6-憑依
二人が別れてから二日。つまり、一日早めた出立予定日。二人は傘都ルーレウロの北西部、城門脇の辻馬車広場に集合していた。これから二人が向かう森もとい雨林地帯はここから北に馬で四時間ほどの場所にある。徒歩だと半日以上かかってしまうため、馬車を捕まえようという事になった。
「この似顔絵の人物に見覚えはあるか」とガイア。
この広場に来たのは単に足を確保するためだけではない。前述のとおり、ルーレウロと森との間にはそこそこの距離がある。体力には自信があるガイアとテセロだが、結局馬車を使うという選択をした。
サリムもきっとそう考え選択したことがあるはずだ。ので、こうして聞き込みもかねて運賃の交渉をしているのだ。が、
「知らねえな」
「見たことないね」
「さあ?それよりも先生に相談したいことが…」
「分からないなぁ、すまんが」
と、結果は芳しくない。まさかサリムは毎度歩いて森に出向いていたのだろうか。勿論客の顔など覚えていないということかもしれないが、それにしても一人ぐらいは心当たりのある者がいると思っていた。広場にいた御者のほとんどから思うような結果が得られず、半ば諦めかけていたその時。
「あ、見たことあるなあ。そうかコイツ、おっちんじまったのか」
ついに手掛かりを見つけた。
渡りに船ならぬ渡りに馬車。早速サリムの顔を知る御者――イゼールと契約を交わした。
「それじゃ、荷物の中身を見せてくれ。二人のことは知ってるが、危険なものがないか一応な。それと、犬は首輪を縛るか檻に入れるかしてくれな」
二人は鞄を開け、その中身を荷台の床に空ける。そういうものもそういう意図も無いことを明らかにし、再び荷物を詰め直す。ガイアは大きめの背嚢を、テセロは両の太ももにつけたレッグポーチの他に胸にもいくつかポーチを装備している。また、今回は森の中から遺体を探すという事で、鼻が利く猟犬を連れている。
「そういやソイツ――サリムだったか、も、かなりの重装備だったな」
「具体的にはどれくらいだ?私たちよりも多いか?」
「いや、あんたらよりももっとだ。夜逃げかってぐらい、背中に抱えてたな。それがどうかしたのか?」
「その前にイゼール、馬車を出してくれ。話せる事は少ないが、道中で話そう」
「……それで、サリムさんは何をそんなに持っていたんですか?」
馬車の進む道路の端に、だんだんと雑草が増え始めた。昨日は都市の外で雨が降ったようで、土が若干ぬかるんでいるようだ。ごとごと揺れながら、テセロが聞き込みを再開した。
「それがね、ソイツは馬車に乗ってないんだ」
イゼールが荷台と御者とを隔てる壁に空いた欄間ごしに答える。
「え?乗ってないんですか?」
「ああ。運賃ももらって荷台に乗って、さあ出発って時にな。突然用事を思い出したって騒ぎ出したんだ。あんまりにも大慌てで飛び降りて行っちまってなぁ。運賃も返せなくてな。その一回しかソイツのことは見てないが、印象に残ってたんだ」
そんなに迫真な態度で馬車を降り、そのうえその一度しか姿を見ていない。まさか本当にサリムは馬車を一度も使っていないのだろうか。そんなに大事な用だったのだろうか。
いや、何か乗れない理由があったのではないか?
「そういえば、職場の方はどうでしたか?」
「ああ。特に手掛かりになるものはなかった。真面目で謙虚で人当たりもいい。職場の友人とよく飲みに行くこともあったそうだが、命題の手掛かりになるものは、特には」
「そうですか。交友関係の方は、いくつか。これは預かってきた虎の木彫りです。彫刻もずっと小さいころから趣味だったようで、これは中でもお気に入りだったそうです。それから、アイシェさんから預かった以前使っていたというノミ、それを彫刻には使っていたそうです」
木彫りの動物。そういえば、彼の家にも彫像があったことを思い出した。
「それと、一緒に狩りに行く友人はいなかったそうです。同じ趣味の友人は居ましたが、彼は絶対に一人で森に入るそうです」
狩りへは一人で行く、か。これはそう珍しいことではない。今向かっている森のように、比較的人が訪れやすい場所では、熟達した者ならば、一人で狩猟を行うこともできるだろう。
しかし疑問は残る。聞き込みでは、彼は猟犬も連れてはいなかった。誰かを伴って行くこともない。一度の狩猟の期間は長くて5日だったそうだ。徒歩では往復の時間だけで一日分を潰してしまう。何か他の動物を使ったか。なぜ彼は一人でレイヨウを捕らえることができたのか。そして、彼はなぜ馬車に乗ることを避けたのか。
二人は目的地に到着するまで、時にはイゼールと犬も加勢して侃侃諤諤と議論した。
勿論、犬はワンとしか発言していない。
ルーレウロの北部から南西部へ、そこから海まで流れ込むサグラシャ川を越えたところで、ついにウォールブの領土へと入った。そこからもう少し行ったところで森の入り口に到着し、馬車を見送ると、二人は森へと入っていった。まずはサリムの遺体を探すところからだ。猟犬に預かってきた手袋でサリムの匂いを覚えさせ、探っていく。しかし、昨日の雨がそれの邪魔になってしまうだろうことは想像に難くない。ので、魔術的な手段も用いて捜索をする。テセロは胸のポーチからガラスの小瓶を取り出し、軽く握り込んでから言葉を紡いだ。
「――"其は星の精霊。楔の契りは成った。吾は精霊の御子。嘆きに応えよ。灯し、調べ、繋ぎ、纏え。我に祝福を授け給え"――」
一見、何も起きない。だがよく見ると、小瓶の中で何かが煙いている。更によく見てみると、小瓶の中には黒い髪が入っていて、それから白い靄が湧き出ていた。
これは"離別の導き"という、元々一つだった物体同士を引き合わせる魔術だ。今回はこれを用いてサリムの遺体を探す。
「サリムさんの髪の毛も採取させてもらって正解でしたね」
しばらく観察していると、白い靄が小瓶の端に集まりだした。
「あっちですね」
テセロが靄が集まったのと同じ方向を指さす。おおよその見当しかつかないが、おおよその方向は絞り込むことができた。二人と一匹はその方向へ進んでいく。森の奥へと進むほど、靄の範囲がくっきりしていき、サリムの遺体の在処へと近づいていくのが分かった。
そして、
「ワン!」
突然、連れていた犬が吠えだした。二人がやや身構えている内に犬が前方に向かって走り出し、次に立ち止まるとこちらを向き直して再び吠えた。犬の足元には低木の茂みがある。
そこにある、ということだろう。
「うわっ、いてて」
「気をつけろ、足場が悪い」
その茂みがある場所はここから下り坂になっている先にあり、ただでさえ足をとられやすくなっていた。そこから雨でぬれた落ち葉に泥の地面。滑って転んでしまうのは誰にとっても仕方ないほどだ。例えば今のテセロのように。そんなテセロが立ち上がるのを確認すると、ガイアは犬の示した茂みの中へと手を伸ばす。
そしてその茂みの中からガイアが手を戻すと、そこには男の遺体が抱かれていた。
「たしかに、似顔絵の人物そのものだ。サリムで間違いないだろう」
遺体の顔を確認して、そう言う。
遺体を平たく開けた地面に置き直した。外傷は顔や手に切り傷。膝やスネには大きめの擦り傷があるのがズボンに空いた穴から確認できる。また、頭を強く打ったのか頭蓋骨の一部が凹んでいる。その他には目立ったものは無いようだが、全身が泥や葉っぱまみれになっている。遺体があった茂みが雨から遺体を護り、また野生動物から姿を隠してくれたおかげで肉体のほとんどが無事だったのだろう。
遺体の外傷や身に着けている物を確認していると、びくっと腕が独りでに動いた。
「死後9日ほどか。これならまだ間に合う」
まだ間に合う。何が?それは今からすぐに分かる。
「では早速、始める。身体は任せたぞ、テセロ」
ガイアは遺体の横に膝をつき、脇にいるもう一人を呼ぶ。
テセロは頷き、ガイアの真後ろに回って腰を下ろした。
そして正面に向かって手を伸ばし、ガイアをふんわりと羽交い絞めにするように脇から手を入れ抱く。
一方のガイアは、横になっている遺体の上半身を抱き起こし、お互いの顔と顔とを抱き寄せる。
口づけができるほどに顔を近づけ、男はその翠眼を閉じる。
なおも抱き寄せ、そのまま額同士を刷り込むように触れあわせた。
少しして、銀髪の男の肉体が意識を失ったようにうなだれた。
当然遺体は地面に転げ落ち、銀髪の頭もがっくりと落ちた。
そしてもっと長い時間が過ぎてから、突然、遺体の、サリムの、黒瞳が開眼した。