3-朝と露とコーヒーブレイク
世界最大の国土を誇る帝国ウォールブの帝都ウィアプールの中央駅……から東に鉄道で一週間と半日。夕日を追うように流れていく雨雲を眺めながら、2人の男は彼らの拠点に帰ってきた。
振り返れば斜陽が眩しくて、正面を見れば既に街灯からは光が漏れていた。
「さて、行くぞ」
隣で猫のように伸びている金髪の男を窘めながら、銀髪の男は言う。革のブーツがコツコツと石畳を鳴らして進む。
二人分の靴音は街を迷いなく進む。やがて建物の密度が減っていき、柵や庭が建屋を囲む住宅が立ち並ぶ区画に入った。その中からある家の前で靴音は鳴りを止めた。コンコン、と扉のノッカーが叩かれる。しばらくして、顔に数本の皺を蓄えた女性が出てきた。
「……あ、先生」
女性は銀髪の男の顔を見るなり死人を見たように息を飲み込んで、男の言葉に身構えた。
「お待たせしました。依頼を完了いたしましたことを報告させていただきます」
先生と呼ばれた男は表情を一切変えずに言い放つ。
「……中へ、どうぞ」
家人は目を伏せ、歯切れ悪くそう言った。話の続きを拒むように。耳に届いてしまう声を遠ざけるように。だがそれを聞かなくてはいけないことは、誰よりも彼女が理解していた。
カチャ。家のリビングにティーカップの置かれる音が響く。ソファに座り向かい合う3人には、じめっとした静寂がしばらく続いていた。それを破ったのはやはり家人の女性だった。
「……それで、娘は……?」
おそるおそる。そういった形容がふさわしい様子で男に尋ねる。銀髪の男は隣に座る男に目配せをし、それを受け取った金髪の男は床に置いたバックから一つの封筒を取り出した。
「これが、娘さんの家の郵便受けに入っていました。あなたがお書きになったもので間違いありませんね?」
「……はい」
女性は封筒を受け取り中を確認すると、俯くように頷いた。
「テセロ」
銀髪の男が金髪の男を呼ぶ。テセロはそれだけで頷き、バックからもう一つの封筒を取り出した。
「……それは?」
「娘さんの机の上にありました。ひとつは娘さんの書きかけの手紙。もうひとつはお母さんのもの、で間違いないですね?」
女性はそれを受け取り、中身を確かめてから再び頷いた。
「では、娘はやはり」
「亡くなっていました」
間髪入れずに銀髪の男が言う。テセロが「ガイアさん!」と小声で窘める。ガイアは全く気にせず、
「しかし、無事に塵に還しました」
ただただ冷静に言葉を続けた。
「娘さんの『命題』は恋人さんでした。その彼の『命題』も彼女でした。きっと幸せに過ごせていたと思いますよ」
ですからそんなに心配なされないでください、と。それが彼の不器用な気遣いであったことに、女性は少し遅れて気が付いて、少し笑った。
「ええ、ええ。そうですよね。先生が、お二人がいらしたということはそういうことですものね」
金髪の男、テセロはその言葉に力強く頷く。
「ここには持ってきませんでしたが、お母さんの手紙、すごく大事にされていたみたいですよ。寝る前に読み直していたんでしょうね、ベットのすぐそばに仕舞われていましたから」
「そういえば、娘さんの家にもそこのと同じ花が挿されていましたね。ガイアさんも見ましたよね?もしかしてお母さんが送られたものですか?綺麗な花だ」
テセロが表情をころころ変え女性に話しかける。こちらは器用に場を和ませる。最初こわばっていた女性の顔はだんだんと柔らかくなっていき、いつの間にか亡くなった娘の思い出話に花を咲かせていた。
「手紙が帰ってこなくなって、心配だったんです。もしかしたらって。でも、ちゃんと大切なものができたなら、幸せな生活が出来ていたなら、良かったです。死後に彷徨うこともなく眠れたのなら、良かったです。お二人とも本当に、ありがとうございました」
そう言う彼女の目は潤んでいた。そろそろ退き時か。
「では、そろそろ私たちは失礼します。もうご縁が無いことを、と願いますが何かあればまたお声掛けください」
ガイアは無造作に立ち上がり、やはり不器用な挨拶で切り出した。窓を見ればそこには室内の明かりが反射していた。つまりもう夜だ。
「む、そういえばご主人は?まだお帰りになっていないのですか?」
テセロがそういえば依頼主は老夫婦だったことを思い出し、なんとなく尋ねた。すると女性は一瞬ばつの悪い顔をし、すぐに笑い直した。
「あの人、あの子がもう死んじゃったんだって、それはもう荒んでしまって。多分どこかの酒場でつぶれているんだと思います。でもそれも今日で終わりです。主人が帰ってきたら噛んで含めて伝えますよ、あの子はちゃんと生き切ったよと」
「ええ、それがいい」
今度はガイアが強く頷く。バックを持ち、通ってきた玄関へと体を向ける。と、
「忘れちゃいけませんよ!小屋!窓!」
突然テセロが振り返り、伝えなければいけないことをすっかり忘れていたことを思い出した。
山小屋の件をしっかりと謝罪し、今度こそ玄関を出た。空はすっかり暗い。水分を孕んだ温い風が頬を舐めて、風の行方を追うように路地の先を見る。街灯に抱えられた橙色の炎が小さく揺れている。
「さて、今度こそ帰りますか~!」
テセロが猫のように伸びる。ガイアは頷いて、歩き出す。
「その前に、飯にしよう。組合への報告はどうでもいいが、腹が減ってはなんとやらだ」
「お、いいですね!じゃあガイアさんの奢りで!早速行きましょう!」