酒と毒薬
目の前に広がる光景は、ただ「懐かしい」という思いだけでは片付けられないモノだった。
故郷にある自分の家の中。
割れた皿、パンの食べかす、子どもには難しい書物、お酒が入っていた樽、父だけが座ることを許された椅子、散らばる『机』だった木の破片。
そして、酒に溺れた父の背中。
レンダが十歳だった頃、毎日見ていた光景だった。
何故、今自分の目の前に広がるのか。
これが現実ではないことは十分に理解している。
それでもこの光景はレンダの心を地下深くまで鎮めていった。
思考が深く深く沈んでいくレンダの意識を現実に戻したのは父の怒声だった。
「畜生!!!」
ハッとしたレンダは父の背中に焦点を合わせる。
「・・・父さん」
「あん?」
父は振り返らずに言う。
「おい、レンダ酒を買ってこい」
「もうやめなよ。お酒」
「うるせぇ!」
父は、今度は振り返ってレンダにコップを投げつけた。
レンダはよろけながらコップを避けたが尻もちをついてしまった。
ふと自分の手に何かが握られていることに気が付く。
見てみると小さな瓶だった。
中には黒く濁った液体が入っている。
レンダはそれに見覚えがあった。
(これは・・・汚染された川の水)
汚染された川の水。それは、故郷に駐屯している軍の施設から流れ出ていたモノ。
レンダ達が住む村の自然を破壊し続けていた憎むべき存在だった。
何故今、それがこの手にあるのかは考える必要がなかった。
レンダはこの光景が何を示しているのかすぐに検討がついていたからだ。
(これは、あの日の夜。僕が父に毒を盛ろうとした時の・・・)
軍の施設から流れる謎の液体は川を汚すだけではなく、周辺の森たちを殺した。
当然、人体に良いわけはなく、川の水を使って生活をしていた村民たちは生活が困難になった。
軍がやって来た当初は、川の水が汚染されているとは知らず、川の水を使用した村民が死んでいく光景をレンダは見てきた。
(あの頃の僕は、どれくらいの量で死に至るのか分かっていなかったなぁ)
レンダは父の背中にゆっくり近づき始めた。
(これはあの時のやり直し? 毒を盛って確実に殺せば、この幻覚から解放されるのか? それとも、毒を盛らずに父と和解することが正解なのか?)
迷いながら歩くレンダの足元はふらつき、足音がなった。
すると父が素早く振り向き「何やってんだ! レンダぁ!」と言ってレンダの頬を思いっきり殴った。
薄れゆく意識の中、父の真っ赤な顔が一瞬視界に入った。
◇◇◇
レンダは目を覚ました。
そこは、川辺だった。
相変わらず、川は黒く濁っていて腐臭がした。
レンダの手には空の小さな瓶が握られていた。
レンダは瓶に川の水を汲んで、家へ向かった。
ドアを開けると父が酔いつぶれて机に突っ伏して寝ている。
家の中はさっきよりも荒れていた。
レンダは父に音を立てずに近付き、川の水が入った瓶の蓋を開けた。
左手で父の口を開き、瓶を近づけ、川の水を飲ませた。
ぐったりとした父を少し眺めた後、レンダは家のドアへ向かって歩き出した。
その時だった。背後から「おめぇ、レンダ。俺がこんなんでくたばるとでも思ってんのか?」
レンダは瞬時に振り返るも父の拳は既に目と鼻の先にあった。
◇◇◇
レンダは目を覚ました。
そこは家の中だった。
父は口を開けていびきをかいてベッドの上で寝ている。
横には大きな空っぽの樽が置いてあった。
レンダは考えた。
何故、こんなお膳立てするような状況から始まるのか。
それはこの幻覚の中で、確実に父を殺すことを求められているからだ。
しかし、何故確実に殺さなければいけないのか。
それはこの霧が見せる幻覚が自分の心とリンクしているからではないか。
つまり・・・。
(わかったぞ! これは心を鍛える修行だ! 体術の修行の前に自分と向き合って精神を鍛えて突破した者だけが体術の修行を受ける権利を得られるんだ!)
レンダは樽を持って家を出た。
(やるぞ。やるぞ。確実に父さんを殺す!)
川の水を樽いっぱいに入れたレンダは再び家に戻った。
相変わらず父は、口を開いて寝ていた。
レンダは父に近付き、樽を持ち上げた。
大きく開いた父の口の中へ樽いっぱいの川の水を流し込む。
「アガッウゴッコココッガッッッッッ」
父は苦しそうにもがくが、レンダは流し込むことを止めず、全てを流しきった。
父が確実に死んでいるのを確認するため、動きが止まるまでレンダは眺めて待った。
息を引き取るのを確かめると、レンダは「さよなら。父さん」と言って家を出た。
(これで終わりだ。恐らく、霧が晴れる条件を満たしただろう)
そう思ってレンダは家の側から離れようとした。
「レンダァ! 俺は死なねぇよぉ!!」
突然レンダの後頭部に激痛が走った。
そしてそのまま意識を失い、レンダは地面に倒れた。
◇◇◇
レンダは目を覚ますと周りを見渡した。
深い霧に囲まれた修行開始時と同じ光景だった。
霧はレンダを避け始め、一本の道を示した。
レンダは立ち上がり、霧が示す道を進んだ。
◇◇◇
「二人同時に到着か。仲良いな!」
霧が晴れると同時にカシアスのそんな言葉が聞こえた。
横を見るといつの間にか、サレンが立っていた。
「サレンも今着いたの?」
「うん。レンダも?」
「うん」
何故か、レンダはサレンと久しぶりに会う気がした。
サレンのレンダを見た時の表情がレンダを安心させた。
しかしサレンもまた、レンダの姿を見て安心したのだった。
そんな二人を微笑ましく思うカシアスは言う。
「さあ、二人同時にかかって来なさい」
サレンとレンダはカシアスのもとへ走った。




