第十二話
そして、ニュートン達による初めての『万有引力の法則の儀式』が始まった。
まず、予定通り、板付きの状態で地面に敷かれた魔法陣。その所定の位置に、ソロモンと伯爵が呪文を唱えながら、ロウソクを置いていく。
ソロモンの声は楽屋での興奮の影響か、いつも以上にシャガれて酷い声になっていた。が、それでもニュートンの方程式に珍しさを感じた客席の神の一部が「おっ!」と舞台に注目しだした。
案の定、前の二つの呪文はロック調であったので、ニュートンのこのキャッチーな呪文は珍しく、インパクトがあった。
そして、準備完了とともに両乳首に洗濯バサミをつけたニュートンと海江田が入ってきた。二人はそのまま魔法陣の上へと歩いて行き、向かい合う。
「ばんゆぅぅぅいんりょくのぎぃぃぃぃ」
相撲の行事の様な声でソロモンが叫ぶと、伯爵が二人の洗濯バサミを紐でつなぐ。ニュートンの右乳首の洗濯バサミと海江田の左乳首、ニュートンの左と海江田の右、それぞれ一本の紐で結んだ。
これは、前日のリハーサルで
「儀式の解りやすさを出すために、舞台の上で紐を繋げたほうが『なにをやるんだ?』って興味を惹けます」
と、伯爵から助言があって付け加えられた演出だ。ただ、この段取りが入ったおかげで、儀式の準備が全て整うまでで、既に呪文が一度終わってしまった。
(あと、呪文二回)
ニュートンは向かいの海江田の顔を見た。乳首の痛みで、険しいを通り越し、今にも泣き出しそうな顔だ。
照明として天井に吊るされた大量のロウソクで舞台は暑くなっているが、それを差し引いても海江田の汗の量は凄く、足はプルプルと震えていた。
(海江田さん、耐えてくれよ)
ニュートンは心の中で願った。
「儀式ぃぃぃ、始めぇぇぇぇぇ」
伯爵の声をきっかけにニュートンと海江田はお互いの洗濯バサミを思いっきり引っ張った。ピーンと伸びきった紐を綱引きのように二人が引っ張り合うことで、前へ後ろへ、二人の上半身は行ったり来たりする。
その瞬間、紙ヤスリ付きの洗濯バサミが噛みついた二人の乳首に想像以上の激痛が走った。
「ぐうう」
ニュートンもさすがに声が出た。しかし、伯爵とソロモンの呪文にかき消された。海江田に引っ張られることで乳首が紙ヤスリで削られ、床に乳首の粉が落ち始めた。
あまりの辛さに冷や汗が止まらない。上と下から突き上げてくるロウソクの熱気も予想を超えていた。が、呪文はまだ二回目の半分にも達していない。
(あと四分半……)
ニュートンは歯を食いしばった。汗が目に入り、しみる。
(耐えろ。耐えろ。ビッグな物理学者になる第一歩だ)
客席の何人かの神様は、儀式に興味を持ったらしく舞台の傍まで歩み寄ってきた。
なかなかの好感触のようだ。
(いける!)
しかし、そう思った瞬間、ニュートンの乳首を引っ張る力が弱り始めた。向かいの海江田を見ると、激痛で既に顔が青ざめていた。
「海江田さん……ったえろ」
ニュートンは思わず、声を出してしまった。
しかし、海江田の顔とニュートンの乳首を引っ張る力は、萎んでいくように弱まって行った。
海江田は、今にも倒れそうだ。
「あ……ああん」
激痛で、海江田は思わず弱々しい声を漏らしてしまった。声が出てしまったのだ。悶えてしまったのだ。
あと呪文が一回分、残っているにも関わらず、紐がみるみる地面へと弛んでいく。
「伯爵……」
ニュートンはすぐに近くの伯爵に儀式を切り上げるよう目配せした。
伯爵も海江田の顔を見てソロモンに伝え、ちょうど二回目の呪文を唱えきった処で、急遽儀式を終わらせることにした。
「ばんゆうぅぅいんりょくのぎぃぃぃ、これにて、しゅうぅぅりょぉぉぉ」
ソロモンの声に、客席からまばらだが拍手が起こった。今日、初めての拍手だった。客席後ろのバーカウンターに座っていた神様も舞台を見て拍手している姿が見えた。
四人は儀式の片付けをすぐに始めた。
ソロモンは床に敷いていた魔法陣の両端を持ち、上に散乱したニュートンと海江田の乳首の粉を中央に集めて、隅に置いてあったゴミ箱に捨てた。
スグに舞台袖にはけると、緊張の糸が切れた海江田が床に倒れこんでしまった。
「海江田さん!」
ニュートンは倒れた海江田を起き上がらせ、乳首の洗濯バサミを外してやった。海江田の乳首は予想以上に削れて鉛筆みたいに尖ってしまっていた。
「こんなになるまで我慢してたのか」
ニュートンはあと呪文一回分、儀式を続けていらどうなっていたかと想像した。
間違いなく海江田の乳首は全て削れて無くなっていただろう。
「大丈夫か、海江田さん」
ニュートンが持つ海江田は、体も冷たくなっていた。
「ニュートンさん、スグに楽屋に運びましょう」
ニュートンと伯爵で海江田の肩を持ち、楽屋のソファに寝かせた。
「貧血に近い状態になってますね」
伯爵が、そう言って海江田に毛布をかけた。
ソロモンは海江田の乳首にメンタムを塗ってあげた。事後処理に定評のあるソロモンであった。「お前も塗っとけ」とソロモンにメンタムを渡されるニュートン。
「すいません。僕のせいで儀式を中断させてしまって」
海江田が薄い声で三人に言った。
「大丈夫っすよ。失敗はしてませんから、客の反応も上々でしたし」
正直、消化不良な出来に終わったが、海江田の姿を見ると責めるわけにはいかない。倒れるのは無理もなく、想像以上の激痛にニュートンも面食らったのも事実であった。
「これが儀式なのか……」
たった呪文二回の数分で、ニュートンは自分が目指している頂点の険しさを目の当たりにし、虚しい気持ちになった。
せめてもの救いは、客の神様が拍手をしてくれたことだけだった。しかし、この程度の儀式では世の中になんの影響も起きない。
結局、今日の儀式で「万有引力」は発生しなかった。これが現実だ。
出番も終わり、四人は無言で教会の外に出た。
ショックを受けたニュートンは一番目の儀式の長髪をスカウトする事さえ忘れてしまっていた。それほど、自分たちの儀式のことで頭がいっぱいになっていたのだ。
「このままじゃいけねぇ」
大きな危機感がアイザック・ニュートンを包み、初めての儀式は終わった。




