第32話 クリスの事情①
「……復讐?」
予想外のワードが飛び出してきて、俺はその言葉を繰り返した。
「そう。復讐だ」
彼女は相変わらず、綺麗な眼をしている。
その瞳の中に、濁りはない。
それは復讐などという暗く殺伐とした響きとは、あまりにもミスマッチだった。
「どういうことか、詳しく聞かせてもらえるか?」
「ああ。少し長くなるけど、いいか?」
「もちろんだ」
「……わかった」
そう言うとクリスは、今しがた注がれた酒を一口に飲み干し。
おもむろに語り始めた。
「私の両親は、冒険者をしていたんだ。
2人でCランクのパーティーを組んでいて、仲が良くてな。
両親のような冒険者になりたいと、いつも思っていた」
過去を懐かしむように、クリスは続ける。
「私はいつも留守番だったが、父に剣を習っていた。
そして、10歳になった日から、少しずつ一緒に狩りに出かけるようになったんだ。
最初はゴブリンとか、スライムなんかを狩っていた。
私の剣は割と筋が良くて、足手まといになることはなかった。
少しずつ、より手強い魔物を狩るときにも、連れて行ってもらえるようになったんだ」
徐々に、クリスの表情が険しくなり。
グラスを持つ彼女の手が、震え始めた。
「……あの日。
12歳の時だった。
アバロンの近くの森じゃなく、初めて遠出して狩りに出かけた。
目的の魔物がなかなか見つからず、3人で探していた。
私には昔から、かなり遠くのまで魔物の気配を感じる才能があった。
遠くに知らない魔物の気配を感じて、そいつが目的の魔物だと思ったんだ。
両親も私の能力は知っていたから、私の感覚を頼りに3人でそいつの元に向かった。
そいつは崖の狭間に空いたスペースにいた。
キマイラだった。
目的の魔物ではなかった。
その場所でキマイラが出現した報告なんて、ないはずだった。
両親はそいつを確認するなり、すぐに引き返そうとした。
でも、遅かった。
私達がやつを見つけたのと同時に、やつも私達を見つけていた。
足止めするために、父が迎え撃った。
母は私を連れて逃げた。
私は母に付いて走ることしかできなかった。
やがて、そいつは追ってきた。
父がどうなったのか、そのときは考える余裕もなかった。
そして今度は、母が戦った。
その直前、母は私に、逃げろと言った。
その言葉通りに、私は逃げた。
とにかく息の続く限り、走った。
頭の中は真っ白なままで、アバロンの家に戻った。
どうやって帰ったかは覚えてない。
たどり着いた家で、両親を待った。
待つことしかできなかった。
どれだけ待っても、両親は帰ってこなかった。
家で餓死寸前になっていたところに、伯母が訪ねてきた。
その後は、伯母の家で育てられた。
伯母は本当に良くしてくれた。
伯母の夫も、その子ども達も、いい人ばかりだった。
今の私があるのは、あの人達のおかげだ。
あの人達のおかげで、人の道を外れることなく生きてこられた。
そして、伯母は私に言った。
『両親のことは残念だったが、自分の幸せを見つけろ』と。
伯母のことは好きだった。
感謝していた。
伯母の言うことに背きたくはなかった。
でも、ダメだった。
あの日の記憶は、常に私の心を蝕んだ。
あの時、私にできることは何もなかった。
両親は私を守るために戦い、死んだ。
私は逃げ、今も生きている。
結末としては正しいはずだ。
しかし、どうしても。
どうしても、私はやつを許せなかった。
忘れることは、できなかった。
私は、ひたすら剣術を学んだ。
道場に通い、中級まで納めた。
だが、私が中級になったのは、15歳の時だ。
それからも鍛錬に励んではいるが、最近は進歩が遅くなったように感じる。
そろそろ潮時だと思っているんだ。
身体は成熟した。
剣にはまだ成長の余地があるかもしれないが、やつがいつまであの場所に留まっているかも分からない。
私は、やつを倒すことだけを考えて生きてきた。
伯母には申し訳ないと思う。
だが、結局のところ。
……復讐だけが、私の生きる寄るべだったんだ」
一気にそこまで喋って。
ふぅ、とクリスはため息をついた。
「すまない。
こんな話を聞かされるとは思っていなかっただろう?
酒など滅多に飲まないものだから、つい口が滑ってしまった。
私も不安なのかもしれない。
伯母やみんなには、こんなことは話せないからな。
多分誰かに、聞いて欲しかったんだと思う。
そこに君が、手伝ってくれる、なんて言ってくれたから。
つい、甘えてしまった。
――忘れてくれ。
せっかく拾った命だ。
こんな、何も得られない他人の復讐に加担して、再び散らす危険に晒すことはない」
自嘲げに呟いたクリス。
彼女も分かっているのだろう。
その行為で、報われるものなど何もないことを。
彼女がその身を危険に晒すことを、誰も望んでなどいないことを。
キマイラなんて聞いたこともない魔物だ。
C級冒険者である彼女の両親があっけなく殺されてしまうのだから、相当に危険な魔物なのだろう。
俺は今日、そのC級の冒険者が狩る魔物に殺されかけたばかりだ。
そんな俺が手伝ったところで、何かが変わるだろうか。
2人まとめて殺されるのがオチじゃないか?
正直なところ、恐ろしい。
死にかけた時の恐怖は、忘れるには時間が足りなすぎる。
――しかし。
救われた時の安堵もまた、忘れることなどできはしないのだ。
「3つ、聞かせてくれ」
「ああ、何でも聞いてくれ。
なんだか話してすっきりした。
洗いざらい話してしまいたい気分だ」
「1つ目に、そいつはその場所にまだいるのか?
どうやって確認したんだ?」
「先も言ったが私には、かなり遠くまで魔物の気配を感じられる能力がある。
定期的に、やつからは見つからない距離で気配を探りに行っているから、分かる。
やつはまだ、あの場所にいる」
「なるほど。じゃあ2つ目の質問だ。
ギルドに報告して、討伐依頼を組んでもらったりはしないのか?
そんなやつがのさばってたら、危険じゃないか?」
「いや。やつは人里から離れた場所にいて、動こうとしていない。つまり、危険とはいえない。
そんな魔物はいくらでもいる。
報酬をこちらで用意しない限り、ギルドは動かないさ。
無論、そちらの方面に行く冒険者には注意を促してもらっているが」
「金を用意して、倒してもらうんじゃダメなのか?」
「ああ、ダメだ。
元々ひとりでやるつもりだったんだ。
6年前のあの日から、ずっとそのつもりで生きてきた。
いざとなって臆して人任せにしたら、私は一生後悔するだろう」
「……分かった。じゃあ最後の質問だ。
気分を害したらすまない。だが、聞いておきたい。
やつにしてみたら、自分の住処に他種族が入ってきて、武器を持っていたんだ。
それを撃退した結果、相手が死んだ。
そのことを恨みに思うのは、果たして正しいのか?」
その質問に、クリスは諦めたような笑みを浮かべた。
「……ああ。分かってる。
分かってるさ。
私達だって、敵わなかったから逃げただけで、もし倒せる実力があったならやつを殺して素材をギルドに売っただろう。
そうしなかったかったのは、弱かったからだ。
そんな人間が殺されたからといって、恨むのは筋違いだ。
本当にその通りで、ぐうの音も出ない。
理屈では分かっているんだ。
……だが、ダメなんだ。
分かっていても、どうしようもない。
私の心の奥底で、やつを許すなと声がするんだ。
その声を無視して生きることが、どうしてもできないんだ」
乾いた笑みを浮かべるクリス。
その顔を見て思った。
こいつに、こんな表情は似合わない。
そんなトラウマを抱えながら、他人に優しく、正しくあり続けた。
その澄んだ綺麗な瞳には、できることなら、笑顔の中にあってほしいと思った。
「分かった。
……それじゃ、いつにする?」
ぽかんとした表情のクリス。
「何の話だ?」
「決まってるだろう。決行の日だよ」
「何の?」
「何言ってるんだ。倒すんだろ?
……キマイラを」
俺の言葉に、信じられないという顔。
「協力して、くれるのか?」
「ああ。
正直俺なんかで役に立つのか分からないけど、やらせてくれ。
もともと、俺から言い出したことだ」
クリスは俺を見つめたまま、茫然としていた。
少しずつその瞳に涙が溜まり、やがて溢れた。
「ありがとう」
クリスはそれだけ言うと、顔を手で覆ってしまった。
気づけばテーブルには料理が溢れかえり、その大半が冷めてしまっていた。




