第三話
万有引力の実現に向けて二人はその日から早速動き出した。
しかし、込み上げる熱意とは裏腹に前途は多難であった。儀式を行う以上、儀式の脚本を書いてくれる魔術師、または錬金術師を斡旋しなくてはいけない。しかも、万有引力ほどの壮大な理論となれば、世界中に儀式が広まらなければ意味がない。
それほどの歴史に名を残す儀式となると、よほどの技量が必要になる事は目に見えていた。
日本にいた頃の海江田は『子供のオネショを治したい』だの『彼女に告白したい』だの『多い日に安心したい』だの、祝言の合間に小さい儀式だけを行って来た為、それほどの儀式をしてくれる大物魔術師とのコネクションを作る経験も皆無であった。
ケンブリッジ中の大学、秘密結社、魔術団体を挨拶回りに行く日々。しかし、名前の知らない若者をやすやすと受け入れてくれるほど優しくはない。
さらに悪い事に、その時、ロンドンを中心にペストが大流行しており、大物魔術師はそっちの儀式に駆り出され、魔術師不足はイングランド中の問題であった。
そして、もう一つの問題はニュートンの書く論文の世界観である。何度もいうが当時のイングランドの常識から考えるとニュートンの方程式はあまりにも大人しすぎた。
(セックス+ドラッグ)×地獄÷狼の群れ=(薔薇の海+DEATH)÷2
こういった方程式が飛び交うイングランド物理学会においてニュートンの書いた方程式は
会えない夜+星空を見上げる=君の名を呼ぶ×ロンリネス+純情×(1/3)
と、あまりにも繊細で女性的であった。
当時のイングランドでこんな恋愛的な論文が受け入れる訳がなかったのだ。後に恋愛のカリスマと呼ばれるアイザック・ニュートンの論文は当時では新しすぎた。
しかし、海江田はあえて方程式はこのままで行くと決めた。この女性的でキャッチーな方程式こそがニュートンの魅力であり、武器だと考えたからだ。
この海江田の読みは正しかった。後に欧州中にその名が知れ渡るニュートンの書いた論文は「方程式がすごい共感できる」と、十代二十代の若い世代を中心に人気を博す事となる。
万有引力の登場によって、人間同士も引き合う力を得る事になり、男女は手をつないだり、抱き合ったり、セックスをしたり出来るようになった。
引力が無かった時は、磁石の同じ極を合わせたような状態で、男女はたまにしかお互いの肌と肌を触れ合わせる事が出来なかったので、恋愛というものはそこまで楽しいものでは無かった。
いわば、ニュートンは『恋愛を生んだ男』でもあったのである。そしれ恋愛ブームに乗じて、ニュートンの論文は「方程式が泣ける」と十七世紀のOLや女子大生、女子中高生を中心に世間に受け入れられ、恋愛のカリスマとしての地位を確立する事となる。
何度も足繁く通ううちに論文に目を通してくれる人も現れた。しかし、
「方程式にセックスの文字が少なすぎる」「ここの方程式の『口づけ』を『アナルファック』に変えろ」
などと、中には火のついたマリファナを投げつけてくる教授までいたという。
今までのイングランドの論文では、一つの定理を証明するのにセックスの文字は平均で百回は出てくる。それが、ロックの国の誇りだった。
しかし、純愛を貫くニュートンの方程式は、論文の終盤になってやっと一回「そしてやさしく唇を交わす」の文字が出てくるのみ。これでは話にならない。
「確かにニュートンさんの論文にはセックスが少ないです。でも、それはニュートンさんが人と人との繋がりを大切にしたいからです。
この万有引力の法則の儀式が成功したら、人と人がもっと暖かく繋がり合えるんです!」
海江田の必死の演説が研究室に響き渡った。しかし、
「セックスなしでどうやって方程式を書けっていうんだ!」
「俺はスカトロの四文字だけで定理を証明した事もあるんだ! バカにするな!」
「お前が十三章かかった論文も、セックスなら二小節で証明できる」
海江田の魂の叫びも、教授たちの怒号によってスグに掻き消された。
「確かに、それまでのイングランドのは過激なものが多かった。でも、変わらないといけない。私は『セックス』を否定している訳ではありません。でも、彼らにどれほど言っても、聞き入れてはくれませんでした」
トボトボと大学を後にする海江田とニュートンであった。すでに、ニュートンの論文を見てから数ヶ月が経っていた。
しかし、不思議と「止めたい」という気持ちにはならなかった。それは、ニュートンの書いた論文を海江田は心から信用していたからである。
「気にするなよ、海江田さん。いつか俺たちに運は回ってくるよ!」
ニュートンはいつもそう言った元気付ける言葉をかけてくれた。
海江田はそんなニュートンに「同い年とは思えないリーダーシップ。こういう人こそ、世に出るべきだ」と、この男を絶対に一流の物理学者にしてやるという決意を強くしていった。
「なぜ、こんなにも良いのに受け入れられないのだろうか?」
海江田は、仕事終わりにケンブリッジ公園のベンチでため息をついた。夜のケンブリッジ公園には、明日の科学者を目指している若者たちが儀式の練習をしている姿があった。
この当時、王政復古してスグで国内の情勢は不安定、「このカオスに乗じて一躍スターにのし上がろう」と目論む若者は多かった。
ケンブリッジから少し離れたオックスフォードに、イングランド科学界の中枢をなす『王立協会』が設立されてすぐであった。それに乗じて、国内の科学界に新しい動きが起こり始めていた。
アイザック・ニュートンに代表される、大手のオーディションを通らず地道に教会での儀式の口コミでのし上がっていくタイプ。三百年後の世界でインディーズと呼ばれる方式である。
他にも、それまで論文を書く者と儀式を行う演者、儀式のシナリオを書く演出家は全て別人であった。しかし、王立協会から『ロバート・フック』という(フックの法則でおなじみ)スター物理学者が現れた事で「俺もフックのように、論文から儀式まで全てをこなしたい」と夢見る若者が増えたのだ。
後にシンガーソングライターと呼ばれる人間の走りが始まったのがこの当時であった。後の小室哲哉やつんくの元となる程、この時のフックは数多くの論文を残し、科学の法則、発明品を世に広める儀式を行っていたのだ。