9-命題を満たせ.・上
時は現行へ。「『命題』を推理しよう」まで戻る。
『命題』とは何か。『命題』とは、その人間にとって最も重要な記憶であり、その人生において最も価値のある情報であり、その命のタイトルである。
そして、死後、人間から喪われるモノである。
それを喪ったままの人間は『ストレイ』と呼ばれる動ける屍体として現を彷徨うことになる。
――「恐らく、『命題』は狩猟方法に関連がある」
「狩猟方法、ですか、たとえば罠とか??」
「ああ、そういう類だ。この先にサリムが野宿した洞窟がある。まずはそこに行こう」
起き上がったガイアはテセロから自分の背嚢を受け取り、背負う。ついでにと渡された真っ黒のハンチング帽をかぶって、坂を登りこのすり鉢状の窪みから脱出する。
「ああそれと、この辺り、虎が出るようだ。君も気を付けろ」
「うわぁ、やっぱりですか。さっき妙な爪痕を見たんですよ。て、もしかしてサリムさん虎に殺されたんですか?」
「いや、虎に遭遇し逃げている内にこの坂に転落し、頭を打ったようだ」
「なるほどねぇ」
サリムが最期の夜を過ごした洞窟に到着した。そこには燃え尽きた焚火とオリーブ色の大きなザックがあった。ザックに近寄ってみるも、サリムの肉体には何も起きない。つまり、このザックに命題は無い。念のためザックの中身も調べ、洞窟内も見回してみるが、めぼしいものはない。
「それにしても、なんというか、随分と目立たない格好ですね」
ガイアを――サリムの身体を値踏みするような視線で以ってテセロが言い、「ザックも草木の色。帽子も黒。服は濃茶色のズボンにベージュ色のシャツ。まるでカムフラージュだ」と続ける。確かに遠目からでは目立たない。加えて服の至る所に泥がはねていて汚い。
「狩りに来てるんだ、カムフラージュできる服なのはそうおかしなことでは無いだろう?」
「だとしてもですよ。動物から隠れるのにそこまでする必要があるのでしょうか」
「……」つかの間の熟考。口が開く。「つまり、」テセロを見据える。「君が言いたいのは、」
「これは人から隠れるためのカムフラージュだ、ということだな?」
テセロが満足げに口角を上げる。「ええ、そういうことです」
「ま、それはさておき次はガイアさんの話を聞かせてください。どんな手掛かりがありましたか?」
二人は洞窟の丁度いい石に腰かけ議論を始めた。猟犬はテセロに懐いているようで、彼の足許で丸くなっている。
「まずは命題が狩猟方法にあると考えた理由から話そう。それは、動物をどうやって仕留めたか覚えていないからだ。何を狩ったかは覚えているが、どうやって狩ったかの記憶が喪われている。そしてそれは主に大型の動物に対して利用されている。ウサギやリス、鶏に対しては基本的に罠を使っていた。全部がそうというワケではないが、それでも記憶の欠如は大型動物に対してのものに偏っている」
腕を組み考えるテセロ。「罠はどんなものですか?」
「そこを通ると作動し輪っかが脚を縛り上げる『スネアトラップ』や石で下敷きにする『デットフォール』など、かなり基本的で原始的なものが多かった。トラバサミは使ったことがないようだ」
「虎だけに」
「……」
しばし口元に手を当てながら思考を続けていたガイアだが、おもむろに股間をまさぐり始めた。そして、ものすごい顔をするテセロに下着の中から取り出した黒鉄色の鍵を見せた。
「これはサリムの自室の箪笥の鍵だ。中身は分からないが、引き出しの大きさはこれくらいだ」
そう言って、手を広げる。結構大きい。1メートル以上はあるようだ。
「加えて、サリムは妻や同僚に対して何かしらの罪悪感を抱えていたようだ」
「それとこれに何の関係が?」
「これはきっと命題を通してつながっている。私は鍵付きの引き出しの中身を知らない。そしてその鍵は下着の中に隠されていた。そして、隠していることに対して罪悪感を感じている」
「アイシェさんに引き出しの中身を教えてないってことですか?」
おそらくな、とガイアは頷く。
「同僚に対してはまた違う罪悪感だ。何かを隠しているのは同じだが、隠しているものが違う」
「というと?」
「同僚からは以前になにかを貰っていたそうだが、貰ったものに対しての罪悪感だ」
「何をもらったんです?」
「あ~、ん~」と目頭を抑えながらしばらくうなった後、
「思い出した。弓だ。弓を貰っていた」
「弓に罪悪感って。壊しちゃったとかですかね。それか全然使い物にならないガラクタだったとか」
「いや、むしろ使っていないことに対してのような気がする。サリムの自室に弓が飾ってあった。同僚に貰ったのがそれだ。多少埃がかぶっていたが、それだけだ」
「はぁ。ところでさっきからサリムさんの自室についての話題がありますね。次はそれについて詳しく教えてください」
ガイアは頷いて、彼が見たサリムの自室についてをテセロに話し始めた。
――――――
――――
――
「それから、サリムは魔術の腕はそこまで高くないらしい」
「え、でも魔術行使許可証は持ってるんですよね?」
「ああ、ここに入ってる」言って、オリーブ色のザックから紙束を取り出した。
「え?持ってきてるんですか?それ別に持ち運ぶ必要無いじゃないですか。あくまでルーレウロ市街での許可証なんだし」
そう、実は必要ないのだ。魔術行使許可証はルーレウロの魔術組合が発行しているもので、そしてその対象区域はルーレウロ国内のルーレウロ市街内に限られる。さらに言えば、国境であるサグラシャ川を越えたここはウォールブ帝国内であり、これの意味はほぼないに等しい。
「もしかしてサリムさんって心配性な人なんですか。そんなに大荷物を抱えて。重いでしょうに」
よっ、と立ちあがってザックを持ってみようと近づいてくる。
「いや、それがそうでもない。見た目よりもかなり軽い」
「おお、ほんとだ。じゃあなんでこんなでかいザックなんて…」
「仕事先で結構気に入って買ったみたいだよ。特に形が気に入ったらしい」
えぇ~と理解できないように顔をしかめ、ザックを置こうとする。
すると静かに丸くなっていた猟犬がいきなり立ちあがり、ザックを持つテセロの足許を回り出した。
困惑するテセロだったが、それを見ていたガイアはあることを思い出し、
「左の拡張ポーチの中に干し肉が入っている。欲しいのだろう。くれてやりなさい」
と告げた。果たして大正解。テセロが言われたようにポーチから肉を出して与えてやろうとすると、それに勢いよく食らいついた。
流石は猟犬だ。ザックの中にあるものまで嗅ぎ当ててしまうとは。猟犬としての役割をこなすに足る嗅覚。よく効く鼻は素晴らしい武器である。
「とりあえず、私がみたものは大方説明し終えた」
そして顔を上げ、息を吸い込み、言葉を続ける。ああそれと、
「命題がわかった」