第1球「いのち、トキメキ」
作者による序詩
「打てば飛ぶ
野球野球
小さくて
小さくて
でも
いのち
トキメキ」
エピグラフ
「小説は楽しくなければならない」サマセット・モーム(イギリスのスパイ)
閉じた目の、
耳に残るは、
大歓声。
目を開けば、
左手にグラブ、
右手に白球。
もちろん、縫い目はひゃくやっつ。
60.6フィート向こうには、
バッター、キャッチャー、アンパイア。
周囲を見渡せば、
360度いずれを見ても、固唾を呑む観客たち。
上を向けば、
燃える太陽、青い空。
間違いない。
ここはたしかに野球場。
それもマウンド。
だが、
なんで俺がマウンドに?
俺はたしかに死んだはずだが、
なにゆえ野球をやっている?
そもそもここはどこの球場だ?
わからない……
わからないから、とりあえず、
ゆっくり、思い出してみようか……
まずは名前……俺の名前は……そう、池田勝正。
親父いわく「勝つことは正義」 略して「勝正」
無学な親父は知りもしなかったことであろうが、「池田勝正」という、俺とまったく同じ名前の戦国武将がいる。
元は摂津国の豪族で、織田信長が上洛した時に家来になったらしいが、部下をうまくまとめることができず、内輪揉めが起きてしまい、その結果、林や佐久間よりもだいぶ先に追放されて、その後は消息不明、いつ死んだかもはっきりしない、もちろん「信長の○望」シリーズでも、軒並み低能力の残念な武将だ。
そんな武将と同姓同名だと初めて知った時は震えたね、何が「勝つことは正義」だよ、そんな典型的負け組武将と同じ名前じゃ勝てるもんも勝てんやないけ……なんて、もちろん、親父にそんなことは言えなかったけどな。
次はどこで生まれたか……なんて、こんなデヴィッド・カッパーフィールド式のくだんないことばかり書いていると、ホールデン・コールフィールドくんに嫌われてしまいそうだが、記憶を取り戻すためには必要なことなのだから許しとくれよ、ライ麦畑のキャッチャーさんよ。
俺が生まれ育ったのは……そう、広島市 安佐北区の北端、広島市とは名ばかりのド田舎、広島市中心部まで車でも1時間はかかる、広島市中心部よりも、毛利元就の本拠地だった吉田郡山城跡のある安芸高田市の方が近いというド田舎、「安佐北区に朝帰宅」とは、広島市民ならば誰もが一度は言ったことのある、定番のダジャレ。
そんなド田舎の、親父は地方公務員、お袋は専業主婦、2歳上に姉がひとり、という平凡な家庭で育ち、広島市という土地柄、テレビで見た黒田投手に憧れて野球を始め、もちろんピッチャーになった。
しかし、小学生、中学生時代ともにパッとせず、どこの高校の野球部からもスカウトが来ることはなかった。
ならばと一念発起して、大阪市にある甲子園常連の私立高校、住之江松井学園に一般受験で入学し、野球部に入部した。
いわゆる野球留学ってやつだな、憧れの黒田投手は大阪の人だし、やはり「池田勝正」という名前の俺は、摂津国とは切っても切れない縁があるに違いない、だから摂津国に行けば必ず道が開けると思ったのだ、思ってしまったのだ。
入部早々、俺は「やっぱり広島の高校に入学すればよかった」と後悔した。
甲子園常連の名門私立高校の野球部には、全国から集ったスーパー野球中学生たちが入部しており、全校男子生徒は1000人ぐらいのはずなのに、野球部員だけで100人以上、投手だけでも10人以上いた。
そんな中で、野球推薦でも特待生でもなんでもない一般部員の俺に活躍できる場所が用意されるわけもなく、ずっと2軍でくすぶり続け、高校3年間で登板できたのは、主力投手を温存しても勝てる、超格下校相手の試合のみだった、そんな超格下校相手でも失点していたのが俺だがな。
変化球の多彩さとコントロールのよさには自信があったが、いかんせん、ストレートが遅かった。
ちっちゃな頃からちっちゃくて、速いストレートを投げられるほどの上背がなかった。
高校生になれば成長期を迎えて、身長が伸び、ストレートの球速も伸びるかと思っていたが、世の中そんなに甘くなかった。
身長は168センチでぱったり止まり、ストレートの最高球速は128キロだった。
それでも普通の公立高校でなら、変化球の多さだけでなんとかエースになれたかもしれないが、いかんせん、今の時代の甲子園常連校のエースは最低でも身長180センチ以上で、150キロ近いストレートを投げるのが当たり前。
俺がいくら変化球やコントロール、緩急や投球術に磨きをかけたところで、ストレートが128キロじゃあ、お話にならなかった。
そんな都合よく、星野投手みたいにはなれないんだよ……ありゃ、極めて特殊な例であってだな……
なんてグチはさておき、うん、だいぶ思い出してきたぞ、次は自分がなんで死んだのかを思い出さねば。
ええと……
「ねえ!」
俺が死んだ理由はたしか……
「ちょっとヴィクちゃん! 私の話聞いてる!?」
「あ?」
記憶を取り戻そうと必死な俺に話しかけてきたのはキャッチャーだった。
俺があれこれ思い出しているうちに、マウンドにやって来たらしい。
……のはいいのだが、マウンドに来たキャッチャーを見て、俺は戸惑わざるを得なかった。
キャッチャーマスクを外して俺に話しかけてきたそいつは、どこをどう見ても女だったからだ。
髪こそショートカットだし、例によってミットで口元を隠しているので顔はよく見えないが、その声は誰がどう聞いても女の声、一人称も「私」だったし、何よりキャッチャーのプロテクターを装着していてもわかる、その胸の異様なまでのふくらみ……はっきり言って巨乳爆乳、こんなに胸のデカい男がこの世に存在しているわけがない、このキャッチャーは絶対に女だ、間違いない。
でもなんで、キャッチャーが女なんだ?
それに、俺のことを、なんか変な名前で呼んでいたような……
「ねえ、ヴィクちゃん、ホントに大丈夫? どこか具合でも悪いの?」
「ヴィクちゃん?」
そのような耳慣れない名前で呼ばれては、この不肖・池田勝正、こういう風に返答するしかないのでござる。
「ヴィクちゃんって……誰のこと?」