25-ひとつ、ふたつ、みっつ
二つの馬車が道を進む中、テセロは尻をついて座りながら、ずっと外を眺めていた。まっすぐな地平線まで続く草原と、時折蒔いたように広がる畑の麦の穂の色。あとひと月もすれば半袖でも涼しいぐらいの気候になって、もう三月もすればあの麦は収穫に入ったのかもしれない。
曲げて畳んだ身体を肩から反対側の腰まで、ぱっくりと斬り裂くように日向と日影の境界がはしる。後ろに流れていく景色を見るのをやめると、今度は近づいてくる景色の方を振り返った。その先にはアレクセイらが乗る馬車が小さくなることもなく大きくなることもなく走っている。
道中は特に語ることなく、されど退屈するような時間ではなかった。少なくともテセロは緊張していて、今にも馬車から飛び降りて目的地へと走り出したい気分だった(当然馬車の方が早いので、そうしなかったが、とにかくじっとしていられなかったのである)。
そうしてテセロが誰にも知られぬ葛藤をしている内に、次の村が見えてきた。日は真上を通り過ぎていたが、暮れ始めるにはまだ余裕があり、視界は十分に確保されている。
「あれは……」
幌から半身を乗り出すように村の方を見ていたクェスタンがぽつりと漏らす。
「どうした」
「既にウォールブ軍が到着しているようです。ん?……いや、あれは、ああ、そうか」
馬車から見える村の建物はまだ小さく、とても人を肉眼で捉えられるような距離ではない。クェスタンは自分一人だけが見えている物に対し、ガイアやテセロに説明しながらも、ひとりごちる。
「少なくとも、見える範囲にストレイはいません」
……最も、既に手遅れだという可能性はありますが。目を幽かに細め、心の中でそう続ける。
御者に少し急ぐよう耳打ちをする。馬車の速度が上がると、図っていたかのように先行する馬車の速度も上がった。きっと同じことを感じたのだろう。建物の模様がみるみるうちにはっきりとしてくる。
「止まれ」
とりあえず軍人の集合しているところに同流してみると、案の定呼び止められた。前の馬車からアレクセイが降り、先客の軍人、おそらく同僚なのだろう、と一言二言交わすと、こちらに来るようにとゼスチャーをした。その男はやってくるガイアたちの顔を流し見すると、再びアレクセイに向き直し話を続けた。
「俺たちもここに来たのはついさっきだ。一昨日ナチェの街を出発して以来、ゾンビどころかひとっこ一人とすら会っちゃいない。アレクセイ、お前はどの集落を見てきた?」
アレクセイは手に持っていた書類の束をその男に渡した。
「ケトの村にいたよ。何体も、あー、ストレイに遭遇したがこちらに被害はない。だが村人は全滅だな」
一瞬ガイアの方を盗み見るように目を向けたのはおそらく見間違いではないだろう。だがアレクセイと相対する男はその事など一切気にも留めず、アレクセイから渡された紙に目線を走らせていた。その紙に書かれているのはアレクセイがガイア達とウィアプールを出発して以来、つまり三日前から彼が書き留めている調査報告書だ。昨晩の夕食時にも今朝にも、要所要所でスプーンを持つ手をペンに握り変えていた。
「しかしお前、やけに村人の死に方に詳しいな。まさかとは思うが、そういうんじゃあないだろうな?」
疑い。片方の口角をわずかに吊り上げながら、冗談めかしたセリフを吐く。だがその眼球は真っすぐに目の前の男を貫いている。
「言うまでもないさ。そういうのは、もうずっと前に禁止になった。……話を戻すと、この人がな」
身体を開いて、目線を促す。促されるまま、その男は再度、今度ははっきりとガイアの顔を見る。
銀髪。どこまでも静かな翠色の瞳。人形のように無温の立ち姿。
「……ハッ」
唖然失笑。
「ガイアさんというんだが、初めて見たときは俺も驚いたんだが」
「死人に憑依できるってか?」遮るように言い当てる。
「え?なんで知ってるんだ?」
「……全く、何の冗談だよ」
手で顔を抑え、目の前にいる者への失礼など眼中にないとばかりに呆れて苦笑する。目頭の方を指で押さえながら顔をあげると、「ああいや、失礼」と謝罪した。そして、また唇に笑みを浮かべながら、持っていた書類をアレクセイに返した。すると今度は振り返って、後ろにいた他の軍人にこう呼びかけた。
「おい!デュアナさんを呼んできてくれ!」
「その必要はないよ」
男がそう呼びかけた瞬間、女の声が飛んできた。皆、その方角を反射的に追った。
「やあ、ガイア君。まさか遭遇するとはね。近くにいるだろうとは思っていたが、こうも近いとは」
思わなんだ。その声はとても落ち着いていて、声色とは関わらないところで、酷く低くて冷たい印象を受けた。深く瞼を閉じてから、声の主を視界に収める。それはすらりと地面に立っている。短い銀髪をさらに後ろでまとめ、瞳は森林をそのまま湖に沈めたような深く鮮やかな翠色。表情には一切の緊張も弛緩もなく、まさに自然体そのもの。右手に肘から下までしかない人間の腕を持っていることを含めても、異常なまでに自然であった。そしてその声と姿自体は違うものの、ここにいる誰もが、同じ印象を受けた。
この二人は似ている、と。
「久しいな」
「ああ」
どれくらいぶりの再会なのか、それはこの二人以外誰も知らない。だがそれにしたって、再会の言葉が淡白すぎやしないだろうか?2人の距離は馬何頭分もある。互いに棒立ち。互いに無表情。憎き会敵なのだろうか、と第三者は居心地が悪くなるほどだが、どうやらそうでは無いらしい。そう直観させるに足る柔和なミステリアスさが、この二人にはあった。視線を外したのは女、つまりデュアナだった。ガイアと共に来ていたという一同の面々をじろりと見回し、少し顔をそらしてから、目を閉じた。
「少し、ガイア君を借りるよ」
誰の断りも必要ない。右手に持った右手をはたりと返しながら、ガイアを招く。ガイアも無言で、それについていく。
「それで、何かわかった?」
進む先はなんてことはない空き地だった。デュアナはその場にいた何人かの軍人を追い払うと、持っていた腕を地面に――地面に並べられた死体の内右肘から下がない死体の――定位置に置く。
だがその死体は五体満足、とはいかなかった。いや、その死体だけではない。その横に転がった死体も、その隣も、その反対側も、その隣も。本来あるはずのそれがない。人間という種を万物の霊長たらしめた人間種最大の武器を内包した器官、いや、部位。即ち、頭部である。
肢体満足――四体満足――屍体満足。
「どう思う?」
決まっている。明らかに、おかしい。数えて14の死体の中には片腕を欠損したものもある。指の一本から脛の骨が露出しているものもある。だが全ての死体に共通して、頭部が欠損している。
「記憶を見たか?」
ガイアの問いに対し、デュアナはああ、と頷く。
「君も見てみるといい。脳がないから見えるのはほんの少しだがね」
そうすると、ガイアは並んだ死体の間隙を縫うように、さながら市場の商品の品定めでもするかのように、歩き始めた。死体の状態を見るためだ。
その並べられた死体は――いや、整頓された死体というべきか?兎角、その死体には至る所に傷があった。何かで断ち切ったような傷だ。まるで四肢を切り刻んでバラバラにしたような傷跡。そしてそれをパズルのように組み合わせたような跡。果たして、正解。
「ああ、見つけた時には既にバラバラだった。ご丁寧に部位ごとに別の人間のと入れ替えて家に放置してあった」
そして今、そのバラバラになった切断面は、その部分に幽かに白い靄を纏って仮止めのように縫い繋がれていた。
そして遂に、中でも状態のいい死体を見つけると、胴体を両手で持ち上げた。仮止めの腕は再び地面に堕ちる。だがガイアはそれを気にしない。見つめるのはそのまるい切断面。頭の生えていた、首の生えていた、切断面。それを頭よりも高い位置に持ち上げる。盃を拝すように、傾ける。口を開き、盃から溢れる赤黒い命の残滓を、取り込んだ。
途端、ガイアが膝からその場に崩れ落ちる。デュアナはなんてことはないとばかりに、その翠色の瞳で見続けていた。しばらく、ガイアを待つ必要がある。そう考えると、先ほど補完した腕に手をかざす。しばらくすると、ほんとうにうっすらと、肘の上と下の両方から白い靄がにじみ出てきた。じり、と砂の動く音がする。別たれていた腕が動いたのだ。離れていたものの再会が起こったのだ。それを確認すると、デュアナは再び手持無沙汰になる。
特にすることもないので、死体の並ぶその場に腰を下ろし、口に乾きかけた血の付いた手をあて、思考を練ることにした。