19-焚火の煙
「あら、ガイアさんはどうされました?」
テセロとミエルが広場に戻ると、既に調査を終え戻ってきたらしいクェスタンが2人を出迎えた。
「もう少し調査してみると言ってどこかに消えてしまいました。明日の朝には戻るそうです」
拗ねた子供のように、大きくため息をこぼしながら地面にへたり込む。
「ははは、あの人らしいですね。ところで、もう日が落ちて長いですし、今日はこの辺りで野営するという話がこちらで出ましたが、お二人はどうなされますか?」
拒否する理由もない。それにガイアにも同じようなことを言われている。同意する旨を伝え、やがてガイアを除いた5人が揃うと、一行は村の外で待機させていた馬車に戻り、野営に適した場所まで少し移動した。
「それ、重くないの?」
野営地に着き、テセロが背負ったガイアを降ろしているところを眺めながら、ふとエレーナが尋ねた。
「意外と重くないですよ。ガイアさんが軽量化の魔術をかけてくれているので」
その答えに納得していないのか、エレーナはふぅんと小さく鼻を鳴らすと、縛られたガイアをじっと見つめながら沈黙した。しばらく黙り込んで思考していたようだが、やがて解決したようにふいに顔をあげ、馬車に積んだ荷物を降ろしに行った。
「とりあえずご飯を作りましょうか。報告はご飯を食べながらにでも」
というアレクセイの呼びかけにより、一行は夕飯の支度を始めている。随分と遅い時間になってしまった上、村じゅうを歩き回ったせいで相当疲れているが、飯とあらばサボタージュする輩はいない。
「あ〜、水。村の井戸からもっと汲んでくれば良かったわね」
「水生成のスクロールなら馬車の中にありますよ」
「あら、そうなの。なら水筒に汲んで来た分は後で
コーヒーにでもしようかしら」
アレクセイが馬車からスクロールを取ってきて、それを鍋の上で握り込むと、唐突にスクロールが濡れ始め、水が滝のように鍋を満たした。そこにエレーナがすかさず豆を流し込む。ミエルが切っていた根菜も入れ、火にかける。
働かざる者なんとやら。働きアリもかくやというほどにてきぱきと支度を済ませ、焚火を囲んでの食事の席がほどなく完成した。もう何度もこうしているかのようなチームワークであった。
「……まあ、昨日と同じですけどね」
その通り。実は昨日と同じである。ビーツを始めとした根菜と沢山の豆、それから干し肉の入ったボルシチである。
真っ赤なスープの上にごろごろ転がった豆と野菜。発色のいいスープが具材の色を鮮やかに引き立て、食欲をそそりやがる。深底のボウルからほくほくと立ち上る湯気。それが鼻を抜け脳と口の味覚を司る部分を貫き、思わず涎が垂れてしまう。何度食べても飽きず美味しい、ウィアプールから少し北上した街の郷土料理だそうだ。
食事の用意が完了すると我先にと席に着き、スプーンいっぱいの一杯を口に放り込んだ。
口にした途端、まず舌を刺すのは熱だ。火傷しそうになるほど熱いスープが舌先から喉の奥までを横断する。干し肉に含まれていた塩味がスープに溶けだして、真っ赤のスープに程よい塩味を滲ませている。口の中で蒸発したそれが口の中を満たすと、思わず口が開き、ほくほくと湯気を逃がす。開かれた口から真っ赤な海が覗いている。口を閉じると海が対流し、次々にそこを流れる具材が触感を連れてきた。豆の薄皮を噛みきり、中の滑らかなペーストを歯の間に貼り付ける。根菜のしっかりとした歯ごたえと孕んだ熱が奥歯に伝播していく。その全てに程よい塩味と甘味があり、最後にその調和をもたらした干し肉が奥歯でそのうまみをガツンと爆発させた。
うまみが連鎖し、もはや生き物めいた多様な味のコンボが口の中で生まれた。
煮込むだけでこの美味しさ。料理は人類史の偉大な発明であることを再認識せずにはいられない!
「それでは、さきほど見つけたものについて、こちらの班からは私が説明しますね」
忘れてはいけない。今何をしているのかを。美味を堪能するのもほどほどに、村で見たものの報告会が始まった。まず最初に説明を始めたのはクェスタンだ。集会所の中の状況、広場の端にあったネズミの死骸、それから調べた周辺の民家はもぬけの殻で生活の跡が全くないこと。
「え、そっちの家も何もなかったんですか?」
別方向の家を調べていたテセロとミエルが、思わぬ共通点に顔を見合わせた。
「そっちもとは?」
「実は、私たちが調べた民家の中にも、物がひとつも無かったんです。服も鍋すら無くて」
調査中から抱えていた違和感、それが明らかな違和になる。疑問が疑念にかわる。あきらかに、不自然だ。
「集会所の中にあったという服とかが詰め込まれた部屋、もしかすると本当に村じゅうの物を入れていたのかもしれませんね」
集会所の一室。服も鍬も鏡も、雑多なものが足の踏み場もないほどにごっちゃになってぶち込まれた部屋。たしかに、村じゅうの荷物を詰め込んだぐらいの量はあるかもしれない。
「でも、何のために?」
全員の顔に疑問符が浮かんだまま、スプーンを運ぶ手も止まり、その視線だけが目の前のゆらゆら揺れる炎に注がれる。
「あ、火」
火の粉が弾けるように、テセロの顔が勢いよく上がる。
「アレクセイさん、この村に誰かが既に来ていた可能性はありますか?」
「はい?」
「調査中、道の上で何かを燃やしたような跡を見つけました。誰かが魔術を行使した痕跡かもしれません」
スプーンをピンと突き立てて、追加の情報を共有する。だがアレクセイの顔は難しいものだった。
「……いや、分かりません。我々はどの村にどのパーティが調査に向かったかまでは管理していません。だから誰かがこの村に来ていたとしても、分かりません」
「……そうですか」
思うような返答が帰ってこず、テセロが持ったスプーンはそのまま宙を舞い、半分ほどになった豆のボウルをぐずぐずとかき回した。
誰かがこの村に来ていたのかもしれない。それなら、その誰かが村じゅうの荷物をあの部屋に集めたのかもしれないと考えたが、確信には至れなかった。
「でも、もしその誰かがこの村に来ていたとして、その人は途中で引き返したんですよね?現にストレイは我々がここに来るまで村に跋扈していた。その状態で村の荷物を集めて回るなんて事が出来たとは思いませんし、理由も意味不明です」
「あ〜、たしかに。じゃあやっぱり村の人達がやった事なのかな。……でもやっぱり理由が分からない」
考察は堂々巡り。だが情報は一通り共有できた。ガイアの言う通りこの村の人間の死因が感染病だとして、では感染源はなにかという議論も浮かんだが、結局まとまった推論は出なかった。誰かの木のスプーンがボウルの底でからりと音を立てるのを合図として、報告会は一旦の解散となった。
食事を終え夜が深くなってくると、ぐっと気温が下がった。川沿いというほど川から近くは無いが、肌を突き刺す風は冷たく服を貫いてくる。木の葉がかさかさと風に擦れる音がひっそりと奏でられる。黒い雲に淡い星の光が染み込んでいく。
一行は熱源の個数を増やし、当番制で見張りを立て、交代で寝袋にくるまった。
「交代の時間ですよ。ミエルさんも起きたみたいです」
今まで見張りをしていたエレーナの背中に声が投げられる。座り込んだ背中がびくりと跳ね、心底驚いたような顔をして振り向いた。
「……アンタ、なんで起きてんのよ、クェスタン」
エレーナが振り向いた視線の先、声の主たる芋虫のような寝袋がにゅるっとその半身を持ち上げた。
「本?よく読めるわね。こんな暗いのに」
芋虫から羽化するように起き上がったクェスタンの右手には、焚火で表紙をぼんやりとあずき色に照らした小説が抱えられていた。動かさなかったため凝っていたのか、クェスタンが首を左右にねじると、付随して彼のポニーテールの影もゆらゆらと揺れた。
「実はかなり夜目が効くんですよ、私。夜でもすんなり読めます。体が凝ってしまうのは融通が効かないところですが」
本をぱたんと畳み、目を細めて笑った。今まで読んでいた本のその表紙には『羽化』と書かれていた。
「それよりもエレーナ、何をしていたの?」
寝袋から出てローブを着、交代の準備が完了したらしいミエルも会話に参加してくる。
エレーナが何をしていたかというと、物言わぬ銀髪の置物の手を握っていた。
「……いや、皮、剥がれてないなぁ、って」
もう一度ガイアの方へ向き直り、掌をなでるように確かめる。
「……え?」
「どういうことですか?」
「アンタ軍人でしょ。……まあいいわ。理解力はありそうだし」
背中を火に照らしながら、エレーナは零すように続ける。
「ほら、魔術ってようはイメージの具現でしょ。詠唱によって使用者の思考にある程度方向性を強制的に設定することはできても、それでもイメージできないモノは魔術として具現化できない。私たち浄者が使う止結の報せも、他の魔術とは系統と源流こそ違えど同じ魔術という系譜であることに違いはないわ。屍者を浄炎にくべる止結の報せという魔術を行使するときの私のイメージは『死』そのものよ。それでも完全にはイメージできない。だから体の肌の一部を剥がしかつて私だった死んだモノと捉えることで、ようやくこの魔術を行使してる」
ほら、と言いながらエレーナは掌をクェスタンの方へ差し出した。細い指が生えた掌の中央が赤色を訴えている。冷たくなって赤いのとは全く異なる、見ているだけで痛みを伴うような赤。彼女の言葉通り、掌の皮が剝がれていた。ちらりと眼を横にやると、両手を体の前で合わせているミエルが俯いて立っていた。彼女のその手の裏側も、きっと赤い痛みが貼り付いているのだろう。
「浄者だって、誰でもなれるわけじゃない。言ったでしょ、あの魔術を行使するときに私は『死』をイメージしてるって。ミエルもそうでしょ?」
ミエルが俯いたまま首肯する。影になってよく見えないが、その顔は少し、つらそうな雰囲気が流れ出しているように見えた。
「きっと他の、いいえ、浄者の全員がそう。私たちは皆、一度死んだ事があるの」
クェスタンが目を見開く。
「勿論、ほんとに死んだワケじゃないわ。死にかけたの。もう死んだんじゃないかってぐらい死にかけて、生死を彷徨った事があるの。『死』そのものをイメージできるぐらいにね」
首を動かして、ミエルを見た。彼女は先ほどから変わらず俯いている。その沈黙は、肯定と判断するのに充分なほど静かすぎた。三人の背で焚火がぱちりと音を立て、積木になった薪木が崩れる。
「――つまりね、彼は、ガイアって人は、きっと『死』を完璧にイメージできるんでしょうね。詠唱はおろか、代償すらない。ほんとう、彼は一体何者なのかしら」
音を吸い込む風の中、焚火の煙がまた薪を吹き飛ばした。たなびく煙は星空に透かされて消えていく。
夜はまだ、深みを増していく。
クェスタンが持ってきた本は全部で6冊です。うち二冊はすでに紹介しましたね。ここで三冊紹介します。
一冊目、『羽化』の内容は、Aさんのことを執拗に執着して偏愛しているB(主人公)が、Aの肌、髪の毛、眼球などの体の一部を少しづつ自分に取り入れ、やがてAそのものになっていくというサイコホラーです。
二冊目、『身綴の園』
白い病室と、窓から見える庭園までしか世界を知らない難病の少女の架空の闘病記です。面会に訪れるたくさんの人との交流を通して彼女は「自分の生きている意味」を見出していきます。のちの世界で何度も映画化されるぐらいのロングセラーです。
三冊目、『富国強兵~他国文化を取り入れろなんてお前は売国奴だと罵られ追放されました。元祖国が武力侵攻されてるらしくて戻ってきてほしいと嘆願されたがもう遅い~』
サブタイがあらすじ定期。新聞の人気評論連載コーナー「列強になろう」にて連載中です。