第2球「ヒューストン・スタイル」
「ちょっとヴィクちゃん、ホントに大丈夫? お医者さんに診てもらう?」
俺の渾身のギャグ、銀髪ハーフエルフものまねを見た女キャッチャーは一切笑うこともなく、動揺を隠し切れない表情で、あたふたし始めた。
「ああ、でも交代したばっかりだから、最低でも一人には投げてもらわないと……」
この女キャッチャーが誰なのか知らんが、アニメとか見ない人のようだ、そりゃあアニメ見ない人には通用しないものまねだよな……
「と、とにかくヴィクちゃん、どこか悪いんだとしても、このバッターにだけは投げてね。大丈夫、あなたはヴィクトリア・ペンダーグラスなんだから、普通に投げればあんなバッターに打たれるわけないんだから、とにかく頑張って。早く投げてね」
女キャッチャーはささやき声で一方的に話してから、ホームベース付近の、キャッチャー所定の位置へと戻っていった。
その女キャッチャーが言った「ヴィクトリア・ペンダーグラス」という名前には心当たりがあった。
俺……すなわち池田勝正が、大阪市の住之江松井学園野球部2軍で満たされぬ日々を過ごしていた時、本当は持ち込み禁止なのに、盆だか正月に帰省したあと、こっそり寮に持ち込んだピー○スヴィータで、こっそりやっていたパ○プロのサクセスで作った、打撃投球すべての能力が100のSで、なおかつ、プラス要素のスキルをすべてつけた、内外野どこでも守れ、投打二刀流で活躍できる、現実には絶対あり得るわけもない、超人的な能力を持った、ピッチャーのくせに右投げ左打ちというアバンギャルドな美少女野球選手……それがヴィクトリア・ペンダーグラスだ!
ちなみに名前の由来は、勝正の『勝』から連想して、勝利の女神ヴィクトリア、ペンダーグラスは洋楽オタクの親父が好きなアメリカの歌手から取った、たしか、テディ・ペンダーグラスとか言ったっけ? 略してテディペン、アメリカではどうか知らんが、日本のファンは大抵そう呼んでいる、テディペン。代表曲は「ラヴ・TKO」であるが、日本では「「ヒゲ」のテーマ」こと「ドゥ・ミー」がつとに有名……デデデデデーデ……
ん?
美少女?
いきなり大事なことに気づいてしまった俺は、思わず、自分の胸と股間に触れていた。
スポーツ選手らしく筋肉質な体だからか、胸は小さく、はっきり言ってぺったんこで、池田勝正の時と大して変わりはしなかったが、股間を触った時、男になら当然あるはずの『アレ』がなかった。
そして俺は察した。
これは……昨今流行りの転生もの……その中でもニッチなジャンルのTS転生ものであると。
よくよく見てみれば、池田勝正の時は当然坊主だった髪の毛が、今はリンスカムよりも長い、腰の辺りまである、それも綺麗な金髪だ、もちろん池田勝正時代に髪を染めた記憶はない、染めるにしても金髪にはしないだろう、日本人が金髪じゃあ、生きていくのがなかなかに大変……
その長すぎる金髪を右手で触って見つめていると、球場の観客たちがざわついていることに気づいた。
『ダイナさん、ヴィクトリアどうしたんですかねぇ? さっきからマウンドに突っ立ったまま動きませんよ』
『いやぁ、ちょっとわからないですねぇ。早く投げてほしいんですけどねぇ……』
「おい、ヴィクトリア、何してるニャ!! 早う投げろニャ!!」
そのヤジを聞いて、俺はようやく気づいた。
今、試合中なんだ。
さっき、女キャッチャーが言った言葉を思い出す、「交代したばっかりだから、最低でも一人には投げてもらわないと……」
ということはつまり、俺はリリーフとして登板しているということか……おかしいな、ゲームの中のヴィクトリアは当然、大谷選手のように先発と指名打者の二刀流としてプレーしていたのだが、なぜにリリーフ?
というか、これが昨今流行りの転生ものだというのならば、ここは異世界のはずでは?
なんで異世界で野球やってんの?
おかしくない?
ま、なんでもいっか……いきなりモンスターに襲われて殺されそうになるとかと比べたら、野球のマウンドに立っているだなんて最高じゃないか、文句言ったら、罰が当たるわ。
よし、野球しよっ!!
……とは申せ、とりあえず今の試合状況を確認しないことにはどうしようもないので、俺は振り返り、スコアボードを見てみる。
異世界のはずなのに手書きでも手動でもなく、普通に電光掲示板のスコアボードから得た情報を整理するに、今は9回表2アウト、4対4の同点。
その時に見えたが、2塁にランナーがいる。
そのあと1塁と3塁をチラと見てみれば、そこにもランナーがいる、そうか、2アウトながらもランナー満塁か……
9回表で、同点で、ランナー満塁という大ピンチに、エースのヴィクトリアを緊急登板させざるを得なかったということか、なんの試合か知らんが、絶対に負けられん試合なんじゃろう。
『さあ、領有権シリーズ第7戦、アマゾネス対アニマルズ、大詰めの局面を迎えております。アニマルズ、一打勝ち越しの場面に、アマゾネスは大エース・ヴィクトリアをリリーフとして登板させてきました。ですが、そのヴィクトリアがなかなか投げる素振りを見せません!!』
とにかく俺は投げにゃあいけんのんじゃろう……とりあえず、あの女キャッチャーのサインを見るか……バッターは左打ち。
俺がようやく女キャッチャーの方を見ると、女キャッチャーは大きなジェスチャーを繰り返していた、その動きから察するに、
(ヴィクちゃん、お願いだからサイン見てよぉ……)
とでも言いたいのではなかろうか?
すみませんね、お待たせいたしまして……俺としても何がなんやらさっぱりわからず、混乱しているものでして……
『さあ、ヴィクトリアがようやく、セシリアのサインを見ました』
女キャッチャーはサインを出して、俺はそれを見るわけだが……
うん、当たり前だけど、サインが全然わからない!!
そりゃそうだ、死んだと思ったら、いきなりマウンドに上げられて、誰か知らん女キャッチャーのサインを見せられても、指定された球種やコースなんかわかるもんかい!!
どうしよう……?
ええい、ままよ!!
とりあえずストレート投げときゃあ、どんなキャッチャーでも捕ってくれるじゃろうよ!!
ストレートも捕れんようなキャッチャーが、9回表2アウト満塁でマスク被っとるわけなかろうが!!
『さあ、ようやく、ヴィクトリアがサインにうなずきました。ようやく、試合が再開される模様です』
満塁だから、セットポジションにする必要はない……おおきく振りかぶって、ストレート、低めに全力投球じゃい!!
「さあ、ヴィクトリアがバッターに対して、第1球投げました! 内角低めストレート、ズバッと決まって、バッター見逃し! ストライィィィィィィクッ!!」
よっしゃ、よっしゃ、ストライクじゃ。
そりゃあバッター、手も足も出るわきゃあない、俺がゲームで作ったヴィクトリアの最高球速は175キロじゃ。
投げたあと振り返って、スコアボードの球速表示を見たならば、そこに表示されていた数字は170。
最高球速ではないが、まあ、初球なら悪くない数字じゃろう。
よう考えたら投球練習もろくにせんで、いきなり放らされたんじゃけぇのう、それで170キロなら上出来、上出来……
って、いけんいけん……どうにも興奮すると、ふるさとの訛りが出てしまう。
俺が寺山修司と友達じゃったら、あの短歌は生まれんかったことじゃろうのう……
なんてことを考えていると、俺の初球をキャッチした女キャッチャーがまたまた血相変えてマウンドにやって来る、そんなに何度もマウンドに来て、ルールに抵触せんのんじゃろうか?
プロ野球なんか、キャッチャーがマウンドに行ける回数は1試合にたった3回だというが……
「ちょっとヴィクちゃん、なんでサイン通りに投げないのよ? 初球シュートのサイン出したのに、なんでストレート投げたのよ?」
ああ、そういうことね……
「ねえ? ヴィクちゃん、私の話聞いてる?」
キャッチャーミットで口元を隠してもわかるかわいさの女キャッチャーに、上目づかいで見つめられ、俺はついドキッとして目をそらしてしまう、きっと顔を赤らめながら……なんて、今は見知らぬ女キャッチャーにときめいている場合ではない。
ここで嘘をついてもしょうがないというか、自分が窮地に立たされるだけなので、本当のことを言うとしようぞ。
「ごめん、サイン全部忘れたからストレートしか投げられない」
「ハァ!? サイン全部忘れた!? 嘘でしょ?」
「いや、嘘じゃない。ホントにサイン、全然わかんなくなっちゃった……ごめん……」
俺の言葉に、女キャッチャーは呆れたような、怒ったような表情をした。
「ねぇ、ヴィクちゃん、ホントに何があったの? 4連投でついに頭おかしくなっちゃったの?」
「そうかもしんない……あ? 4連投?」
俺が思いもよらぬ「4連投」という言葉に驚いたのを無視した女キャッチャーは、「仕方ないわね」とでも言いたげな表情をしてから、再び俺にささやきかけてきた。
「ああ、もう、じゃあ、とりあえず簡易的なサインに変えるね……いい? 早急に覚えてね……0がストレート、1がシュート、2がスライダー、3がスラーブ、4がフォーク……」
「うん……」
この「0」だの「1」だのいうのは、指の本数のことを指すのであろう。
でも今時、そんな単純なサインでいいのだろうか?
今はどこで誰がサイン盗みしてるかわかったもんじゃないご時世だってのに、ねえ、ヒューストン・スタイル?
アストロ球団もビックリ。
ハーイ、エビバディー、アイム、アーチー・ベル&ザ・ドレルズ、フロム、ヒューストン、テキサス……