8-一方そのころ
「ああ、『命題」を推理しよう」
その言葉から、しばらく時はさかのぼる。
〇
「まだ間に合う」その言葉で、僕は少し安心した。この人は救われる可能性が高いから。
胸中に抱いた銀髪の男が、突然意識が抜けたように、その身体がずっしりと重くなる。
実際、その体からは確かに意識が抜け出ている。銀髪の――ガイアの意識は今、彼が抱いていた白髪交じりの黒髪の男――サリムの遺体の中にある。
ガイアさんは、これを「憑依」と呼んでいた。
彼は死体に乗り移り、憑依した先の人間の記憶を見ることができる。
理由は知らない。聞いても「そういうものだ」「聞いても無駄だ」と曖昧な返事が帰ってくるのみ。まあ確かに、自分にはできないし、他の人がやってるのも見たことがない。
閑話休題。ガイアさんの腕から転げ落ちてうつぶせになったサリムさんの遺体を裏返す。この遺体の状態はずいぶんと良い。人間が死亡してから『ストレイ』に――かつて人だった、今は目的もなく現を彷徨う屍体となるまで、大きく4つの段階がある。
1:死後0~4日。ただの遺体と何も変わらない。
2:死後5日以上。身体の腐敗が始まり、時折痙攣するように体の一部が動くことがある。
3:死後10日以上。身体の色が黒ずみ始め、立てないまでも地面を這うように移動する個体もある。
4:死後三週間以上。身体が赤黒く変色し、身体の腐敗が止まる。立ちあがり歩き出すこともある。
と、おおよそこんな具合に分けられる。
状態3、4の遺体のことを我々は『ストレイ』と呼び、『屍体』として区別している。
サリムさんは2段階目だった。即ち、まだ『遺体』。ガイアさんは二段階目までの遺体であれば例外なく、3段階目であれば一部の屍体に憑依することができる。だから彼は「間に合う」と言ったのだ。
ちなみに、なぜ4段階目になって身体の腐敗が止まるのかというと、「肉体に遺った『生きよう』とする意思や生命の残滓が大気中の魔素を勝手に取り込んで無理矢理生命活動を続けようとするせいだ。けれども再生する速度は腐敗する速度になんとか追いつくことはできても、絶対に追い越すことはできない。だから見てる分には腐敗が止まったように見える。まぁ、魔法みたいなモノだ」、というワケだ。
「」がついているのは、当然これがガイアさんの受け売りだからだ。
再び閑話休題。ガイアさんが目を覚ますまで小一時間ほどある。その時間で、こちらはこちらの準備を進めなくてはならない。
サリムさんの遺体を置き直したら、次はガイアさんを運ぶ準備をする。まず自分の背中から背負子をおろし、近くにある椅子ほどの高さの石の上に置く。背負子の座面にガイアさんを座らせ、まず腰の位置でベルトを巻き固定する。次に股の下から今巻いた腰のベルトにまたベルトを縛り付ける。次に胸と背面を固定。さらに腕を胸の前で組ませベルトを巻き、その上からもう一度胸と腕が離れないようにベルトで固定する。最後に太ももを座面と固定して、
「――ふぅ。我ながら良い手際だ」
と、自身への感嘆を添えれば完成。これで準備その1が終了だ。
その2、周囲の警戒と周辺の調査と情報の収集。まずここはウォールブ東北部にある雨林地帯。この時期は頻繁に雨が降る。眠っている彼から目が届く位置で探索を行う。
まずはサリムさんの遺体が隠れていた場所。周囲からすり鉢状に凹んでいて、その傾斜は大きくないものの雨や泥、濡れた落ち葉によって滑りやすくなっている。
「ワン、ワン!」
と、同じく周辺を探らせていた猟犬がこちらを向いて吠えた。行ってみると、そこの地面からはかなり尖った岩が露出していた。
「ワゥッ!ウゥゥゥ」
なるほど。これで死んだわけか。よく見ると、坂の中腹にあるこの岩の元から下の茂みまで、不自然に地面が抉れている。ここを転がり落ちた、と。上の方にも靴跡に見えなくもない抉れがある。そういえば彼の遺体の頭蓋骨に凹みがあった。大方雨で滑ったかしてこの岩で頭を打ち、あの茂みまで転がり落ちたのだろう。岩に血痕がないのは雨で流されてしまったということだろう。
正直、詳しい死因はどうでもいい。どうでもいいというのは、なおざりにするという意味ではなく、あとでガイアさんに聞けばいいからだ。とにかく、この調査はここまでにして次に移る。
次、天候の確認。ああ、まだしばらくは大丈夫そうだ。近くに雷が堕ちそうなほど大きな木も無い。次、遺体のあった場所周辺になにか遺品がないか。それが『命題』の可能性もある。茂みの中で帽子を見つけた。真っ黒のハンチング帽。拾っておく。さて他には………ん?なんだこの、爪痕?――
「ざざざざざ」
突然草が踏まれたような音がした。びっくりして振り向くと、サリムさんの遺体が頭の方から手足の先まで、波打つように蠢いた。
これは、予兆だ。つまり、もうじき彼は目覚める。
ならばこちらも最後の準備をする。ハンチング帽を握りしめ、背負子まで駆け、背負う。まず腰のハーネスベルト。次に胸の前で二つ。そしてショルダーベルト。計5つのベルトを締める。僕の装備が太ももや胸に取り付けるポーチばかりだったのは、彼を背負うためなのだ。
最後に彼の背嚢を拾っておく。これで準備は完了。まもなく目覚める彼を待つ。
そしてその黒瞳が開く。
「肉体に遺った『生きよう』とする意思や生命の残滓が大気中の魔素を勝手に取り込んで無理矢理生命活動を続けようとするせいだ。けれども再生する速度は腐敗する速度になんとか追いつくことはできても、絶対に追い越すことはできない。だから見てる分には腐敗が止まったように見える。まぁ、魔法みたいなモノだ」
同じ理由でこの世界の死体は腐敗が遅いです。