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死霊の運び屋  作者: 織上
一章-傘都ルーレウロ
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7-遺識遊泳

 闇の中で、あなたは目を醒ました。

 まだ眠いのか、あなたの視界は定まらず暗転と明転を繰り返している。

 やがて焦点が定まってくると、あなたは今どこにいるのかが疑問になった。

 暗い、軽い、暖かい、心地よい。そんな第一印象が、かえって不安をあおった。

 夢遊している。そうあなたは直感した。これはきっと悪夢だ。とも思った。

 しかし、悪夢ならなぜこんなに心地がいいのか。

 思考と嗜好の矛盾があなたを包む。理性を本能が覆い隠す。感覚の間隙を悪夢が夢遊する。

 甘い壺の中で煮詰められた蟲毒的な結論は、蠱惑的な琥珀色で孤独を癒し、あなたは蕩ける。

 秘密の園であなたは惰性に流され堕落し朽ちた。

 やがて楽園は暴かれる。花は枯れ、蕾は泥を吐き、根はあなたの首を絞める。


 ――ああ、これはきっと、在りし日の――


   〇


 目を覚ますと、知らない天井があった。

 どうやら寝室で眠っていたらしい。隣の枕の住民は、既に朝を迎えていたようだ。

 寝室を出て、リビングへ入る。そこに配置されたテーブルの指定席に座れば、向かい側の子犬の木彫りと目が合う。今月は犬。来月は羊を作ってみよう。未だ開き切らない眼を擦りながらそんなことを考える。

 「おはよう、サリム。朝ごはんだよ」

 未だ覚めきらない意識の外側から声を投げ込まれた。声の方に顔を向けると、明るい茶髪を肩までのばした愛くるしい女性がこちらを見ていた。料理された食べ物がいくつか乗った皿が彼女の両手にあった。そして、そのうちの一つをこちらの目の前に置いた。「さ、たべよ」と言って、彼女は犬の視線をさえぎって向かいの椅子に座った。やるせなく、フォークを手に取って料理を口に運ぶ。

 「おいしいよ。今日もありがとう。愛している」

 料理は美味しい。彼女のことは愛している。不満なんてない。

 いつも通りのいい朝だというのに、なぜか心は曇っている。


 次に目を覚ますと、自室にいた。

 ここはどこか。今は椅子に座っている。作業するに丁度いい高さの机がある。魔石を燃料にしたランプから小さく光が漏れている。机の上は沢山のもので溢れていて、青い小石や山になった書類、フチのない眼鏡に羽ブラシに羽ペンと抜身の彫刻刀が散乱している。右手には黒ずんで汚れた布が握られていた。つっぷして眠っていたのか、机の端には雑貨が山を作っているのに、胸の前は丁度腕で枕を作れるだけの空白があった。今は何をしているのか。

 今日からしばらく仕事が無い。だから、久しぶりに狩りに行こうと思う。そのための準備をしようとしている所だということを想起した。立ち上がり、準備の進捗を把握する。机の左下には大きなザックが膨らんでいた。中を確認すると、着替えや、保存のきく食糧や、簡易のテントなどのキャンプ用品がぎっちりと詰められていた。持ってみると予想以上に軽い。背負ってみると上半身の輪郭が1.5倍になりそうなサイズのザックだが、上手く詰めることができたのか不思議と重さによるつらさは感じない。

 ザックをもとの場所に戻し、他のものに目を向ける。ザックの奥に、横に長い黒い箱が立て掛けられていた。表面は革かなにかで覆われていて、豪華な印象を受けた。これには何も入っていない。机の反対側の側面には、ザックの積載量をタテヨコに拡張するポーチがあった。ザックの横につけるのだろうポーチは随分と長く、足元から太ももの半分にまで届くほどの大きさがあった。なんとなく、先ほどまで握っていた汚れた布を詰めてみた。他にも、真鍮のブラシと包帯と赤い魔石の入った小瓶を詰める。

 それから、「魔術行使許可証」。これも持って行かないといけない。別に許可者以外の使用が禁止されているほどの高度で危険な魔術が使えるわけではないが、これがないと困ってしまう。

 ――何に困るのだろうか?まあ、だから、これもザックに入れておく。ざざざ。ノイズ。

 十分に詰めて満足し、次のものに目を向ける。壁に弓が飾られている。『火気・水漏れ厳禁』の張り紙。壁際の――の一番下に鍵穴付きの引き出しがある。鍵穴には既に鍵が――――、それを抜き下着の中に仕舞う。ちくりと胸のあたりが痛んだ。次はなにをしようか。ざざざ。


 「おう、なんだ大荷物じゃねえか、浮気がバレたのか?」

 頭が痛くなるようなセリフを聞いて振り向く。中肉中背の身体に人のよさそうな顔をつけ、そのうえであつくるしい笑顔を浮かべたチームの同僚が居た。浮気だなんて笑えない冗談を。

 「冗談だって分かってんだから笑ってくれよ。おまえが嫁さんに一途な奴だなんてコトはよぉぉぉく分かってる。その荷物、どうせまた狩りに行くんだろ?今度は何日家を空けるつもりだ?あんま嫁さんに心配かけんなよ?」

 人柄の良さを感じる過干渉。本当に心配してくれていることが分かっているからこそ、あつくるしくて、あたたかい。

 「3日だよ。わかってる。おまえにもお土産持って帰ってやるから、さっさと道を開けろよ」

 「あ、そうだ。アレ使ってくれてるのか?」

 「?」

 「――――前あげたろ?今度――――行くって――――――――、忘れたのか?悲しいなおい」

 ざざざ、ざざざ。同僚の声が上手く聞き取れない。胸がちくちく痛んで、鈍痛が頭をじくじく貫いた。

 同僚から、なにを貰ったのか。出所の分からない罪悪感を覚えた。じりじりと脳が焼かれていくような苦しみを覚えた。眩暈がして、目をつむった。――――何が、()()()()()


 眩暈が収まると、今度は森の中にいた。 

 森を奥の方へと歩いていく。獣道がないか見逃さないように注意深く進んでいく。この時期は雨がよく降る。木々の合間から時折見える空は、今朝よりも鈍色が濃い。昨日の森は運良く雨が降らなかったが、今日はいよいよいつ降るか分からない。雨の中の狩りは避けたい。従って、今は動物の気配を探りつつ、ときには小型の動物用の罠をいくつか仕掛けながら、雨風をしのげる洞窟かあるいはテントを張るにちょうどいい木を探している。

 雨がちらちらと降り出す直前に、ちょうどいい洞窟を見つけた。大型の肉食獣がねぐらにしていた形跡もない。雨が上がるころには日が暮れ始めるだろうから、今日はここを寝床とすることにする。ザックをおろし、乾いた薪と赤い魔石を取り出す。さらに発火を引き起こす魔法陣の刻まれたスクロールを取り出す。それを下敷きに魔石、その上に――並べる。ほどなくして赤橙の炎が熾き、ぱちぱちと薪が音を鳴らし始める。小鍋に雨水を溜め、火にかける。濡れた上着を脱いでいる間に煮沸できたお湯で茶葉を煮出し、コップに移す。そしてさらに大量の角砂糖を流し込む。そういえば、彼女は甘い紅茶が好きだった。ざざざ。こうして紅茶に砂糖を――――は――――影響だった。ザックから干し肉を引っ張り出し、それを噛み千切る。大味で雑味のある塩味。紅茶と共に流し込めば、ますます大味になるが、乙である。


 眼を覚ます。翌朝。落ち葉に雨露が煌めいている。朝からじめついた空気の中、昨日仕掛けた罠を確認して回っている。4つ目の罠にウサギがかかっていた。足を空に向けぐったりとぶら下がっている。濡れた毛皮から雨が滴る。腰袋から蔓のロープを取り出し両手がふさがらないように背中に背負う。ザックの中に解体用のナイフがある。残りの罠を確認して、洞窟に戻ろう。だが、

 「ザッ」と音がした。

 落ち葉の落ちる音ではない。石の転がる音にしては重すぎる。老木の倒れる音にしては軽すぎる。

 背筋のつぅと冷めるような怖気が脊髄から脳髄までを刹那のうちに張り詰めさせる。呼吸が荒くなる。息を殺す。久方ぶりに身体を動かしたように硬い腰を足を胴を首を頭を回して、音の主を振り返る。

 苛烈。黄金色と白がグラデーションになった毛皮。黒い斑紋。逞しい脚。

 熾烈。鋭い眼光。その虹彩の中央に据わる黒い瞳孔が、こちらをまっすぐに見つめている。

 鮮烈なる獰猛。いつか見たことがある。

 今でも鮮明に思い出す。それを初めて見たときのことを。忘れぬうちに木を彫り像にしたその雄々しい姿を。


 虎だ。


 鮮血。反射的に脳裏に浮かんだ最悪の情景。恐怖か、走馬灯か、どちらにせよ虚構(フィクション)だ。

 鮮血。だが頭から離れない。目をつむってしまえば瞼の裏に映っているという確信がある。

 踵を返す。思い切り走る。ウサギを背中から振り下ろす。囮?いや貢物だ。

 少しでも時間稼ぎができたらそれでいい。追うのをやめてくれればそれがいい。

 雨でぬれた地面を駆ける。何度も滑り転ぶが構いやしない。今はとにかく距離が欲しい。もっと遠く、遠く。洞窟に帰るなんて、行き止まりに向かうなんてもっての外だ。走る。走る。ざざざ。


 ――ところで、なぜ、逃げているんだ?脳裏に浮かぶ鮮血のせいか?命のやり取りなど、何度もしているというのに。レイヨウだって殺した。イノシシだって殺した。人食いのオオワシだって殺した。クマだって殺した。ウサギだって殺した。ひとりの狩人として、少しは戦う姿勢というものをとるべきではないか?


 なぜ、狩ろうとしないんだ?この手にはそれが――あるはずなのに。

 なにをしに、ここに来たんだ?――――――だろう?ざざざ。

 あれ、今までどうやってきたんだ?どうやってレイヨウを殺した?

 どうやってイノシシを殺した?どうやってオオワシを殺した?どうやってクマを殺した?

 いや、それ以前に、なぜ、自分は、狩りに来たというのに、「()()()()()()()()()――?」


ざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざ。


 滑って坂を転がった。途中で石に頭をぶつけた。

 それで、おしまい。


   〇


 「戻ったぞ」

 目を覚ますと、緑の天蓋が木漏れ日を降らせながらゆらゆらと揺れていた。

 「あ、おかえりなさい」

 体を起こすと、背中に銀髪の男を背負った金髪の男が、少し離れたところで立っていた。

 「どうでしたか?『命題』は分かりましたか?」

 体の感覚を確かめながら、立ちあがり金髪の男に近寄る。正確には、その男が身に着けているいくつもの『心当たり』へと近づいていく。何も起きない。ただ男との距離が近づいただけだ。

 「その中には、無い」

 「なら、やはり」金髪がどこか得意げに鼻を鳴らす。

 「ああ、『命題』を推理しよう」

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