(あとがき)
『國貞畫く』、『国貞画く』、『國貞ゑがく』、『国貞ゑがく』、『国貞えがく』、仮にも現代語訳などというのなら『国貞えがく』が正解なのだけれど、どうも「ゑ」の字がこの題名のチャームポイントのような気がしてならず、『国貞ゑがく』という字面におちついてしまう。
意外なイメージの取り合わせをぶつけた物語を職人的な技巧でまとめ上げるというのは鏡花小説の常道だが、話を巧くまとめあげることは、必ずしも出来のよさには結びつかない。むしろ破綻が美しいとまで思わせてしまうのが、鏡花小説の底なし沼のような魅力で、明確なストーリーがあっても、ストーリーはどうでもいいと思えたりもする。
しかしときには、疵ひとつつける余裕を与えない勢いでイメージの大波をかぶったとたん、サッと幕が引かれる、切れ味の鋭い短編が書かれることもあって、たとえば『葛飾砂子』やこの『国貞ゑがく』は、その筆頭だろう。そういう作品は名作だと讃えられやすいし、事実、両作ともに日本近代文学の逸品といってもいい出来なのだけれど、それぞれ華やかな場所に晒すのを憚らせるような後ろ暗さを含んでいる。そういう陰の部分もまた、つかまったら離れられなくなる鏡花の魅力なのだけれど。
さて、『国貞ゑがく』の内容は、ほんとうに読んだとおりで、鏡花がこれほど作品の意図をあからさまにするのは、珍しいとさえ思えてしまう。
二股山、夜の辻、幼少時の『新撰物理書』をめぐる主人公の回想のなかで対立していた陰と陽のイメージが、最後にはひとくくりになって、小北平吉の家内で見た現実に、相似形の対立を見いだす、という物語である。
[二股山] 蜘蛛男 × 侏儒の腰元たち
[夜の辻] デロレン坊主 × 姫松、銀河の女
[幼少時] 二股山 × 錦絵の姉様、母の幻影
[平吉家] 平吉 × お琴(平吉の妻)
面白いのは、上の三つの対立は、あくまでも主人公の想像の産物で、四つ目の平吉の家で目のあたりにすることになるであろう過酷な現実からの逃避にもなっていることだ。
この、小北平吉という人物のクセモノっぷりはみごとに描写されていて、いったんは「陽」の側の味方のようにも思えるのだが、勉学が無駄だとする発言をしながら書生っぽい話しかたでインテリを気どったりと、登場してすぐに屈折した小悪党の馬脚を顕している。
古本屋の亭主の奸計を即座に見抜いてしまう平吉に対して、おそらく主人公の立田織次は、人間の嫌な側面には顔をそむけたいという人なのだろう。十六、七年の年月を経て、ようやくそれと向きあう決意を固める。
空想への逃避が、逃げると同時に、現実と向きあうための意識下の準備にもなる、心理学が扱うような不思議な心の動きを、リアルに描いた物語だと思う。
けれども、思い出して、思い出がつながったから物語を語り終わったという、ただそれだけの話ではない。それだけでは、
「平吉、金子でつく話はつけよう。鰯は待て」
という主人公の最後のセリフの力強さ、切れ味のよさ、有無を言わせぬ説得力は説明できない。
『失われた時を求めて』の「心の間歇」の章には、次のように要約されるであろうことが書かれていて、
つながるのは記憶ではなく、記憶によってそのときの感情の状態を取り戻した自我である。
……この『国貞ゑがく』の最後のセリフは、よく似た感覚を伴った記憶をオーヴァーラップさせることで、あの錦絵の事件があった幼少期の夜の自我を完全に取り戻した織次が、その自我が負った傷を恢復するために、大人になったいまだからできることを端的に言いあてたことばであるからこそ、いっそう力強く感じられるのだ。
最後のセリフのさらに最後に「鰯は待て」と退けた、それを調理した平吉も帯びているであろう鰯の、その生臭さには、県知事のネギのゲップをマクラにして、蜘蛛男のイタチ臭さ、デロレン坊主が語る責め場の松葉の煙の臭さ、忌まわしい存在に豹変した新撰物理書が放つ嫌な臭いをひっくるめて悪臭としてとらえられた、幼い自我が負った傷の深さが集約されている。
溢れるほどのイメージが緊密に連鎖し、ことばの端々がこれほどまで鋭敏に響きあう小説というのは、めったに読めるわけではなく、鏡花作品のなかでも小説らしい小説という意味で、まさに名品だと思う。
○
以下雑記。
冒頭。
「柳を植えた……その柳の一処繁った中に、清水の湧く井戸がある。」
という部分が、いきなりなにを言っているのかわからない。次の文と全然つながらないので、ちょっと戸惑う。これは、四段落(訳文では行替えをして、説明的な一文を加えたので六段落)あとの、
「さて、局の石段を下りると、広々とした四辻に立った。
『さあ、何処へ行こう。』」
というところで見えているものを書いていて、そこまでが、直前の記憶のフラッシュバックというか、挿入文の扱いになっている。やっぱり鏡花の文は変なのだけれど、よく考えると理屈が通っている(たまに、考えてもわからないものもある)。
祖母と主人公が古本屋から錦絵を買い戻そうとする九節なかばに、
「箱のような仕切戸から、眉の迫った、頬の膨ふくれた、への字の口して、小鼻の筋から頤へかけて、べたりと薄髯の生えた、四角な顔を出したのは古本屋の亭主で。」
とあって、「箱のような仕切戸」とはなんだろうと思ったのだが、これは、時代小説によく出てきて臆病窓とよばれている、商家の人が盗賊侵入の用心のために、扉につけた小窓から覗いて夜間の訪問者の顔を確かめるための、あれのことなのだろうなと思ってそう訳してみた。なるほど、だから「四角な顔」なのか。
デロレン坊主というのは、当時のストリート・ミュージシャンなのだろうが、『ドグラ・マグラ』に出てくるような、ああいう祭文を語っていた芸人なんだろうなと思うくらいにしかわからない。CDで復刻されている豊年斎梅坊主のあほだら経を聞くと、こういう調子で歌ったり語ったりしていたのかな、とは思う。小説の終盤ではそれが浪花節と混同されていて、浪曲師もひっくるめてデロレン坊主と呼ばれていたのだろうか。
鏡花は浪花節が大嫌いだったと読んだことがある。
蜘蛛男や侏儒の芸人にかんしては、まさに「今日の人権意識に照らして……」云々の注意書きが必要なところで、もちろん、そのつもりで読んでいただけるものだと思っている。蜘蛛男の見世物は実在のもので、人気を博して全国を巡業していたそうだから、「蜘蛛男 見世物」などでネット検索をすれば、実際のチラシの画像を確かめられる。
当時は奇形者や障碍者が社会的な差別を受けていた一方で、ごく少数だが才覚を発揮してスターになった者もいたようだ。同時代の欧米も同じような状況だったらしくて、たとえば見世物小屋の芸人たちが出演したトッド・ブラウニング監督の『フリークス』(1932年)という映画は、いまではゲテモノ扱いをされがちなのだけど、じつは最高に贅沢な映画作りをしていたMGM製作のA級映画であって、撮影中の芸人たちは、ジーン・ハーロウやクラーク・ゲーブルが利用していたMGM社内の同じ食堂で食事をしていたのだった。
個人的な話をすると、私が生まれた家は大きな神社のすぐ向かいにあったので、盆正月の時節にはずらりと並んだ露店が窓から見えて、深夜まで騒々しかった。もちろん本作に書かれているそのものではなくてもっと衛生博覧会的なものだったけれど、昔ながらの「イタチ臭い」見世物小屋の記憶もかすかに残っているし、そこに出ていた芸人の消息を伝え聞いたこともある。忘れかけていた記憶を刺戟するようなことが書かれた小説には、やはり無条件の愛着が湧いてしまう。加えて、錦絵のコレクションというものには、オタク的な気質を強烈にかき立てるものがあって、それが奪われた口惜しさは、芸者と学生の恋よりもずっと身に染みる。
自分に読まれるのを待っていたのではないかと、錯覚をさせてくれる作品だった。
(了)