表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死霊の運び屋  作者: 織上
二章-黒霧紛都ウィアプール
20/26

20-偏重隔般

 黒い闇の奥に伸びていく朽木色の畦道。デコボコとジグザグを繰り返し、なおも夜に導きを落としている。時折吹く風がその道を往く一人の女の髪とコートをなびかせる。

 村はずれからさらに外れた道の奥。畑の端からさらに隠れた細い道の先。荒れた道のところどころに石が露出している。村からずっとずっと歩いたところに、夜闇の林の中にひっそりと浮かぶ民家があった。

 鍵はかかっていないようだった。木製の扉を開くと、蝶番のきいぃ、という音が煩く鳴った。

 裸眼で見るには暗すぎる。ランタンを再点灯し室内にようやく明かりを灯す。

 久しぶりの来訪者を歓迎するかのように、埃がランタンに照らされ雪のように部屋を舞い踊った。

 部屋の中央に配置されたテーブルにランタンを置く。ランタンの下部の突起に手を当て、次の瞬間にはランタン――のグローブ内に転がった魔石の発光が強くなった。部屋全体に白い明りが届き渡る。

 確保された視界で部屋を見回す。部屋は特に変わったところは無い。いや、だからこそ変わったところだらけだ。家の中に、物がある。

 フローリングの上に女の死体がある。机上に置かれた白磁色の花瓶には枯れかけたピンク色のランが一輪挿さっている。机の上を指先でなぞると、やはり埃がついてきた。そういえば、蠅が舞っている。壁にはヒマワリが刺繍されたタペストリーが飾られていた。

 台所の戸棚には鍋がいくつか収納されていた。包丁は布に包まれ丁寧に仕舞われている。竈の上に置かれた小鍋の中には、粥のようなものの残りかすと、鍋底を蛆が這いまわっていた。白くなった炭がその下にはあった。空になった水瓶が床に横たわっている。


 一旦外に出て、家の周りを観察する。

 台所の裏口から外に出ると、すぐ傍らに薪が積まれていた。特筆するものはない。

 木版の横向きに走る壁は夜のせいでその柔らかい色を発揮できていない。戸袋、ガラス窓、軒、屋根。村はずれの民家だからなのか、それ以外にも何か理由があったのか、村の中央圏の民家と比べると、その外見はいささかみすぼらしく映る。黒い林の中、弱い月光に照らされて、家のシルエットを褪せた黒に浮かび上がらせる。


 再び屋内に戻り、部屋を漁る。箪笥の中身を調べ、アクセサリーの類を探してみたが、それは無かった。衣服には期待できない。質素な物が多く、数も多くない。ベージュ色の毛糸のニットも、着れば暖かい程度で今は役に立たない。箪笥の一番上には、毛糸のかせがびっしりと詰め込まれていた。魔法箱のように色とりどりの毛糸が己の色を主張し合っている。

 その箪笥の上に置かれた裁縫箱には、マチ針や棒針、ハサミや糸のボビンが転がっている。

 「アニモ、か」

 ハサミの持ち手になった輪の内側に、文字が彫ってあるのを見つけた。おそらく、このハサミの持ち主、そしてこの家の住人の名前で間違いないだろう。

 リビングの窓際に草色のクッションがあてがわれたロッキングチェアがある。窓台には蝋燭の立てられた小皿が置かれていた。花の刺繍が縫いつけられた膝掛。おそらく、ここで彼女は多くの時間を過ごしていたのだろう。その窓からは林の切れ目が見える。丁度この家に来るための道を見ることができる。先ほど通ってきた道でもある。その先には、ずっと遠くに麦粒大のあの村が見える。だが景色はそれだけで、特に面白いものはない。なんとなく、ロッキングチェアの背板を押した。ごとごととフローリングで音を奏でながら、椅子が揺れる。

 ばさり、と窓の外で音がした。ガラス越しに、一羽のカラスと目が合った。夜を切り取ったような深い黒に、妖しげな紫色が艶めいている。カラスはピクリとも動かずに、目をそらさなかった。

 やがてこちらが目を反らすまで、そのカラスはこちらを見つめ続けていた。


 天井に張られた蜘蛛の巣。部屋を飛び交う蠅。外壁を這うトカゲ。不気味なカラス。

 屋外でびゅおうと風が吹いた。窓を叩き、壁の穴から隙間風が屋内を吹き抜ける。壁際の木版が黒ずんでいる。

 そういえば、家の中には蝋燭以外の明かりが無いのだろうか。ランタンもランプも見ていない。

 寝室に行ってみると、ベットサイドテーブルの上にランプがあった。だがそのランプも蝋燭を中に入れるタイプのもので、蝋燭のろうはもう溶け切っていたし、、それを囲うガラスはすすで汚れている。

 テーブル下の中途半端に開いた箪笥には本と手帳と栞が仕舞われていた。押し花の挟まれた栞だった。

 手帳をパラパラとめくってみる。



 『そして、私は太陽になる』


 『今日も、彼は来なかった。

  昨日も、彼は来なかった。

  その前の日も、彼は来なかった。』


 『この家に封じ込められてから、ひと月が経った。

  毎回、配給に来る人間が変わっている。

  ずいぶんと嫌われたものだ。

  まあ、それくらいのことはしたんだろう。

  けれど皮肉な話でしょう。

  人間はそのために生まれてきたというのに。

  知性を経て社会を持つと、

  人間は動物であることを忘れてしまうのかしらね。

  私たちは結局ケダモノなんですもの。

  けれどもケモノとの違いは、

  やはりその社会性なのでしょうね。

  いやそれとも、個体の幸福の追求なのかしら。

  欲を排することが人間という種の特権なら、

  それはおそろしい自己矛盾だ。

  矛盾して、嫌悪して、快楽に溺れて、

  恋をして、愛を求めて、愉悦する。

  この世界を変えることは、私にはきっとできない。

  勿論、そんなことを求めているんじゃあないけれど、

  私は使われるだけの操り人形になることはゴメンだわ。

  笑いものになるのも、同じぐらい嫌だわ。

  けれども、このままたまのをを断つのは、

  みじめに死ぬよりももっと嫌。

  死んでも死にきれないくらい嫌。

  だからいつか、おおきな旗を掲げて、

  復讐してやるの。』


 『最近、体が思うように動かせなくなった。

  この家に訪れる者も、一日に一度だったのが

  二日に一度になって、今はもう四日に一度しか来ない

  けれど、その人も随分と身体の細い人だったの。

  まるで病人みたいよね。その人の私を見る目、

  元々みんなに酷い軽蔑する目で見られていたけれど、

  その目は曇っていて焦点も合ってなくて、

  どこを見ているのか全然分からなかった。

  だから思わず笑っちゃったんだけど、

  そしたら鋭くて冷たい罵声が飛んできて、

  「ああ、こんななのにこの人たちは

  まだ私を許していないのね」

  って、もともと許される気なんてないけれど、

  村の人たちがなんだかとても可哀そうに見えてきたわ。

  それでまた笑っちゃったら、

  その人はしわくちゃの顔をすごく歪めて、

  私のことを魔女だなんだと罵って帰っていったわ。

  そう、私は魔女よ。

  林の中の家で、釜で復讐心を

  ぐつぐつ煮え繰り返してる、愚かで哀れで卑しい魔女。

  いつかきっと、彼は来てくれる。

  その時まで私はかぎ鼻を澄まして鳴らして、

  くつくつと嗤ってやるわ。

  だから、昨日吐いた血痰はなんでも無いの。

  みんなを呪い殺す魔法の釜に入れてやるの。

  肌がぼろぼろになっても関係ない。

  爪が割れても関係ない。

  髪がどんどん抜けていっても関係ない。

  視界がぼやけていっても関係ない。

  ベッドから出られなくなっても支障はない。

  おトイレにいけなくてシーツの上で

  溢れてしまっても支障はない。

  目からしょっぱい涙が出ているのは、何の意味もない。

  革命の旗をおおきく翻す。

  真っ黒のローブで村を闊歩する。

  怖くない。私は絶対に諦めない。

  死ぬのは、怖くない。』



 日記、だろうか。流し見てみたが、この家に住人が棲みついてから書き始めたもののようだった。

 ぱたりと日記を閉じ、元の箪笥に仕舞い直す。

 ベッドのシーツに触れてみる。気持ち悪く湿ったシーツだった。しわくちゃなうえに斑模様の染みがある。シーツの白色をそのまま濃くしたような色の染みや、黄ばんだ染み、真っ黒い染みなどが点々としていた。

 匂いを嗅いでみると、とにかく臭かった。鼻孔に入ってきた瞬間から嗅覚が本能的にそれを拒絶した。むせ返るような濃い匂いに、思わず顔を背けた。錆びた鉄のような匂いと酸っぱい匂い。それから栗の花のような匂いがした。今憑依しているのが女の体だからか、慣れればそこまで嫌悪感は無かった。

 「ふむ。ひとまずはこんなものか」

 あとは起きた後でいいだろう。

 最後にもう一度、手掛かりの見落としがないか部屋を見回ると、最初の部屋に戻ってきて、その床の上でうつぶせになって倒れている女を裏返した。

 上半身を持ち上げて、自身の顔同士を引き合わせる。額をすり合わせるように接触させる。

 間もなく、コートを着ていた女が突然、抱いていた女ごと床に倒れ込んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ