16-夜と霧とゾンビパニック・下
ガイアが村の中へと入っていってまもなく。残された者にも、迷いはなかった。
まずはクェスタンが駆け、ポケットから小瓶を取り出す。それを手袋の掌についた金具に打ち付けた。ガラスが割れ、中身が飛び出す。中身は黄色の魔石だ。クェスタンはそれを舐め、唾液によって湿らせる。次に掌を勢いよく合わせる。両方の手袋についた金具によって魔石は砕け、細かくなる。手をすり合わせる。魔石を手にすり込むように手を握る。それからその両の手を地面に添わせる。口を開き、息を吸い込み、言葉を紡ぐ。
「――”契機に応えよ。示し、結び、繋ぎ、集え。離し、震え、集い、褪めよ。我に祝福を授け給え”――」
瞬間、地面が犇めく。荒い土の表面が艶めく。乾いて割れた地面が埋まる。泥に変わる。
ぐにゃりと泥が集まって、地面の上を滑り出す。水面下に何かがいるかのように、確かな意志をもって泥の波は盛り上がり、ストレイの方へと奔る。そして足許を全て泥に変えると、その足にまとわりつく。ずぶっと、赤黒が沈む。ストレイの動きを封じると、いきなり泥は艶めきを失った。一瞬で土に戻った。
「今です!」
地に掌を当てたままクェスタンが叫ぶ。呼びかけはその背中に。後ろから少女が2人駆けだす。クェスタンを追い越し、ストレイに肉薄する。腕を胸の位置まで上げ、瞳を閉ざし、掌を天に向ける。
「――”始まりに水と風。源に火と土。核に楔を。星に祈りを。虚ろなる灯に導きを。大地の祝福を顕し給え”――」
二人の少女が言の葉を編み上げる。掌から熱が産まれ、掌の肌が少し、剥がれる。どこからともなく青白い炎が誕まれる。掌で抱かれるようにそれは揺れ、大きくなる。腕を頭の位置まで振り上げ、振り下ろす。投げ下ろされた青い炎がストレイに打ち付けられる。燃え移り、燃え広がる。
朱色の世界に青い火が灼きつく。
全ての屍者が、灰と化す。
「お疲れ様です」
アレクセイが労いの言葉をかける。
「お二人も、浄者としてのお仕事、ご苦労様です」
クェスタンが手袋についたガラスの破片を落としながら、ミエルとエレーナにも声をかける。2人も服に跳ねた土を払いながら軽く返す。
先ほど彼女らが行使した魔術は止結の報せ、ガイアから渡されたスクロールに刻まれた魔術と同じものだ。だが彼女らはスクロールを使わなかった。いや、正確にはスクロールを渡されなかった。なぜなら、彼女たちが浄者だからだ。浄者とは、止結の報せを魔法陣なしで行使できる者が、魔術組合や冒険者組合などからの認可を得て名乗ることができる職業であり、その総数は多くない。浄者らは過酷な冒険の地で死者が出た時や、宗教的な理由で重宝・支持される。
「さて、ならガイアさんの方に行きますか」
手袋をはめ戻し、村の方を見た。ここから見る分には、村の方では何も起きていない。村の中にいたストレイはこれで全部だったのだろうか。
「テセロさん、行きますよ?」
振り返ると、テセロがまたぼうっとしていた。何度か呼びかけるとこちらに気付き、小走りで距離を詰める。模倣したような情景だ。ともあれ、5人が揃い村の中へと歩いて行った。
村の中にストレイはいなかった。あたりはしんと静まり返っていて、人の気配が全くしなかった。
もうじき陽が落ちる。人のいない家々だけが朱く照っていて、その斜陽がひどく冷たく見えた。
ざっ、と音がして振り返る。すると人影が一つ、家から出てきて夕日をその背に浴びた。正面は影になっていて良く見えない。だがその輪郭は、片方の肩ががっくりと不自然に落ちているその姿は。反射的に構える。なぜならその立ち姿は先ほど対峙した屍者のそれで――――
「待て。私だ」
「キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!」
「私だ。伝えたはずだろう」
「マタシャベッタァ!!!!」
「……」
絶叫したのははじめにアレクセイ、次いでエレーナである。
「ガイアさんですよね?」
「ああ」
クェスタンが確認をとると、その屍者は首肯した。ミエルがもう一度聞くと、はやり頷いた。そこでミエルとエレーナは、冒険者組合でそんなことを言っていたことを思いだした。「あぁ…」と声を漏らし、その場にへたり込む。エレーナはどうやら腰を抜かしてしまったらしい。ひとしきり叫び終えると、アレクセイも状況を理解し始め、初めて会った時、キイスに『葬儀屋』のこと、『死体に乗り移る男』のことを吹き込まれたことを脳が思い出す余地が生まれた。よく見てみると、その屍体の女は二本の足でしっかりと地を踏みしめている。口は上唇と下唇をくっつけているし、目玉はたしかに――片眼が外れているものの――焦点を合わせ、その視線には意志があるように感じられた。なるほど、確かにストレイとは少し違うように実感する。
「それは、ちゃんと見えているん、ですか?」
アレクセイはとても慎重に尋ねた。
「いや、ぼやけていてほとんど見えん。だが何があるかは見分けがつく。安心しろ。問題はない」
問題無いのか。まあ心配要らないという事で、アレクセイは納得しておいた。元が銀髪に翠眼という、あまりに珍しく奇怪な見た目なものだから、そういうこともあるのかと、妙な説得力を感じた。あ、
「そういえば、あなたが本当にガイアさんなら、元の身体はどうしたのですか?」
「む。ああ、それなら」言って、出てきた家にもう一度入り、中から男を引きずり出した。その男は銀髪で、たしかに先ほどまで動いていた男だった。だが今はぐったりと項垂れ、まるで眠っているような、あるいは抜け殻のように見えた。女がこんなにも雑に扱っても起きないのだから、少なくとも意識は無いのだろう。
「テセロ。これを頼む」
呼ばれたテセロは「あ、はい」と返事をして、背中から背負子をおろし、ガイアの身体を縛り始めた。
「それで、そちらは結局何体いた?」
テセロを見ながら、ガイアが聞く。何体?質問の意味が分からず、ミエルたちは互いの顔を見合わせた。
「31です」
質問に答えたのはクェスタンだ。ガイアは「そうか」と小さく呟いて、それから少し考えるようなしぐさを見せた。そしてようやく口を開いたと思ったら、「そうか」と先ほどよりも小さな声で口にした。
「ストレイの数です」
主語のない会話に未だ内容の見えてこない者たちにクェスタンが答える。
「え?あの一瞬で数えられるんですか。すごいですね」
「まあ、そういうのは得意なので」
ミエルからの賛辞に、クェスタンは帽子のつばをつまんで薄く笑う。
「それで、それがどうしたんですか?」
「ああ。ならまずは、私が今何を見て来たかについて話そう」