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第一話

 海江田が初めて儀式と出会ったのは、現代から三百年近く前の十七世紀後半のイングランドであった。魔術と物理の狭間で霞みがかっていたものが『科学』と言う形を成し始めたのがこの時代である。

 ロックンロールの聖地であるこの国は、百年後に控えた産業革命と言うものを待ち遠惜しく思っていた。

「あと、百年で産業革命かぁ」

 カレンダーの百年後に『産業革命』と印を書いてウキウキしているイングランド国民の姿はこの時代によく見られた。

 ロックンロールの聖地だけあり、みんな、歌い踊り百年後に起こる産業革命が待ち遠しくて眠れない日々を過ごすのであった。

 これは、三百年後の世界に住む現代人が、百年後に生まれる予定のドラえもんを楽しみにしている感覚に似ているので、なんら不思議なことではないのだ。

 ロックが蔓延るこの街で海江田は運命的な出会いをする。万有引力を生み出し、ニュートン物理学という現代でも使用されている物理の基本概念を生み出した『アイザック・ニュートン』だ。

 当時、二十歳前後だったニュートンは、まだ駆け出しの売れない物理学者であった。後に『万有引力の法則』『微分積分』『二項定理』『ニュートンの光学実験』など、数々の歴史的な儀式を成功させ、我々の生活と豊かにしてくれた男とて、最初から偉人の形で生まれたわけではない。

 毎晩、寝る間を惜しんで論文を書き上げ、イングランド中の論文会社のオーディションに片っ端から応募するも全て落選。不遇の日々であった。

 科学者同士で実験を組んでも、メンバーとの方向性の違いから、すぐに仲違いした。当時のイングランドでは実験をするメンバーをバンドと呼んでいた。

 その時のことを後にニュートンは雑誌のインタビューでこう答えている。

 

『バンドのメンバー募集があると、スタジオにこもって実験に明け暮れた。でも、俺がここで来てほしいってタイミングで、全然フラスコが来なかったり、時間すら測っていなかったりでなんかシックリこなかった。俺と目指しているモノが違いすぎたんだ。

 最初の実験てのは殴り合いみたいなもんだ。お互いに『俺の方が凄い学者だ』ってプライドのぶつかり合い。ここでどれだけ凄い理論のパンチが出せるかなんだ。だけど、俺がちょっと方程式を話すだけで皆ノックアウトしちまって、試合にならないの。しびれるくらいの学者には結局、出会えなかった』


 後にイングランドの王立協会の会長となるニュートンは、ロックの本場のイングランドでいくつもの挫折を味わっても「一流の物理学者になりたい」「俺の方程式を皆に届けたい」という熱い情熱が冷めることはなかった。

 小さい学会に出られない時は路上で自分の論文を読み上げた。論文会社のプロデューサーを名乗る人から何回か名刺を貰ったこともあったという。

 だが、彼はそんな誘いは全て断った。

『皆、俺の論文を聞くと口を揃えてこういうんだ。「お前の論文は才能はあるがロックじゃない。そんなのは女が聞く論文だ。もっと棘のある方程式にしろ」って。

 でも、俺のやりたい科学はこれだったんだ。だから、俺は折れる気もなかった。目の前で名刺を破り捨ててやったね』

(ちなみにこの十七世紀の時代に「物理学」という言葉も「科学者」という言葉も存在しなかった。この辺りは、分かりやすいように私が編集したものだと理解してほしい)


 己のやりたい科学と世間のニーズの間で揺れていたニュートンに転機が訪れたのは一六六五年。当時ペストが流行したことで母校のケンブリッジ大学が休学となり、その年に丁度、大学過程を卒業したことで実家に戻っていた時であった。

 その日、彼は自宅の庭に寝転んで論文の材料を探していた。この時、ニュートンは二四歳。世間的には若いが、物理学者としてまだデビューできていない彼は日に日に焦りを募らせていた。

 同世代はどんどん学者としてデビューし、中には論文が儀式となって世の中に理論が広まり出している者もいた。

 いくらいい論文が書けようが、才能があろうが、その論文が儀式にならなければ、意味がない。これが科学の世界である。

 ニュートンは実家に戻っている間に、何とかソイツらに追いつくすごい論文を作らねばと、頭の中は何をする時も方程式が渦巻いていたという。

 しかし、なかなかいい論文の材料になる物などない。

 煮詰まった彼は、気分を変えるために庭の芝生の上に寝転んで空を見上げた。


 ボトンっ。


 その時、頭の上で何かが地面に落ちる鈍い音がした。ニュートンは寝転んだ状態で頭の方を見上げた。

 あべこべになった視線の先にあったのは自宅の庭のリンゴの木。かつてアダムとイブに知恵を与え、人間を不完全な物へと変えたあの木の実が風に揺れ、地面に落ちた。


『あの瞬間のことは今でも覚えている。本当に空からアイデアが降ってきたんだから。あの時の脳のスパークは今でも忘れられない。まるで、神様にぶん殴られたみたいだったからな』


 寝転んでいたニュートンには、地面に落ちていくリンゴがまるで地面に引き寄せられていくように見えたのだ。

 これが後に『万有引力の法則』と呼ばれるニュートンの出世作が誕生した瞬間であった。

「リンゴと地球がお互いを引っ張り合っている。全ての物は引き合う力を持っている。リンゴも地球も、そして恋も」

 これだ! と思った時はすでに、芝から起き上がり、階段を駆け上がって、机の前で論文作りに取り掛かっていた。高鳴る鼓動をビートにし、論文はたったの一晩で出来上がった。

アイザック・ニュートン。

 後に『恋愛のカリスマ』と世に知られる物理学者が生まれた瞬間であった。

 しかし、『万有引力の法則』はすんなりと世間に受け入れられたわけではなかった。この天啓はニュートンに訪れる苦難への警鐘でもあったのだ。


『論文の出来は完璧だった。だけど、どこに論文を送っても「ロックじゃない」と返された。

 オーディションや路上でも評判はあまり良くなかった。でも、俺にはこの論文は世の中を変えるっていう絶対的な確信があった。だから、俺は諦めなかったんだ』


 この時、ニュートンが論文を持ち込んだ場所に、たまたま日本の江戸からイングランドにやって来ていた海江田の会社『儀式代理店ケンブリッジ支店』も含まれていた。

 物理学者の仕事は、世の中の法則の論文を書くことだ。しかし、もちろん論文を書くだけでは、その理論は絵に描いた餅となってしまう。学会で発表し、ビルボードの論文ランキングで上位に入った人気論文は、大手の儀式代理店を経て、儀式化され、世の中の常識となる。

 これがそれまで王道とされていたメジャーデビューまでの道だ。代理店の規模の大きさによって、世の中に広まっていく影響力もスピードも違ってくる。

 当時、日本から来たばかりであった海江田の儀式代理店は、イングランドではなんの影響力も持たないゼロ細企業だった。

 どこに論文を送ってもけんもほろろにされたニュートンは、藁にもすがる思いで海江田の儀式代理店の暖簾をくぐったのである。

「ごめんください」

「はい」

 代理店の敷居を跨いだそこにいたのは、ニュートンと歳がそんなに変わらない、頼りなさそうな青年であった。

 後に儀式業界を陰から支える男になる。が、この時はまだ、ニュートンを始め、誰一人がそのことを知らずにいた。それはもちろん、その青年、海江田自身もである。

 海江田は日本の江戸にある幕府立の江戸東小学校からエスカレーターで幕府立江戸大学までを卒業したインテリだった。両親も幕府に勤めるエリートの旗本である。しかし、海江田はそんな安定した生活に疑問を感じていた。

「もっと自分の力を試したい。もっと大きな世界で自分の力で戦いたい」

 野心を持って、幕府の大手企業である儀式代理店江戸本社に入社した海江田。

 しかし、当時の日本は鎖国の真っ最中。日本で行われている儀式というのは密教や陰陽道や、お婆ちゃんのおまじないがメインターゲットであり、本格的な儀式の機会は欧州とは比べ物にならないほどに少なかった。


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