10-命題を満たせ.・下
「命題がわかった」
それを言うとガイアはテセロに荷物をまとめるように指示する。ガイアもサリムのザックを背負い、自身の背嚢を胸の前に抱えると洞窟を出ていった。テセロも慌ててその後を追う。
その間にもガイアはぐんぐんと進んで行き、どうやら命題のある場所にも心当たりがあるようだった。
「命題は彼の狩猟道具、つまりは武器だ」
後ろからテセロが追いついてくるのを確認すると解説を始める。
だが命題が狩猟方法ではなく狩猟道具だというのは実ははじめから分かっていた。最初にあえてそう言ったのは可能性を潰さないためだ。
「理由はいくつかある。まず、これは最初にも言ったが記憶にある狩猟方法が罠しかない。このナイフでトドメを刺したことはあったが、このサイズだ、トドメ以外には使えんだろう」
ザックを下に拡張するポーチから馴れた手つきでナイフを取り出す。刃渡りは掌を広げたのと同じくらい。なるほど、確かにこれでは狩りは出来ないだろう。そもそもナイフで野生動物と戦闘というのも可笑しいが。
「次に馬車。サリムは馬車に乗るのを避けていた。馬車に乗った途端に急用を思い出し御者が運賃を返しそびれるほどに逃げた」
「たしかに変な話ですけど、それがどうしたんですか?」
「馬車に乗るとき、何をした?何をさせられた?何を見せた?」
「――あ、荷物検査」
「そうだ。つまりサリムは荷物検査を避けたかったんだ。なぜなら危険な武器を持っていたからだ」
「馬車を避けたのは理解できました。でも、僕たちが乗る馬車の荷台と御者との間には仕切りがありました。たとえばそのナイフでも武器になりえますが、移動中に御者は襲えないでしょう。それに同じようなナイフを僕たちも持っていますし、御者のイゼールさんにも見せ、許可されています」
「ああ、だから、その壁を貫通しうる武器を持っていたんだ」
「たしかに弓と矢ならあの欄間を通り抜け御者を殺すことができます。でもそんなのは移動中矢を御者に預ければ済む話です」
「それがな、サリムは弓を持っていないんだ」
「はい?」
「同僚から貰った弓、あれは実際に使えるものだと言ったろう?そう、あれは実際に使うために同僚からサリムに送られたものなんだ」
「んな謎かけみたいな。どういうことですか」
「サリムは同僚に狩りに誘われたんだ。その時に弓を持ってないからと言って断った。それで弓をプレゼントされた。今度一緒に行こうと言ってな。だがその弓は一度も使われていない。サリムの同僚に対する罪悪感はそれだ」
森は木の根の隆起により足場が悪くなってきた。進むペースが少し落ちる。
「じゃあ槍や手斧ですか?でも、そんな強力な威力が出るほどの武器を持っていたら馬車に乗る前に気づくでしょう。乗せてからのみ気づくなんて、ザックの中に入れていたとでも?」
「ああ、その通りだ。荷物検査でザックやポーチの中身を検めるがためにサリムは逃げた。そしてその武器の大きさはそう、これぐらい」
そういってガイアは振り返り、手を広げる。洞窟で見た光景と同じ。鍵付きの引き出しのサイズと同じく、1メートル以上ある。そしてよく見てみると、それはザックの横に着けるポーチと同じくらいの大きさで。
「そう、サリムはこのポーチに武器を入れていた。そしてそれは木の壁を抜け荷台から御者を殺すに足る威力を持つ」
「いや、そんな武器――――あ、」
テセロも足を止め、閃く。ガイアもその表情を見て「分かったようだな」と満足げに言う。
一行は再び歩き始め、真相の解体は再開される。
「それに、槍や手斧だって矢と同じように移動中は御者に預ければ問題はないだろう?だがそうしなかった。いや、出来なかった。そしてサリムはその武器のために、魔術行使許可者名簿に名前を連ねることになった」
「なにかあっても、魔術で説明が付けられるように」
ガイアが首肯する。
「それに、サリムは本当に徒歩で森まで来ていたらしい。相当な体力だ。そんな体力があれば日中はほぼ休憩せずに狩りに集中できる。そしてもちろん、逃げ続けられる」
徒歩でルーレウロからここまで往復で1日。それだけの時間を潰してせいぜい1、2日間でも十分に狩りができる武器。
「本当に、この格好はカムフラージュだったんだ。服も、この無駄に大きいザックも」
人から隠れるための。そして、人に気づかせないための。
答え合わせの時がやってくる。
ガイアが不意にテセロを呼び制した。「近い」とだけ。それからまたすこし進む。いや、正しくは引きつけられている。今歩いているのはガイアの意思ではない。ストレイの、サリムの肉体に遺った本能によって歩みを進めている。
「サリムは武器を持っていた。それも、相当に危険な。持っているだけで脅威になる、いや、もう濁す必要はない。サリムが持っていたのは、只のいち市民が持っていること自体が違法なモノだ」
ガイアの意識に思考が蠢き始める。解体された断片が再編される。記憶が補完されていく。
真鍮のブラシ、汚れた布。『火気・水漏れ厳禁』。立て掛けられた平たい箱。引き出しの中身。火薬。妻に対する罪悪感。妻への秘密。同僚への秘密。罪悪感。それから秘匿すべき高揚感。倒錯からの逃走。
「そしてこれが、サリムの『命題』だ」
喪われた記憶が充足する。命題で満たされる。推理が完成する。
言って、ガイアが地面から拾い上げたのは、大きさが丁度ザックのポーチほどの、ライフル銃だった。
「……なるほど、たしかに、ルーレウロでは持っているだけで違法な武器だ」
ルーレウロは世界から中立地帯として安全を保障された独立都市国家だ。またその交通網の充実性と治安の良さから、多くの者がこの街を訪れ、滞在する。そんな街でその信頼を瓦解させるような武器の所持は認められない。とりわけ、矢をつがえるでも剣を抜身で構えるでもなく、ただ持っているだけではそういう意図があるかどうか判断出来ない武器に関しては、可視化しきれない危険性として忌避するために重罰が課される。
必ず一人で狩猟に来るのも、妻でさえ同行を許されなかったのは、銃を所持していることを知られたくなかったため。
馬車を避け、大荷物を抱えているのも銃を所持していることを知られないため。
無用の紙切れと化す魔術行使許可証をここにまで携帯してきているのも、発砲時の音や銃創を目撃されても魔術と言い張るため。
レイヨウを殺せたのは、イノシシを殺せたのは、オオワシを殺せたのは、クマを殺せたのは、この銃があったから。
銃があった故に、一人で狩猟をこなし、往復で1日分を潰しても十分に狩りができた。
全ての疑問に符号が決着する。これにて完答。
「あとは何処かに弾薬の入ったポーチがあるはずだが…」
と。
「ざざっ」。草をかき分けるような、落ち葉を踏むような、そんな音が二人の背後から起こる。
振り返ればそこには、黄金と白のグラデーションの毛に黒の縞を抱いた猛獣が、その瞳をガイアに向けながら佇んでいた。肉と骨をバターのように切り裂く鋭い牙。その眼光は肉食獣の眼で、その息を殺した存在感は、まさに獲物を狩るハンターそのもの。場を凍り付かせるような緊迫感が、その身から溢れてこの場を支配して――
「ふむ、これは僥倖。虎が持っていたか」
「そういえばすっかり忘れてましたね。居ました、虎」
いない。二人が見ていたのは虎の眼でもなく、その口にくわえられたオリーブ色のポーチだった。二人の対応に肩透かしを食らったか、一瞬ひるむような動作を見せる虎だったが、すぐに威厳を持ち直し二人を威嚇する。が、効果はない。それどころか、
「ゥウォウッ!ワゥ!」
物怖じしないのは二人どころかその体躯に2倍以上も差をつけられた猟犬もだった。猟犬は二人を背負って立つように虎に威嚇を仕返した。流石は猟犬。人間の最初の友達。お山の大将で偉ぶっているネコ科動物など、人間様の前ではイヌ以下なのである!虎がぐぅ、と威嚇しようともその背中は
「ヮ、ワァ…」「ワッ…」
震えてしまった。武者震いではなく。そのまま虎に背中を向けよちよちとテセロの足許に隠れてしまった。所詮イヌっころ風情では虎には勝てないというのか。ガッテム。
一部始終を見ていたガイアとテセロはお互い顔を見合わせ、小さく笑った。それからガイアが一歩前に出て、
「まあ、虎に乗せていってもらうのも悪くはないが」
腕の裾をまくり上げ、虎に前進する。
対する虎が口からポーチを落とす。犬に勝ったことで勢いづき、その主も食い殺さんとその脚に力を込めた。
「そして、この体の相性は悪くない。それに、別に殺す理由もない」
両者向顔。ガイアが手を前に広げる。みしりという音とともに虎がしなやかに飛跳する。その大きな肢体が人の身体を覆う。ガイアは動かない。前に突き出した手で抵抗するでもなく半身になっただけで、それどころかその手を凶暴に開かれた口の中に押し込み――
倒れたのは、虎だった。
その場で倒れ込み横になり、そのまま動かなくなった。
ふう、と息を吐き、服装の乱れや身体に異変がないか確認するガイア。
「おお、お見事。何したんですか?今」
もう一人もこの結果を当然のように信じていたようで、何事もなかったように好奇心からの質問をした。
なに、只の魔術だ。ポーチを拾いながら言って、「一時的に身体のあらゆる機能を静止させた。安心しろ、我々が森から出るころにはまた目を覚ます」
「ふむ、たしかに銃弾が入っている。これでサリムの持ち物は全てだ。早速、街に戻り依頼を完了しよう」
事が終われば早急に。今のところ今日の雨の心配はなさそうだが、帰るのは夜になりそうだ。テセロが馬車はとってないのか聞くと、勿論とっていないと答えられたために彼が頬を膨らませたのは割愛する。