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死霊の運び屋  作者: 織上
一章-傘都ルーレウロ
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2-ストレイ・下

 「やはり、『命題』は恋人だったよ。こんなところまで歩いてきていたとは驚きだが、同時に幸運だ」

 翠の瞳をした男は今まで何もなかったかのように立ちあがり、そう言った。

 「背嚢は?」

 窓枠で揺られている女を片手で抱き上げながら金髪の男に問うた。

 「はい、ガイアさん」

 銀髪の男はテセロから片手で背嚢を受け取り、その中から丸められた紙を取り出した。紙の内容を雑に確認すると、その中央には魔法陣のようなものが縫われていて、それを囲い余白を塗りつぶすようにびっしりと文字が書きこまれていた。

 銀髪の男、ガイアは後ろを振り返り、ストレイと対峙する。あのストレイを見ていると起こった記憶の逆流はない。なぜならそれは今抱えている女の脳が失っていた記憶だからだ。ガイアの物ではない。既に彼女の脳との接続は断ったのだから、逆流する道理もない。

 「本当に幸運だ。明日わざわざ余計な一往復をしなくて済む」

 「ええ!ええ!ほんとに!」

 テセロの喜び方はひどく場違いだ。幼稚だ。死が交錯するこの場において、死と対局にある幼く生き生きとした雰囲気はむしろ褒めるべきなのかもしれない。

 「それに、彼女の『命題』はあのストレイ、彼の『命題』でもあるのだろう。こんなところまで歩いてくるのだからな」

 場違いなテセロを無視し、ガイアはストレイへと歩み寄る。赤黒い体で地面を舐めるように歩み寄るストレイ。ガイアとテセロの距離が十分に離れたことを確認すると、小脇に抱えた女を地面に置いた。すると女は地面に伏したまま、前方へと這い始めた。腕を地面に突き立て、頭を前方のストレイの方に向け、クモのようににじり寄っていく。あるいは、『ストレイ』のように地面を這っている。

 ガイアは二人の逢瀬を静観した。屍者の逢瀬を。死んでもなお引き合う男女を。記憶を喪っても遺ったお互いの記憶を。

 彼女の手が彼の手に触れる。そして絡み合う。互いを見つめ合うように顔を近づける。そして唇が触れあう。

 その人間の人生そのものと言っていいほどの重さを持った記憶。その命のタイトル。『命題』。

 互いが互いの『命題』になるほど思い合った二人を、ガイアといつの間にか静かになったテセロは見守った。

 ストレイに知能はない。だから、あれは本能が互いを求めているのだ。魂と記憶と知能が肉体から離れてもなお遺った互いへの思いが、あの光景を作り出しているのだ。まさに奇跡といっていいかもしれない。涙の一つでも流してもいいかもしれない。

 だが感傷には浸らない。二人の愛なんてどうでもいい。なぜならアレらは屍者だからだ。そしてここからが仕事だからだ。『命題』を取り戻したストレイを塵に還す。右手に握っていた羊皮紙の束を両手に広げる。紙の中央には赤黒い糸――ガイアの血が練り込まれた――で編み上げられた魔法陣と、紙いっぱいに書き込まれた文字。羊皮紙に力を籠める。すると、魔法陣が赤く光を放ち始めた。それを確認し屍体に向かって歩く。その目は冷たい。翠の瞳は波打たない。二つの屍体を静観しながら距離を詰める。右手に持った羊皮紙から青い炎が熾き上がる。炎がガイアの手に飛ぶも、熱は感じない。当然、肉を焦がす匂いを孕んだ煙がたなびくこともない。

 代わりに一歩ずつ地面を踏み固めながら屍体に歩み寄る。青い炎は一歩距離を縮めるたびに勢いを増している。そして足許に二つの屍体を見下すとき、紙全体を青い炎が覆っていた。ガイアはそこで手を放す。青い炎は重力に従って足許へと、二つの屍体へと落ちる。ガイアの手を焦がさなかった青い炎は、屍体に燃え広がった。

 ごおと音を立て、肉を焦がす匂いをたなびかせ、屍体を塵に還していく。

 赤黒いストレイから色が抜けていく。正しくは、人だった頃の肌の色を取り戻していく。そしてそのまま再び肉体を黒く焦がしていく。塵に還っていく。もうあたりは真っ暗になっていて、青い炎だけが闇夜に輝いていた。

 青い炎は消えることなく、二人の屍体を塵に還すまで、たしかに燃え続けた。死体は残らなかった。


 「お疲れ様でした、ガイアさん。これで明日帰れますね!雨が降らなかったら」

 「そうだな。雨が降らなかったらな」

 指をぱちんと鳴らすことで蠟燭に火をつけ、暗い山小屋にかろうじて明かりを確保する。今は雨期だから、いつ雨が降ってもおかしくない。日の出より前にここを出れば、昼前には機関車に乗れるだろう。

 背にあたる風を感じ、窓の方を振り返る。そういえば、窓を割ってしまったけ。

 「弁償のためにも、早く帰らないとですね」

 テセロも嘆くように言う。もともとこの小屋は今回の依頼主である老婦人、ストレイになった彼女の両親が手配したものだ。明日一番の鉄道に乗れば、明日の日暮れ前には街に戻れるだろう。

 そんなことを考えながら、椅子に腰かけたまま意識を落とした。

 太陽が昇ってしばらくして、二人は鉄道の車両に乗り込んだ。車窓からは、青い空と、草原の遠くに昨夜を過ごした小屋が見えた。それらが見えなくなると、空は鈍色になり、雨が降り始めた。

 そして二人が街に戻るころには、再び空は晴れ、雨は止んでいた。

「ふぅー。ようやく着いたー!」

 ん~っ、と背伸びをしながら、テセロが凝った体をほぐすように吐き出す。辺りは暗くなり始めていた。テセロが胸元から眼鏡を取り出し自身の顔に掛ける。

 「今日はこのまま家に帰りますか?それとも依頼主さんに報告?ガイアさんが疲れてしまったなら家に帰るでもいいですよ?」

 家に帰りたいらしい。ならば、

 「老夫婦に報告してからにする。事は早急に。山小屋の窓のこともある。行くぞ」

 「ええ~」

 ふたりは、長身の金髪と銀髪のふたりは、そうして街の喧騒へと溶けていった。


 曰く、人間は死後、記憶を喪うと言われている。魂が肉体を離れるときに連れて行かれるのだとも、単に脳が腐るからともいわれている。

 兎に角、人間は死ぬと生前の記憶が肉体から抜け落ちていく。そのせいで、人間は正しく死ぬことができなくなった。当然だ。人間は皆何者かになりたがっている。何かになりたくて生きている。誰かに、何かに覚えていてほしくて生きている。

 だが死んでしまってはそれは不可能だ。人生の名前。その命のタイトルである『命題』を喪ってしまうからだ。名前のないものなど覚えることはできない。何にも引っかからないまま落ちて暗闇を彷徨う。

 だからこそ、その人生には名前が必要だ。その人生の名前を思い出さなくてはいけない。

 その人生において最も価値のあった記憶を認識させる。

 そして人間に正しい死を与える。

 屍体を正しく塵に還す。

 死した魂を在るべき処に送る。


 それが、彼らの仕事だ。

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