。

「ニュートンさんの書いた論文は素晴らしいですが壮大すぎます」

 伯爵のこの言葉に黙っているニュートンではなかった。自らの論文に絶対の確信を持っている。半年間イングランド中から否定され続けても変わらなかった強い意志だ。

「でもよ、この論文はそれが魅力なんだよ! いまさら小さいものに変えるなんてできねぇよ」

「僕もそう思います。この壮大さは万有引力の素晴らしさを表現する特徴の一つです。愛は偉大です。このまま行くべきだと思います」

 二人の若者の活きのいい反論に伯爵は口ひげをいじった。

「確かに私もそう思います。ですが、世の中への影響が大きければ大きいほど、必要となる神様の人数も増えてしまいます。

 この万有引力の法則はおそらく、このケンブリッジの街だけで収まる法則ではありません。世界中、海を越えて全ての国へと広まって、新しい世界の常識になるほどです。例えるなら、新しい言語をここで作って、それを世界の共通語にするほどの偉業です」

「それぐらいの偉業をやらねぇと、物理学者として歴史に名を刻めるかよ! バカにすんな!」

「バラ十字団の妨害に耐えながら、それができますか?」

 二人は言葉に詰まった。一難去っても、また一難。弱小代理店では、やはりニュートンの論文を儀式にできないのだろうか?

「俺はやるよ。一流の物理学者になるんだよ!」

 ニュートンは迷わず口を開いた。

「海江田さんは?」

「ニュートンさんがやるって言ってるのに、代理店の僕が断る訳にはいきませんよ」

「なるほど……」

 伯爵は髭を弄りながら少し考え、再び口を開いた。

「実はもう一人、スタッフに加えたい人物がいるんですが、よろしいでしょうか?」

「は? そうハイハイと人を入れられても困るんだけど」

 さすがに、怪しい伯爵の仲間を増やすのには抵抗があった。

「あなたが今言ったことを実現するならこの人の協力無しではあり得ないと私は思いますが」

「なんでだよ。伯爵はすごい魔術師なんだろ?」

「言っておきますが、私は儀式のシナリオも呪文も、ましてや儀式のアイデアも何にもできません」

「はぁ!」「はぁ!」

 海江田とニュートンの声が重なった。

「ふざけんなよ! じゃあ、テメェなんかいても意味ねぇじゃねぇか!」

「ですから、新しい仲間を紹介したいと言っているです」

「出てけぇ!」

 ニュートンは手元にあった紙の束を伯爵に投げつけた。

「ニュートンさん、やり過ぎですよ。その人を見てから、判断しましょう。ねっ!」

 そう言ってニュートンを説得した海江田は、心の中で「やっぱり、うまい話なんかないんだ」と半分諦めた気持ちになっていた。

 数十分後、一人の老人が事務所にやってきた。名前はソロモンと言った。

 タキシードにシルクハットを着こなしている現代の紳士風の伯爵と対照的に、ソロモンという男は雑巾のようにボロボロの布を一枚着ているだけのみすぼらしい男であった。当時の西洋の古乞食の風貌そのものであった。

「こいつが何の役に立つんだよ?」

 ニュートンはソロモンを見て不安になった。大掛かりな儀式どころか、日常生活すらまともにできそうにない男だった。

 ソロモンはブルブルと震えながら、ゆっくりと口を開いた。

「ニュートンと言ったな……」

 掠れて弱々しい声は部屋の壁にすら届かず、床に落ちた。

「……俺がお前をスターにしてやる……」

 ソロモンはそう言って、咳込み出した。どう考えても、この男が真っ先に星になりそうだった。

「で、このジジィに何ができるんだ?」

「ソロモン君は、これまでに三千冊以上の魔道書を書き、五千以上の儀式を成功させてきた、いわば儀式の天才です」

「三千!」「五千!」

 ニュートンと海江田は目を飛び出させた。

 聞くと、このソロモンという男はサンジェルマン同様、四千歳を超える高齢であった。

「紀元前から年金を貰っておるんじゃ……」

 ソロモンは弱々しくジョークを言った。聞けば、三千歳の時に二年付き合った元カノが今でも忘れらないそうだ。元カノは確実に死んでいることだけは海江田とニュートンにも解った。

「私はこれまでソロモン君の才能を借りて数々の儀式を世に送り出してきました。いわば、ソロモンくんは私の最高のブレーンです」

「じゃあ、このジジィが儀式を書いてくれるのか!」

 ニュートンも流石に興奮を隠せず、声が大きくなった。無理もない、もし伯爵のいう事が本当だとすれば、すごい人物が儀式をしてくれる事になるのだ。

 三百年後の現代で例えれば阿久悠、なかにし礼、秋元康あたりが詞を書いてくれるレベルのチャンスなのである。

 ソロモンは、ニュートンの論文に目を通した。ニュートンはこの時、緊張で心臓が大きく鼓動していた。自分がいままで夢見てきた事が生まれて初めて現実になるチャンスを掴みかけているのだ。

 論文を読むソロモンの表情は険しい。ニュートンの論文はソロモンの心に響くのか?

 ニュートンの横で、海江田も昨日に続き、緊張した面持ちで審判の時を待った。

「うむ」

 ソロモンはそう言って、論文を閉じ、机の上に置いた。めくった紙の厚さからすると、まだ半分も読んでいない。

「……ニュートン、と言ったな」

「おう」

「お前は……どうなりたい?」

「ビッグな物理学者になりたい」

「他にはないのか?」

「他……?」

 ニュートンの言葉が詰まった。実はこの時、ニュートンにはまだ誰にも言っていない壮大な夢があった。だがそれは友人達に言った時に馬鹿にされ、二度と口にしないと決めたことだ。もちろん、海江田にも言っていなかった。

「無いのか?」

 ソロモンは、強い語気でニュートンを見た。その目は、ニュートンの本心を見抜いている目であった。

 ニュートンはこの時、ソロモンという男が本物だと確信した。

「まだ、一つあるよ」

 ニュートンは観念した。

「なんだ?」

「俺は……単位になりたい」

 ニュートンはためらいながら、口を開いた。

「単位?」

 ニュートンの予想外の言葉に、海江田は思わず聞いてしまった。

「どういう意味ですか? ニュートンさん」

 ニュートンの顔を見ると、それまで強がっていた若者が子供のように顔を真っ赤にさせていた。

「俺は、ビッグになって、いずれニュートンって単位を残したい。皆が1ニュートン、2ニュートンって数えるようになってくれたら良いと思ってる。それが俺の夢だ。俺の体は死んじまってるだろうけど、百年後の産業革命に俺は単位として迎えたいと思ってる」

「ほぅ」

 ソロモンの返事はそれだけであった。

『単位になりたい』

 ニュートンの壮大な夢に、この時の海江田は強く心を打たれたという。今まで「金持ちになりたい」「有名になりたい」という夢は多く見てきたが「単位になりたい」なんて言った若者など見たことがなかった。

「やはり、このニュートンという男は心の底から科学が好きなのだ」と海江田は再確認した。

「小僧」

 ソロモンは黙り込んでいた口をゆっくり開いた。

「お主、面白い夢を持っとるな」

 ソロモンはニヤッと笑ってニュートンを見た。

「面白い夢を持っている人間は……売れる」

「じゃあ、儀式を書いて戴けるんですか!」

 海江田は身を乗り出した。

「ただ、ソロモン君。この論文を儀式にしようとすると、四人ではかなり至難の技ではないですか?」

「いや伯爵、ワシがいれば不可能はない。良いものは地道でも確実に世の中に広まっていく」

 ソロモンはそう言って立ち上がり、ホワイトボードに何やら図を書き出した。チョークの線が怯えるようにプルプル震えている。が、さっきと比べると生気が戻ってきている事に海江田は気付いた。

「最悪、ワシが編み出した『儀式ローン制度』を使えば、この万有引力を世に出すことも可能じゃ」


『儀式ローン制度』

 現代では当たり前になっているローン制度。住宅や車の購入などで使用される事も多いが、実はこれは儀式の一種なのである。

 頭金を払い、残りのお金は分割で支払うという方式を編み出し、儀式化したのは、このソロモンという男であった。

 最初に頭金となる儀式を執り行うことで、残りの必要な儀式は分割して後世の人類に行ってもらうという方式だ。


「そんな方式があったなんて、知りませんでした」

 海江田が知らないのも無理はなかった。当然、この方式は日本にはまだ入っていない。ペリーが日本に伝えたとされる制度である。ペリーが何度も浦賀に来たのも、この儀式ローン制度を使っていたからなのであった。

「それに、知らなくて当然じゃ。この儀式が使える魔術師は世界広しといえども、ワシだけじゃからな」

 ソロモンはそう言って、ニヤッと笑った。さも得意げである。それから過去にこの儀式ローン制度を使用した例を挙げた。

 要するにソロモンは自慢がしたいだけだった。

「まぁ、最近じゃとガリレオ・ガリレイの『地動説』なんかはそうじゃのう」

「え! あの! ガリレオさんが!」

 ガリレオはニュートンも尊敬する物理学者の一人であった。


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