表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

小さな、けれど大切な約束

作者: ヤマモトヒオン

「ばいばい。」

そう、彼女は悲しそうな顔で笑い夜の闇に消えてゆく。

ああ…行かないで。僕のずっとずっと大切な人。


「ばいばい。」

鉛中を引きずる様な暗い空。

彼女と僕しかいないこの辺りには、優しいけれどどこか冷たい声が響く。

なんだかこの空間が、消えて無くなってしまいそうで僕を思わず口を開いた。

それでも緊張しているのか、心配なんてそんな言葉が出てきてくれる訳じゃない。はくはくと生まれることのなかった言葉が頭に浮かぶ。

ゆったりと、けれど重々しく、ふうーと呼吸を繰り返す。


沈默に揺れる僕らを包む風は、どこまでも暖かい。


「…本当に行くの」

立ち去ろうと前をみた彼女に、心配とはかけ離れた言葉を投げかける。

「うん。行くよ」


振り返った瞳には後悔なんて微塵も無くて。

ただただ淡い笑顔を貼り付けている。


その笑みは昔からずっと変わらない。“あの頃“と何一つ変わらない。

「まだ夢が諦められないとか、私やっぱり変かな?」

本当に、何も変わらない。

暗い重い空気が苦手で、気まずくなるとすぐに話を逸らすところも。

無理をしてる時に髪を触る癖も。

「……なの。」

少し掠れた声で、君の名を呼ぶ。


やっとの想いで声にしても、彼女の中では全く響いていないらしい。

「好きだよ、またね」

こちらを振り返りもせずに、軽々とした足取りで歩き出す。


あの時、あの瞬間、何よりも待ち望んだあの言葉を、君は最も簡単に紡いでしまう。

そんな君が嫌いだ。駆け巡る二文字を過去形にしない君が嫌いだ。

でもそれよりも…。君の夢を未だに思い出せない自分が一番、嫌いだ。



僕は天野葵。

3年前に高校を卒業して上京してきた社会人だ。

キラキラしていて高校生特有の青春の一コマが眩しくて堪らない。

あの頃は何も思わなかった“当たり前”が、とてつも無く遠く感じてしまう。…と仕事に追われ、疲れ切った身体はSOSを上げる。

「はーあ、疲れた。」

残業三昧の中やっとのことで、袖を捲るとちょうど二十時をまわった頃だった。

今日はいつもよりも早く片付いたか。

久しぶりに一杯飲もうかな、でも明日は朝から商談があるから辞めておこう。

整理し切れていない頭のタンスには、ごちゃごちゃとやるべきことが詰まっている。

頭の中は常に明日のことでいっぱい、まだ今日は終わりを迎えていないのに。

そんな衝動のお陰か、久しぶりに音なんてしない少し錆れた真っ暗な公園に足を傾けた。


暗闇の中では、角に建った自動販売機の垂れ下がるネオン管がキラキラ光り輝いている。

その鮮やかな色に魅了される様に缶コーヒーの赤いボタンを押す。


ことん…と落ちてきた黒い缶を手に取り、街灯の下で揺らめくベンチに腰をかけた。


口に含んだほろ苦い風味が、心地よい味わいで広がっていく。

数年前までは苦く感じていたはずのコーヒーはすっかり美味く感じる様になってしまった。

この味で日々の疲れが一瞬で吹き飛んでいく、そんな気がした。

光り輝く弧を描いた美しい月を一目見る。

あの時、あの場所で、僕が何かを叫んでいれば何かが変わったのかな。

なんてこんな日は過去の自分思い返していた。


___……そんな時だった、君を見つけたのは。


「葵くん…?」

重そうなキャリーケースを手に長い髪を垂れ流している。

変わらない、という言葉がぴったりな彼女は、辺りを照らす魁星の様な瞳でこちらをじっと見つめていた。

「菜乃。」

彼女のことをこう呼ぶのは酷く昔。

彼女は一之瀬菜乃。ひとつ歳下の幼なじみ。

「久しぶりだね!」

「うん、久しぶり。」

にこっと笑う彼女と無愛想な僕。昔にタイムリープした気持ち。

雰囲気はそのままでいても顔つきは随分大人びていた。元々綺麗だった髪も艶やかに輝いて見えた。

大学に行ってから彼女に会えなかった訳じゃない。

家は相変わらず近かったし大学のある方面も同じだった。

それなりに話していたはずだった。


でも僕は、菜乃は言わずに地元を出て行った。


別に特別な理由があった訳じゃない。

今となって考えると、ただ単純に怖かっただけだった。

大学生は決断と結果の時期。

今までの当たり前が簡単にはらはらと消え失せる。

だからこうして会うのは3年ぶり。

「えっと…、仕事は何してるの?」

会話にも、ややぎこちなさが残っている。

「あ…、広告代理店の…営業」

「わ、毎日大変だね」


  菜乃はなにをしてるの。

     …その一言が、出てこなかった。


「あ、なんでここにいるのかって思ってる?」

「海外に、行くんだよ」

ほそっと、やけに柔らかく、告げた言葉は衝撃的なもので。

少しでも平常心を保とうと、必死に表情を引き締める。

「いつ出発するの」

「明後日の夕方の便だよ、東京にも用事があるし」

そこまで言うと、すっと僕らを嘲笑う様に風が通り過ぎていった。


「好きだよ、またね」

ふわり、と羽の舞う様な温かい声。

彼女が立ち去っても尚、僕はここから動くことが出来なかった。




「菜乃、おはよう」

「おはよっ!」

その光は、ふわふわと前髪を揺らし、僕の目の前までやってきた。

いちのせなの。

隣の家に住んでいて、唯一幼い頃から気の知れた女の子。

僕が小学生の頃に、親に怒られて公園に逃げ出した時も、菜乃が一番に気づいて手を差し出してくれた。

なんて小学生らしい思い出まである。


「どうしたの、わざわざ隣のクラスまで」

「今日は早く来れたから!!」

にしし、と悪戯そうに笑う顔はどこを見ても愛らしい。

「いやー、この時間いいね!明日から毎日来よー」

「いつまで続くんだか。」

「ちょっと!?」

こんな些細な会話を交わす時さえも、二人の暖かくて優しい空気を生み出す。

菜乃は昔からずっとそう、僕の心の支えで前に進む目的。


「葵くん中間テスト学年二位だったね!思わずみんなに自慢しちゃったよ〜」

まだここに居るつもりなのか、僕の前の席を引いて腰を下ろす。

ふわふわと小さな頃から変わらない、柔らかい髪を肩に下ろし、こちらを見つめる黒い瞳を横目に菜乃に声をかける。

「それはどーも、…209位の一ノ瀬さん」

「うう…、バレてるう…」

「当然だろ、おばさんに見とけって言われてるんだよ」

菜乃は特別、勉強が得意な訳ではない。

飲み込みは早いと思うけど、それ以前に嫌いらしい。

「やればやるだけ自分の力になるだろ、ちゃんとやれって」

だからかなのか僕は週2で、菜乃のお母さんに菜乃の家庭教師を任せられている。

にっこりとした笑顔の圧、と言うのもあるけど、菜乃と一緒に入れるなら、思って快く引き受けた。


「無理はものは無理ですー!」

「無理無理言ってる暇があったらやれよ…」

「常に暇みたいに言うのやめて?」

堪え切れなくなったのか菜乃はふふっと淡い笑みを漏らした。

その笑顔を見た僕もたまらず、笑顔を零す。


僕はそんな菜乃の笑顔が…好きだ。

でもやっぱり、何回胸に描いても声が出ないこの二文字。

こんな僕に伝えることができる日は来るのだろうか。


「なーの!!探したよ!3年とこ行くなら言ってよー!」

そうこうしているうちに学校には生徒が増えていた。

わちゃわちゃとした雰囲気の中で、友達に呼ばれたのか遠くまでよく通る声を上げる。

「じゃあまた後でね!」

ぱたぱたと進んで行く彼女は、そっとこちらを振り返り、優しく笑った。

「うん、また」


でも、僕はこの想いを気づかれてはいけない。

何があっても絶対に。


「広瀬せんぱい!おはよーございます!」


菜乃が僕のクラスに来たのは多分所詮、寄り道なんだろう。

菜乃に瞳に映り込むのは隣のクラスのあいつ。


菜乃は、あの人が好きだから。

たぶん普通なら気づかないと思う。

別に菜乃は僕に、あの人が好きって言ってた訳じゃないから。

でもなんでだろう、二人が気になって仕方ない。


そんな、考えても意味なんてない真っ黒な思考はどんどん、深く、広がって行く。

周りの音が無くなったかの様に視界に映る二人の声が耳元まで届く。

「この資料のことなんですけど__」

「ああ、これはこうなってて__」

委員会のことだろうか、想像していた話じゃなくて少しほっとした自分がいた。

いやこんなこと考えたら気持ち悪いか。

でも、鈴を転がす様に笑う菜乃を見ていい気はしなかった。

それに頷き笑うあの人も。

僕はきっと入ることはできない特別な空間があった。


私の夢は誰かを幸せに、笑顔にすること。


「ほら!しっかり挨拶しなさい!」

「……天野、葵です…」

小学二年生の夏。

くりくりとした黒髪のひとつ歳上のとても賢そうな男の子が隣に引っ越して来た。

人見知りなのか真っ黒な瞳は、視線があっては慌てた様に視線を伏せる。

「こんにちは!」

この子の笑顔が見てみたい、そんな単純な気持ちで明るく声をかける。

「っ…、こんにちは…」

顔は引き攣ってはいたけれどにこっと笑顔を見せてくれた。

子供なんてそんなもの、そんな些細な出来事で世界が色づいてゆく。

この子が笑ってくれるのなら、何者にもなれるそんな気さえした。

それから葵くんとは家が隣なのもあってか、いろいろな遊びをしたりと、すぐに仲良くなっていった。


葵くんが引っ越してきて何ヶ月か経ったある冬の日。

寒い日に遊んだ為か葵くんは風邪を拗らせていた。

お母さんが葵くんにと作ったお菓子を片手に、隣のインターホンを鳴らす。

「はーい!あ、菜乃ちゃん!ありがとねえ」

葵くんのお母さんは、葵くんによく似た真っ黒な瞳を輝かせ私を迎えいれてくれる。

「葵くん、大丈夫?」

私が部屋に入るとすぐに、辛そうだった体を起こして大丈夫、そうひと声告げた。

「…辛くない、へーき」

へらっと薄く笑った額に汗が滲む。

「お菓子、おばさんにありがとうって伝えておいて」


違う、こんな顔じゃない、私がみたいのはこんな一生懸命な笑顔じゃない。


「葵くん、つらい?そばにいてもいい?」

「……、でも菜乃に風邪うつしたくない」

目線を下に下げる葵くん。私は…と咄嗟に思いついた言葉を発する。

「ねえ葵くん知ってる?ばかは風邪ひかないんだよ!」

「菜乃はばかじゃないだろ…」


「葵くん、約束だよ。なんかあったら絶対に言ってね、秘密はなしだよ」

「…うん。分かった…じゃあ手を握ってほしい」

ぎこちなく差し出された手のひらに自分も手を重ねる。

「ありがとう」


多分葵くんはこの“約束”なんて覚えていない。

まあそうなんだろうな、今更秘密はなし。なんて出来るわけがない。

大学に進学してから葵くんとは月に2回、会えたら良い方。

隣の家だけど行きの時間も帰りの時間も違う。

今日は高校の卒業式。

この時間なら葵くんはまだいるはず。

言うなら今しかない。ありきたりな思いが頭を巡る。


ピーンポーン

あの頃は明るく感じていたはずの音色も、今となっては寂しくか細い音に聞こえた。

「葵くん居ますか?」


「…菜乃ちゃん、聞いてない?葵は…大学をやめて東京にいったのよ」

「え…?」


それからどう家に帰り部屋まで辿り着いたかなんて分からない。

やっぱり、覚えてなんていなかった。

きっと、曖昧な言葉を使って勝手に私が期待しただけだ。

ゴールの見えた幸せを見て見ぬフリをして、言うことの出来なかった2文字を、静かにだけど確かに、胸の中で抱きしめた。



菜乃と再会してから一つ、日がめくれた。

商談を終え、心はいっそ菜乃のことで埋め尽くされる。

なぜ、彼女はあんな風に悲しそうな顔をしたのだろうか。

なぜ、僕は、菜乃に言わなかったのだろうか。不器用に突っ込んだ鞄からは、少し古びた小さな紙が顔を覗かせた。

『あおいくんへ、なにかこまったことがあったらぜったいそうだんしてね』

丸く優しい筆圧、これは菜乃から貰った物。


そうだこれは菜乃から貰った。


今まで忘れていたことが嘘の様に留めなく思い出が溢れ出してくる。

1人で全部決めつけて、心配するだろうからと理由をつけて東京に行くことも言わなかった。

なぜだろう、単純に怖かったのだろうか。

今なら、どんな風に言葉を使って伝えていたのだろうか。

僕は、君との、“約束”を守ることが出来なかった。

この時間なら、まだ菜乃は居るはずだ。

伝えるなら今しかない__…。




菜乃…、菜乃、菜乃…。

人集りに目を向ける。

そこには大人びた、ずっとそばにいてくれた彼女がいる。

「なのッ!!」

はっとこちらを振り返る。

「葵くん…」

紡ぎ出された言葉は、思わず頬に涙が伝いそうだった。

人がたくさんいるのに、この場には菜乃と僕だけの不思議な空間が広がっている。


「また今度、必ず、」

さようなら、この前までの僕。

いつかきっと、叶えられなかった約束と、僕の夢と共に。

君に伝えにいくよ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ