11-葬儀屋・上
空には曇天が満ちている。混じり重なり覆い尽くす雲の上を太陽が横断し、見えぬうちに陽は傾き、気づかぬうちに世界は明度を失っていく。
二人と一匹が並んで歩いているその道も、例外はなく暗くなり始めていた。
そしてルーレウロの都市街の入り口に着くころには、街灯が十分にその存在意義を主張していた。
「存外、時間がかかってしまったな」
そうぼやくのは雨外套のフードを目深にかぶった男。
「だから言ったじゃないですか、ガイアさん。まず馬車を拾える大きな道に行くべきだって」
返すのは背中に男を抱えた金髪、テセロであった。
むぅ、とガイアが唸る。どうやら随分と長い時間長い距離を歩いてきたようで、しかし二人の顔に疲れた様子はなかった。特にテセロは大人一人を抱えて歩いているのだから、その体力は底が知れない。一方のガイアも、格好のせいかその立ち姿からは幽鬼を想像させるが、その実足までしっかりと生えていて地面を踏みしめているようだった。
「依頼の報告は今からだと少し遅いですね。伺っていいものか」
「翌朝にしたところで、朝からこういう話をしたがるものはいないだろう。だから今夜済ませる。その前にテセロ、君は警備隊を連れてきてくれ。これをどうにかしなくちゃ私は入れないからな」
ガイアは背中のザックを指さして言った。そこに入っているのはサリムの銃だ。いくらガイアでも、無許可でこれは持ち込めない。
「猟犬はひとまず私が見ている。君が帰ってきたら返しに行こう」
テセロはは〜いと返事をして、一足先にルーレウロの街へと入っていった。
しばらく待って、テセロが警備隊員を数人連れてくると、ガイアはザックを降ろし、ポーチの中にある銃を他の通行人には決して見えないように確認させた。それから銃弾の入った腰袋を警備隊員に引き渡す。これで、そういう意図はないことを証明した。
「悪いがこの銃だけは渡せない」
その言葉は警備隊員全体にではなく、そのうちの一人、軍服と左耳につけた青いピアスが良く似合う男に向けられていた。
「はい、分かりました。銃弾はこちらで処分しても構いませんね?」
困惑する他の警備隊員だったが、その男が「いいんですよ、彼は。大丈夫、信頼できますから」と言うと、それ以上は口で抗議せず、ただ目線でガイアを疑うのみになった。
「ああそれと、その猟犬も私が返しておきましょうか」
今日借りた猟犬は実は警備隊のものであるため、その申し出は実にありがたいものだった。
ガイアが握っていた猟犬の首輪をその男に渡す。
「今日はありがとうな~たすかったよ~」
テセロが軽く頭をなでてやると、猟犬は目を細め、わずかにその尻尾を揺らした。
「助かる、クェスタン」
名前を呼ばれた男は何も言わずその身を翻し、軍帽のつばをくいっとつまんでから薄く微笑み、他の警備隊員を引きつれ去っていった。
「さて、」
再び二人になり街に入ることができた一行は、休む間もなく街の西側住宅区へ、依頼主の家へと直行した。夜になっても相変わらずここの蒸し暑さはひどい。夜になり気温がやや下がってもなお肌に纏わりつく空気は変わらず気持ち悪いぐらいに温い。そこらに散乱して突き刺さっている街灯や道の端に生えている蝋燭にはところどころ羽虫が群がっていて、その羽をじりりと焦がし地に落ちていくものもいる。街を歩くには少し暗い夜道。
迷うことなく二人は目的地であるアイシェたちの家に到着し、テセロがノッカーを叩く。しばらく待てば奥から足音がして、扉が開く。そうすれば女性が出てきて、一瞬、驚く。そして、扉の横にいる金髪の男の顔と、その後ろに抱えられた男を見るやいなや、
「サリム!」
扉から飛び出し、目の前の男に抱きついた。
その男は雨外套のフードを目深に被っていて、外見から個人を特定することは難しかったのに。
勢いよく抱きつかれたせいか、後ろに反れた影響でフードが脱げる。そこには、白髪交じりの黒髪と黒い瞳をはめた男の顔があった。
アイシェはそのまま目の前の男をぎゅっと抱きしめ、離そうとしない。そこに、
「アイシェさん、私はサリムではありません」
彼女の肩に手を置き、ガイアが諭すように丁寧に言葉をかける。アイシェははっと我に返り、今一度、隣の金髪で長身の男と、その後ろの銀髪の男を見る。表情が驚愕のものに変わる。ガイアが両手で彼女の抱擁をほどき、やさしく距離を空ける。二人の間に距離ができるとアイシェも状況を理解しはじめたようで、無意識のうちに開いた口を無意識に手でふさいだ。
そしてガイアはテセロに整列し、背筋を伸ばし、要件を告げるために息を吸い込む。
「お待たせいたしました、『葬儀屋』です。ご依頼の準備が完了しましたことを、ご報告に参りました」
「夜分になってしまってすみません」リビングに通された二人はテーブルの椅子に腰をおろしながら謝罪する。アイシェは反射的に問題ないと返す。テセロはガイアの身体を床に降ろして肩や首を回してコリをほぐしている。
「早速ですが、一番気になっているだろうことを最初に話します」
アイシェがテーブルにつくやいなや、ガイアは話を切り出した。
「まずサリム氏ですが、無事、命題を取り戻すことができました」
「え?……あ、はい」
「私は死体に乗り移り遺った記憶を見ることができます。命題は間違いなく取り戻すことが出来ました」
アイシェは「へぇ、はぁ」と分かったような分からないような、そんな頓狂な声をあげる。テセロは思った。順番が逆だと。
「む、ああ失礼。未だサリム氏の身体に居るのには訳があります。私がこの肉体から抜け出すと、肉体の腐敗が再開します。サリム氏の肉体は命題を取り戻している以上、もう身体が生きようと、命題を取り戻すために動こうとしないため、完全なご遺体です。ですから、葬儀の段取りがとれるまでは、失礼だとは分かっていますが、肉体を腐敗させないためにどうかご容赦頂きたい」
「ああ、ちなみに、早ければ葬儀は明日にでも執り行えます。アイシェさんのご都合次第ですが」
相変わらず言葉が足りないガイアをテセロが補足していく。途中の話はあまりよく理解できなかったが、テセロの言うことははっきりと理解できたようだ。
「あ、2日後でお願いします」
「分かりました。民間の業者も手配しておきましょう。それから、彼の命題ですが……」
「ライフル銃、ですか?」
ザックから銃を取り出そうとするガイアにアイシェの声が覆いかぶさる。
「……ご存じでしたか」
取り出したライフル銃をテーブルの上に置いた。銃の黒鉄が、ランプの明かりを反射してぼんやりと照らされる。
「いえ。知りませんでした。でも、もしかしたらとは、思っていました。黙っていてごめんなさい」
アイシェの視線は銃に注がれていた。銃の白く照らされている部分をぼんやりと眺めていた。
「いえ、お気になさらず」
サリムの肉体に憑依し記憶を見た時から、ガイアはそのことに気づいていた。サリムの部屋にあった豪華な木箱と、事前調査の時既にリビングにあった、装飾された平たい箱が一致していた。あれは銃を保管する箱だったのだ。結果的に命題は取り戻すことができたのだから何も問題はない。
「お預かりしたサリム氏の持ち物は全てお返ししますが、これは葬儀まで私が預かっておきます。アイシェさんは、他に副葬品があれば用意して置いてください」
一瞬銃に手を伸ばそうとして、引っ込む。ゆっくりと頷く。
「葬儀を執り行う場所は南槍墓地になります。時間はおいおいに」
「分かりました。ありがとうございました」
アイシェは顔を下に向けたまま頭を下げた。
テセロはその頭を見てすこし、痛ましい気持ちになった。ガイアも立ち上がり、ザックを拾った。出よう、ということだろう。テセロも立ち上がる。
「僕たちはこれで失礼させていただきます。では明日、民間の葬儀社の建物までお越しください。そこで具体的な葬儀の内容を決めます。ああ、それからこれを……」