第二話
海江田自身も儀式を大きな意味で解釈し、庶民の祝言、結婚式に儀式を取り入れ、ウエディングプランナーみたいな仕事が多かった。
そんな同じことの繰り返しの日々に、海外で挑戦したいという気持ちは日々強くなり『一年後のイングランド支店のオープンスタッフ募集』に我先にと応募した。
『正直、鎖国には疑問を覚えていました。これじゃあ世界と戦えないって。イングランド支店の話は自分の力を試す最後のチャンスだと思って応募したんです』
この海江田の決心にもちろん両親は大反対であった。旗本を継がず、就活をしていた息子にも呆れていたが、知っている人もいない土地で何をしても徳川様が喜ばないのは目に見えている。
海江田は半ば家出の形で、このイングランド支店への転勤の話を受ける事になった。
「何もできずに日本の地を踏むことはできない。何か大きな成果をあげなければ」
イングランドの地を踏んでからは、そう気負ってガムシャラに働いた一年だった。しかし、現実は厳しかった。イングランドの人々は東の果てからやって来た日本人など、全く相手にしなかったのだ。
江戸の本社からは「あっちに行けば、現地の知り合いが助けてくれる」と言われていたが、誰も海江田の元を訪ねてくる人はいなかった。
「騙された」
海江田は頭を抱えた。しかし、来てしまった以上、やるしかない。
英語を覚え、片言でも駅前でチラシを配ったり、会社周りをする日々。しかし、門前払いどころか、海江田が話しかけても現地の欧米人は、彼をまるで見えていないかのように無視したのである。
「日本は本当に鎖国をしているのだろうか? むしろ世界が日本だけを無視しているのではないか?」
そんな、心が折れかけていた、一六六六年 夏。彼の事務所の机の上に、一つの論文が届いた。
『万有引力の法則 作 アイザック・ニュートン』
その晩、海江田はニュートンから送られてきた論文に目を通した。と、言っても、海江田の代理店に届く論文など、どこの会社からも相手にされなかった支離滅裂なものがほとんだ。
野良犬が明日生きる餌をゴミ箱から漁るように、海江田は事務所に届いた論文に目を通した。そして、読み終わった時、海江田の頬を一筋の温かい物が流れ落ちた。
万有引力とは『重さを持つ物体は全て、大きい小さいに関わらず、もの引き寄せる力を持っている』という理論である。
つまり、地球には引っ張る力があり、人間は地球の引力に引っ張られて立っている。しかし、人間自身も弱いなりに引力を持っており、身の回りにある人や物同士は引き寄せあっているのだ。
海江田はこの万有引力の法則を初めて目にしたときの事を後にこう書いている。
『万有引力。この理論を初めて見た時、私はニュートンという男の純粋さに感動しました。
きっと、星も見えない暗い夜にニュートンは酒で寂しさを紛らわし、片思いをしている女性の事を思いながらこの論文を書いたのでしょう。
孤独で押し潰れそうになっていた私も、日本にいる家族と引力によって引かれあっているんだ、一人じゃないんだ、と温かい気持ちになりました。ニュートンさんはそれを、ロックの国イングランドでは珍しいキャッチーな方程式で表現していたんです』
世界に名を馳せるロックバンドが次々と生まれた地だけあって、当時から『イングランドの物理学者はイってる奴らの集まり』と学会では有名だった。
『とにかく学会があるとイングランドの大学の講堂の床には焦げた紙が落ちていた。マリファナだ。物理学者たちは、壇上で繰り広げられる方程式にアドレナリンを噴射して、騒ぎ立てた。
大人しく椅子に座っていると横にいた教授に顔面を殴られ、訳のわからない罵声を浴びせられた。壇上で論文を読み上げていた教授は服を脱ぎ、客席にダイブしてきた。
「俺は伝説になるぞ!」
ダイブした教授はそう叫ぶと、客席の科学者たちも「うおおおお!」と声を上げた。
しかし、私には彼が何を説明していたのかすら解らなかった。ずっとファックが一番優しい言葉に思えるスラングを叫び続けていた事しか記憶にない。
後日、学会に参加していた物理学者に会うと口を揃えて「あの夜は伝説だった」と楽しそうに語る。壇上の教授が研究結果を何も発表していなかった事には誰も触れなかった』
一七世紀当時、イングランドの学会の様子が描かれた日記である。まさに、学会という名のギグ。ニュートンが現れる前のイングランド科学界は腐敗へ歩き始めていた。
海江田も、当時の論文に頭を抱えていた事を手記に残している。
『イってる、ブッ飛んでる自慢やら、その時のイングランドは論文の内容よりも「どれだけ過激な方程式が書けるか?」が重要だったんです。
「1+1=3兆とセックス」だの「8の字の上の丸に俺のブットいマグナムをぶち込んで、8とアナルセックス」なんて事が論文の端々に書いてあるんです。もう訳がわかりません』
この十七世紀後半のイングランドは、王政復古が起こり、国民たちは革命と権力からの解放に酔いしれ、さらに「あと百年で産業革命だ!」というノリで、制御不能状態に近かかった。
海外の科学者からは「国民全員が野犬みたいになっている」と言われていた。
『でも、ニュートンさんの方程式は違いました。イングランドのケンブリッジにこんな繊細な方程式が書ける若者がいたなんて。
初めて合った時、髪は金髪のモヒカン、唇に開けたピアスが鎖で耳に繋がっている若者が書いたとはとても思えない論文でした。
最も斬新だと感じたのは「物が全て下に落ちていくと便利です」と書いてあった部分でした』
現代の常識では考えられないが、当時の世界というのはまだ『万有引力の法則』が存在していなかったので「物は下に落ちる」と言うわけでは無かったのである。
机から何か物が落ちると、天井に飛んで行ったり、右に左にと壁にぶつかり、何処へ飛んでいくのか解らない時代であった。
一歩、街に出るといろんな落下物が右へ左へ上へ下へとビュンビュン飛んでおり、目の前からナイフが落ちて来て顔に刺さったなんて事もあったという。
これがニュートンという男が現れる前の世界の真実である。
海江田はニュートンを奥の部屋へと通し、それから大人しそうな青年から想像できない熱い情熱で、前日に読んだ論文の感想をニュートンにぶつけた。まるで、海江田がその論文を書いたかのような熱の入れようにニュートンも圧倒された。
「ぜひ、うちで儀式をさせてください!」
ニュートンが気付いた時には握手を交わし、儀式の契約が成立していたという。歳も近い事もあり、海江田の話を聞いているうちに「この人なら信用できる」という直感をニュートンも感じたという。
この日、日本とイングランド、遠く離れた地で生まれた二人の若者が運命の出会いを果たした。