異界へのこうかい
プロローグ
昔、己の国家さえ守れなかった国がありました。
5年もすると、その国には護る力が与えられました。
それから4年、その国は護る力を強められました。
その護る力は名を、
自衛隊
といいます。
我が国の平和と独立を願う、1億3000万の祈りがこの組織には込められています。
これは自衛隊の1隻の護衛艦が体験した、
異界を綴る物語。
プロローグ2 サンタローザ
20××年11月5日、世界の崩壊は突如として始まった。
サンフランシスコ沖合で発生した誤算と未知は、アメリカ合衆国全土をLv.5の放射能汚染地とし、旧ロシア-ウラジオストクから「Sleipnir」の拡散を招いた。現用の装備では旧サンフランシスコ市の調査も不可能。ニルワクチンを開発できるサンプルの調達も上手くいかずに極東は壊滅。日本も東京以北を失った。
だが、彼国の国民性には感嘆と尊敬の念が絶えない。変わらずに、
日常を謳歌しているのだから……。
記-元合衆国海軍駆逐艦「サンタローザ」戦術士官
モーガン·D·ゴードン大尉
OPeration01 異界/異海
海上自衛隊第1練習艦隊所属、練習艦TV3520
"はたかぜ”
前線で活躍する防人を育成するのが本艦の役割。
穏やかに凪ぐ太平洋の東の端、海上自衛隊の実働訓練海域半径300kmの何処かの島影。
第1海上訓練支援隊、訓練支援艦ATS4203
"てんりゅう”
「高速無人標的機、発射用意よし」
後部甲板上にオレンジに彩られた有翼のロケット、BQM-74Eの最終安全装置が引き抜かれる。
「後部甲板乗組員は直ちに艦内へ退避せよ」
蜘蛛の子を散らす……否、統率の取れた動きで後部甲板から隊員の姿が消える。その様子を艦に無数に取り付けられているライブカメラで確認した"てんりゅう”艦長、沖田 隼人2等海佐はマイクを握る。
「無線封止解除、チャカ発射始め」
「撃てぇー」
撃ての「う」を発音しない海上自衛隊独特の発声と同時。攻撃指揮官の京橋1等海尉が白いボタンを押し切った。
同訓練海域内"はたかぜ”
照明が落とされ、ディスプレイが空間を照らされる戦闘指揮所(Combatt Information Center)の一端。ディスプレイが慌ただしく明滅を始める。
"ECM contact”
「方位030、距離150よりESM探知」
対空レーダー員の上げる声が耳朶に響く。
「(来た……)」
ミサイルを誘導するレーダーが本艦に当てられた。恐らく"てんりゅう”であろう。そう冷静に判断したのは"はたかぜ”の艦長 大石 湊人1等海佐。
その歳、30歳。如何にA幹部(防衛大卒)と言えどこの歳では2等海尉が限界なのに何故この階級であるのか……Sleipnirのせいだ。このように冷静で優秀という点もあるが……。
発射時間を告知されない教練対空戦闘。これが今この場で行われている訓練内容である。
「対空戦闘、用意」
その言葉に攻撃指揮官 松畑 浩平1等海尉が頷く。
「全艦、教練対空戦闘用意。繰り返す、教練対空戦闘用意」
待ちわびたようなその言葉にOPS11C(対空レーダー)の士官がヘッドセットを装着する。が、
「目標、失探」
無理もない。大石は1人溜息をつく。
高度数メートルを音速に近いスピードで飛行する幅30~40cm程の物体。それを1969年採用のレーダー(骨董品)に探知させようと言うのだから。
「各員、対空警戒を厳と為せ」
艦橋見張り台に設置されている20倍双眼鏡に目を当てて雲ひとつない空と海の狭間を睨む監視員には、夏場の刺すような陽射しが降り注ぐ。CICの中でディスプレイを息も忘れる勢いで見入るレーダー士官。蟻1匹たりとも見逃さぬ緊張感に包まれる"はたかぜ”CICに警戒警報が鳴り響いた。
「近づく目標は3機、方位030距離150、探知。ウイング視認できるか」
「……視認できない」
少しの沈黙は空を睨んだ結果、だがほとんど無意味だ。
限定された視界の中で黒いゴマ粒を捜せというようなもの。
キーボードとスイッチを操作する音が声に上塗りされる。松畑1尉だ。
「対空戦闘、RIM66SM-1(スタンダード エスエムワン)発射します」
「発射せよ」
大石の返答を聞いてから松畑はミサイル士官に命令を下す。
艦首前方に聳えるMk.13GMLS(ミサイル発射装置)に白塗りのSM-1が装填され、対空目標に正対するよう瞬時に指向される。
「目標諸元、入力完了。SM-1発射用意よし」
「発射用意、撃てぇー」
閃光が走り、噴煙と爆音残してSM-1が発射、立て続けにもう1発発射される。
「SM-1正常発射。目標01、02迎撃誘導中。迎撃20秒」
なぜ、2発だけなのか。それはMk74GMFCS、すなわちミサイルを誘導するレーダーが2基しかないからだ。一基で1発、2基なら2発。
03には迎撃してからでないとSM-1で対処が出来ないのだ。
「目標迎撃(マーク·インターセプト)」
チャカに真正面からSM-1が突っ込み、衝突と爆発で両者とも海中に没する。青空に生じた異変は双眼鏡にハッキリ捉えられた。
「ウイング、爆発閃光2発視認」
OPSから輝点がふたつ消える。残るは031つのみ。
その安心感はよく、優秀な目を曇らせる。
一方向に集中してしまえば、他方への死角が発生するのは当然と言えよう。大石は聞いていた。
訓練に参加している訓練支援艦は1隻ではないことを。
「新たな目標、240度距離40(ヨンマル)一機」
三機編隊を本隊に見せかけた囮。懐深く潜り込むために攻撃機も超低空を維持したという設定であろう。
訓練支援艦ATS4202"くろべ”のやりそうな事だ。
既にSM-1は間に合わない。松畑、どうする。
「主砲攻撃始め」
射程の23kmに04が入るまでの残り時間に03を対処する。教範通りだ。
「SM-1発射用意、撃てぇー」
ひとまず03への対処は終了。その頃には、
「04、主砲射程に入りました」
砲撃士官が声を上げる。
「撃ちー方ー始めっ、用意、撃てぇー」
引き金を引けばランマーから薬室に送り込まれた砲弾の雷管が撃針によって発火され、爆発した装薬により砲弾が放たれる。
毎分40発つまり1.5秒に1発発射される砲弾が、高速で飛行する敵機に命中できる確率は
限りなく低い。
そして無情にも主砲は期待に応えなかった。
「目標外れた」
松畑の頬を伝っていた汗が光る。
主砲も迎撃出来なかった敵弾を撃墜する方法は2つ。
電波探知妨害装置(EMC)と高性能20mm機関砲(CIWS)だ。もしもCIWSが迎撃に失敗したら?その時は覚悟をせねばならない。
「ECM照射始め、CIWS迎撃態勢」
音もなく発射された妨害電波がチャカの誘導装置を誤動作させられれば、1発も撃たないまま演習を終えられるがそうじゃないから撃っている。
「ECM効果なし、目標依然として近づく」
「CIWS動作よし、安全装置解除」
自立した迎撃システムを装備したCIWSblock1Bが目標に正対。6連装20mm機関砲にベルト弾帯に収められた機関砲弾が滑り込む。同時に目にも止まらぬ速さで銃身が回転を始め、射程に敵弾が入った瞬間に喰らいつく。
耳を塞ぎたくなるほどの爆音が断続的に響き、硝煙が鼻を突く。毎分3000発の猛攻に誘導装置が破壊されるが、それだけではチャカを撃墜出来ない。まだ推進部が残っている。
完全に破壊するには20mmでは威力が足らないのだ。今回は幸運だった。
OPSから輝点は消えた。
「こちら海上訓練支援隊"てんりゅう”。全弾撃墜を確認、お見事でした」
「こちら"はたかぜ”訓練協力に感謝する」
艦外通信を切り肺に詰まった空気を抜く。
張り詰めていた緊張の糸が切れた隊員の待ちわびた言葉が、松畑からついに具申される。
「対空戦闘、用具収めます」
「よくやった、松畑」
「ありがとうございます」
赤色で別世界を演出していた非常灯が、通常の白色へ戻りマストの航行灯も緊急船舶表示灯から白色灯火へ変更される。
「飯にするぞ」
大石の一言に沸き立った士官は食堂へ消えていく。
大石は1人になってやっとCICを後にした。
艦長室前まで来て、鍵を回してポケットに仕舞う。ドアノブを回して開けかけた扉は、
人がぶつかったような鈍い音と感触の後、止まった。
「痛っ」
同時に何やら可愛らしい声も聞こえてくる。
ぶつかったのは人間、声を出せる生物は人間しかいないのでそれは確実。
ただ問題は目の前で勝手に扉が開いていって、照明がひとりでに灯ったことである。
大石は怪奇現象を前にして冷静であり続けた。あり続けたのだが、扉が開ききって見えた怪奇現象の元凶に大石の頭はフリーズした。果たしてそこには、
艶々した水色髪が耳を隠しながら首元まで伸ばされ、碧眼がぶすっとした表情を作る。
白を基調とした明らかにオーバーサイズの巫女服に身を包む推定年齢10歳未満のロリが、頬を膨らませて大石を睨んでいた。