第5球「わたくしのバット」
「余計なことはいいから、ほら、みんな、さっさと定位置に戻って!! ヴィクちゃん、あと1アウトだから、頑張ってね!!」
イケメン女子の言葉を聞いて、ますます顔を真っ赤にした女キャッチャーは、早口で俺のことを激励したあと、ホームベースに戻っていった。
「ハッハッハッ、正妻を怒らせたらダメじゃないか、ヴィッくん」
「うるせぇ! お前もさっさと定位置に戻れいっ!!」
「ハッハッハッ、いいかい、ヴィッくん、浮気するにも浮気するなりの流儀ってもんがあってだねぇ……」
「やかましいわ! ピンチのピッチャーに向かって話すことじゃねぇじゃろがい!!」
「ハッハッハッ! それだけの元気があれば大丈夫だね、あと1アウト、きっちり取っておくれよ、ヴィッくん」
「あうっ!」
おのれ、あの野郎……俺のケツを触って……いや、濃厚に揉みしだいてから、ショートの定位置に戻っていきやがった。
あんなの痴漢じゃないか、おのれ……
やっぱり遊撃手ってのは派手好きの遊び人が多いんだなぁ……
ん?
それって俺の偏見?
でも俺の知ってる遊撃手は「夜も盗塁王」ってあだ名されていたらしいんだけど……
閑話休題、あのイケメンショートの言っていた「正妻」って、なんぞ?
いや、普通に考えれば「正捕手」のことなんだろうけど、でも「正捕手」のことを「正妻」なんて言わないよな、普通……野球好きの腐女子は言ってそうだけど……
俺がイケメンショートの言葉に惑わされ、あれやこれや考えていた時、マウンドにはまだお嬢様たちがいた。
「いかがなされた、お嬢様方」
古典的なお嬢様口調のふたりに、ついつい古典的な侍口調で話しかけてしまう、駄目な俺。
「ヴィク様、1点差ならば、わたくしのバットですぐに同点にして差し上げますわ、ですからここは必ず抑えてくださいましね」
「頑張ってください、ヴィクトリアさん、ウフフフフ」
「う、うん……かたじけない……」
「まあ、ヴィク様、なんでそんな侍みたいな口調でしゃべっていらっしゃいますの?」
「な、なにゆえでござりましょうかのう?」
「ウフフフフ、可笑しなヴィクトリアさん」
「ではわたくしたちは守備に戻りますわね、頑張ってくださいませ、ヴィク様」
そんな俺のことを不審がることもなく、激励の言葉をかけてくれたお嬢様方が定位置……金髪ドリルの方はファースト、お上品に「ウフフフフ」と微笑み続けていた方はセカンド……に戻り、俺はようやく、マウンドにひとり。
チラ見するに、もうひとりの目隠れ不穏女は、とっくの昔にサードに戻っていた。
やれやれ、これでようやくピッチングに集中できるわい。
俺は右手でロジンバッグをポンポンしつつ、女キャッチャーのサインを見ようとする。
が、なんということだろう、「ようやくピッチングに集中できるわい」と思った矢先、先程のドリルお嬢様が何気なく言った「わたくしのバット」という言葉が、俺の頭の中でリフレインしてしまったのだ。
まったくもって、俺の不徳の致すところだが、あのドリルお嬢様がなんの他意もなく発したに違いない「わたくしのバット」という言葉が、俺には卑猥な意味にしか思えなかったのだ。
(わたくしのバット……わたくしのバット……わたくしのバット……)
ひょっとして、あのお嬢様、ふたなりだったりして……あの金髪ドリルの股間に『アレ』がついてたりしてますのん?
いやいやいや、TS転生にふたなりて、ニッチにも程がありますがな……程があるけど……
(ホホホホホ、ヴィクトリア様! わたくしの『アレ』で、ヴィクトリア様の前も後ろも掘りまくって差し上げますわよ!! オホホホホ……)
(あ、あうう……あうううっ……)
うう、エロ妄想が止まらない……
って、試合中に何考えとんじゃ、俺はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
満塁で大ピンチなのに、こんなこと考えとる場合じゃなかろうが!!
ふたなりやめろ、脇やめろ、あごやめろ……ドリル、ドリル……金髪ドリルせんのかーい!!
俺は己の業の深さに絶望しながら、前世で好きだったギャグを思い出すことで、意識を下ネタから野球に取り戻した。
ケツ穴ドリルすな!!
……って、やめろやめろぉぉぉっ!!
17歳11ヶ月の少年がするにはあまりにもこじらせすぎなエロ妄想だが、それには理由がある。
第1球「いのち、トキメキ」でさりげなく書いた「2歳上の姉」
これがまた、「かわいい女の子が大好きー!!」などとおっしゃる、とんでもないこじらせオタクエロ女で、TSも百合もふたなりも、二次元のこじらせエロは全部この姉に仕込まれて……
って、俺はいったい誰に向かって言い訳してるんだろう?
俺が頭の中で何を思っていようと、誰に何を言われるわけでもないというのに。
なんか急に気持ちが冷めてきたな、もういい加減、ピッチングに集中しないとね……
そんなわけで俺はロジンバッグと一緒に煩悩をマウンドに放り投げ、女キャッチャーのサインを見る。
それにしても暑い……顔中汗だらけで気持ち悪い……どっかの王子みたいにハンカチで顔拭きたい……でも、ポケットに右手突っ込んでみても、ヴィクトリア、ハンカチ持ってない……ちくしょう……
うだるような暑さと、殺人級の直射日光の中で見た、女キャッチャーのサインはこんな感じだった。
(ヴィクちゃん、押し出し死球のあとだから、バッターはストレートが来ると思ってるはず。だから裏をかいてシュート、それもバックドアね)
バックドア……黒田投手に憧れてピッチャーになった俺は当然、バックドアとフロントドアを習得するのに躍起になったが、池田勝正の投げるバックドアとフロントドアはことごとくド真ん中の棒球になって打たれまくったものだった。
しかし、今の俺は池田勝正ではなくヴィクトリア。
変化量7のバックドアとフロントドアはもはや魔球でしかない。
しかも、ヴィクトリアのシュートは、パ○プロで言うところの「Hシュート」で、160キロは出るからね、そんなもん、イチローでも打てん。
それにしても、押し出し死球のあとじゃったら、普通はストレートを要求してきそうなもんじゃが、変化球を投げさすとは、あのキャッチャー、なかなかやりよるのう……
まあ、右打者の外角に投げるバックドアシュートなら、よほどのことがない限り、当たることはないじゃろう……よし……
『さあ、監督がベンチに戻ったあとも、マウンドで何やら話していた内野陣が定位置に戻り、ヴィクトリアがサインにうなずきました。2アウトながら、依然としてランナーは満塁。4対5、アニマルズが1点勝ち越したこの局面、なんとしてもヴィクトリアにはこの1点だけで抑えてもらいたいところであります!!』
池田勝正時代からシュートは俺の得意球、シュートだけは変化量が3か4ぐらいはあったはず、そのシュートで内角攻めしまくったせいで東尾投手並みの与四球数だったわけだが、同じ失敗は二度とせんぞ、おりゃぁぁぁぁぁっ!!
『ヴィクトリアが第1球、投げました! 低めの変化球、バッター見逃して、ストライィィィィィィクッ!! ウッ!! 初球は変化球、ダイナさん、これはヴィクトリアお得意の……』
『ええ、シュートですねぇ』
『いわゆるバックドアってやつですね』
『ええ、ボールゾーンからストライクゾーンに入ってくるシュートでしてね、バッターからしてみれば、ボールだと思って見逃したらストライクって言われるんですからねぇ、たまったもんじゃないですよ』
『かと言って、ヴィクトリアの変化球はとんでもないキレ味ですからね、振っても当たんないんすよねぇ』
『その通りですねぇ。まぐれで当たったとしても160キロのシュートですからね、芯に充てるのは困難ですよ。バッターからしてみれば、もうどうしようもないですね、あの球は。あれだけ見事に決まったら、もう諦めるしかないですよ』
よし、なんとかストライク入ったぞい。
んで、女キャッチャーさんよ、2球目は?
(スラーブ。なぜならさっきスラーブで押し出し死球したから、バッターはこの打席、スラーブだけは来ないと思っているはず……だからこそ、投げる!!)
まったく同感……あのキャッチャー、女じゃけど、俺好みの配球をしてくれるじゃないの……よし……
スラーブはシュートの次に得意だった球、池田勝正時代でも変化量は2か3だったはず、喜んで投げようぞ!!