14-霧の都ウィアプール
鉄道に乗ってから三日が経った。鉄道は夜になるか中継駅にたどり着くかで(走り始めて丁度二回目の夜になると予想される地点に中継駅が建設されていたが)一時停車し、翌朝再び動き出す。朝と夜に車両で提供される食事は決して良い味とは言えず、香辛料の辛みは感じるものの、それ以外の味が殆どなく、腹は膨れるがそれ以上でも以下でも無いという感想だった。飲料の類もテセロ曰くまずまずとの事だ。さらにはウォールブの宣伝文句にあった「ウィアプールとルーレウロをわずか一週間で繋ぐ」というのはどうやらデマゴギ―だったようで、一週間たってもウィアプールに着くことはなかった。
テセロは暇を持て余しすぎて、昨日などは「人、未知を恐るるなかれ」などと言って茶葉抜きで紅茶を煮出す実験をしていた。当然、味がしなかったために観念し、持参していた茶葉で煮出した紅茶を飲んでいた。
クェスタンは相変わらず本を読み、どうやら三冊目に突入していた。題名は『玩具と鉄騎士』だった。因みに内容は、甲冑の内側に無数に生えた棘や針金によって、姫様の趣味で選ばれた複数人の騎士が拷問を受けるという、正真正銘のスプラッタである。
さて、ガイアはというと、特に何もなく、じっと外を見ていた。
宣伝文句である一週間の二倍、ルーレウロを出立してから二週間。ついに一行はウォールブの首都ウィアプールの地に降り立った。
「おお……おお?」
石畳で舗装された駅前広場。灰色に染まった空。道行く人は黒い外套に身を包み、嘴のようなマスクで口元を隠していたり、帽子の影に隠れて殆どの者の顔が見れない。陽が落ち始めるのにはまだ早い時間だというのに街灯からは白い光が漏れ、周囲の空気に散乱して濁っている。
霧が街を包んでいる。空は無彩色で雲一つない。そびえ立つ建物はぼやけ、その屋上かあるいは屋根などはもう霞んで見えない。黒い霧がこの街を覆っている。行き交う人も、生える建物も、その黒を吸い込んでますますモノクロに彩られている。街が黒い霧に紛れている。雰囲気も硬く重く、空気も全く澄んでいない。
「ケホッ、ゲホッ」
テセロが咳き込む。どうやら空気は汚くもあるらしい。できるだけ鼻で息をするよう指示し、三人は歩き出した。
事前に知らされていたウィアプール中央冒険者組合までは、そう長い時間はかからなかった。そこに近づくにつれ通行人に慌ただしい者が増えてきて、途中からは地図を見ずとも行くべき方向が分かった。そしてたどり着いた目的地。霧の中の灯のような建物だった。窓から漏れる黄色い光を周囲に吸わせ、霧の中に佇む石と木と金細工で着飾った荘厳な屋敷。看板には『ウィアプール中央冒険者組合』とある。三人はそれを確認して、中へと足を踏み入れた。
中はおもちゃ箱をひっくり返したように人が動きまわっていた。ローブや白衣、それから軍服まで、多種多様な職業の人間がごった返しているように見える。
「おい邪魔だ!どいてくれ!」
入り口で突っ立っていると沢山の書類を大きな木箱の中に抱えた男に怒鳴られてしまった。すまん、と言ってそこをどく。それからなんとかして受付を見つけ、そこの受付嬢に声をかける。
「ルーレウロから来た派遣の者だ。状況を教えろ」
告げると、すぐに別の部屋に案内された。そこでしばらく待っていると遅れて二人の少女が入室し、さらに遅れて二人の男がやってきた。その少女たちは二人ともローブを身にまとっていて、男の方は軍服である。軍人の片割れはこちらの面子を一瞥して、最後にクェスタンを見ると一瞬ぎょっとするような顔をした。案内された部屋には机も椅子も無かったが、どうやら席が埋まったような雰囲気がした。
「えー、遠路からのところお疲れとは思いますが、見ての通り時間も人手もない。皆さんにはここにいる5名で一時的にパーティを組んでいただき、ゾンビの対処に向かっていただきます。遭遇したゾンビは……」
「おい!」
軍人が説明しているところを、もう一人が妨げる。耳をつねり耳打ちをする。その軍人は、先ほどからガイアとクェスタンをちらちらと見ていた男だ。耳打ちの内容を聞くと、もう一人も顔をぎょっとして、苦い笑いで発言を取り繕い始めた。
「し、失礼。『ストレイ』ですね。ええ、遭遇したストレイの対処は皆さんにお任せします」
どうやらここに集まったメンバーとその身分について、彼らは知らないようだった。ガイアもテセロも、まだ何も言っていないし、言うつもりもない。ストレイをゾンビだということについて、この場では何も思わない。ウォールブではストレイを一般にアンデットと呼ぶ。そしてストレイの祓い方は未だ確立されていない。棺を命題で満たすことは教訓から習慣化された文化であり、手段と目的はもはや逆転し見失っている。命題を取り戻させるという行為は、ストレイにならないためという行為に置換されている。ストレイを塵に還すという考え方すら一般には存在しない。「死んでいるクセに未練がましくこの世にしがみついている悪霊」程度にしか考えられていない。
それはガイアとテセロが最もよく分かっていた。だから、何も言うつもりはない。感情は切り離す。
「ええ、では私は失礼しますね。ではご健闘を」
「あ、おいキイス!」
「俺だって忙しんだ!今だって自分の研究の荷物をとりに帰ってきただけなんだぞ!ったく、なんでこんな……」
キイスという男はどうやら研究者で、とにかく落ち着きがない。ずっと視線が空間を飛び回っている。
「とにかく俺はもう行くからな」
苛立ちを隠さずに言って、「ああそれからアレクセイ、お前、水生成系のスクロールは多めに持って行っておけ」と低いトーンで続けた。
「水?まあ持っていくつもりだがいきなりどうした?」
もう一人の軍人――アレクセイが聞き返す。するとキイスは舌打ちして、「いいから!」とちぐはぐなトーンで言い捨て、部屋を出ていった。
「ああ、では改めて。私はウォールブ陸軍所属、アレクセイです。この度、皆さんの案内役として同行させていただきます。只今冒険者組合と軍から、皆様へ提供する支援物資の準備をしております。ご用意できるまでまだしばらくかかるかと思いますので、その間に皆さんで自己紹介でもしてお待ちください」
自分にもやることがあるからと、アレクセイは退出した。
部屋に残された5人。ガイア、テセロ、クェスタン。そして、少女2人。3人と2人の間に面識はない。
長身の男三人。三人が三人とも、無表情であったり、筋骨隆々であったり、細身だが妖しい色気が漂っていたりと、少女たちを警戒させるには充分だった。よって、彼らから自己紹介が始まった。先鋒はクェスタンである。
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「そ、それじゃあ私、ですね」
一歩前に出たのは枯草色の髪を頭の下で結んだ娘だ。
「私の名前はミエルです。クロンツェウロから、魔術組合より浄者として派遣されました」
ふんわりと、たおやかに頭を下げた。簡潔な自己紹介が終わると、入れ替わるように次の娘が前に出る。
「エレーナです。同じく浄者として、ワンダリオンの冒険者組合より派遣されました。祖国を離れるのは始めてなのでご迷惑をおかけするかもしれませんが、何卒よろしくお願いします」
金髪を肩の位置で切りそろえた少女がきびきびと頭を下げる。2人とも、カーキ色のローブを身に纏い、スネは半ばまでを覆う丈のワイン色のブーツを履いている。
「ん、もしかして同じ列車に乗ってましたか?」
テセロが質問すると、2人は首肯した。クロンツェウロはルーレウロの北東、南槍山脈を挟んで隣接している。ワンダリオンは、クロンツェウロからずっと北に行ったところに位置している。そのあたりからウォールブに行くには(山越えをしない方法をとるなら)必ずルーレウロを経由する必要があり、ならばウォールブ横断鉄道を利用するのが妥当だろう。どうやら同じ列車の違う車両に乗っていたらしい。だが2人は同じ車両に乗っていたらしく、道中で打ち解けたそうだ。
それから互いの能力や持ち物についてのすり合わせを行った。
「なんていうか、その、すごいですね……」
ガイアが死体に憑依できるという事を言った時の彼女らの反応である。始めに言っていることが理解できないという顔をし、次にガイアと周囲の大真面目そうな顔を見て意味が分からないという顔をして、最後に信じられないという顔をした。
そうしているうちにアレクセイがザックを背負い部屋に戻ってきて、準備が出来たと告げた。外に足を用意してあるという彼の後をついていくとそこには幌のついた馬車が二台ある。6人でひとつの馬車に乗ると少し、というかかなり窮屈だ。結果、ミエルとエレーナの二人は元々荷物のみを乗せる予定だった馬車に移った。アレクセイによると、今から向かう目的地まで、この馬車に二日ほど揺られるらしい。なんでも、直ぐに生ける範囲はあらかた調査が終わっており、かつストレイは発見されていない。そして、既にストレイの大量発生が確認されている街、そしてそれが未調査の街はウィアプール中心街からそれくらいの距離の街ばかりだという。
石畳の上をからりからりと音を立て、馬車が動き出す。街をぼうっと隠す霧の中をガイアたちは進み始める。