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ダリア戦記   作者: 獨國薯夫
始まりの予感
6/15

Eрангель 12/31 1972

Eрангель(ユランゲル)」つまり、ユランゲルは、マーラニアの首都の名前だ。

朝も夜も、シンナーの臭いが漂う薬物中毒者たちの街。

メインストリートから裏路地へ一歩でも入ると、誰かが吸うために盗んできたであろう、"トルエンを含む"と書かれた一斗缶が無造作に置かれ、その周囲には小さなビニール袋が何枚も捨てられている。


そんな街の片隅。


孤児院の小さな部屋の中。汚れたカーペットとタンス。

きれいなものなんて何にもない、寒くて暗い小さな部屋に、子供が十人。

使い古されたブランケットにくるまり、体温を共有する。


これから、僕たちの人生が大きく変わる新しい物語が始まる。

僕たちは、いつになく興奮していた。


マーラニアには伝説がある。古代、僕たちの先祖は移動式のテントを張って遊牧をしていた。ある夜、敵対していた部族の襲撃を家族が受けたとき、家族の中の十人の子供たちが得体の知れない力を使って、強盗の大人たちを追い返したのだ。野蛮な強盗から家族を守った彼らは神の子として崇め(あがめ)られた。マーラニアの孤児院では、魔術は野蛮で嘘だと教えられたけど僕らだけは知っている。魔術はこの世に存在していて野蛮じゃなくて、そして今の僕らはまさに、その神の子たちだということを。


「明日が決行だ。覚悟はいいかい?」


僕たちのまとめ役で、いつも威勢が良いイヴァンがささやく。

とびぬけて背が高い彼は、常に僕たちを大人たちの暴力から守ってくれていた。

まるで大人と同じ風貌に僕たちは信頼しきっていた。


明日はついに決行日。ユランゲルにある魔術協会を襲撃する計画は順調そのものだ。

僕たち孤児院生は、いつもいつも協会の派遣した、トルエン中毒の大人たちから、叩かれ、ぶたれ、常にいじめの対象だった。それがついに明日終わる。


それも、僕たちの手でおしまいにできる。


本を閉じても閉じても終わらなかったこの生活がついに終幕する。


そんな、僕に与えられた役目は襲撃で混乱している隙に、結界を超えて正面玄関を爆破し会長を閉じ込めた(のち)に、建物の周囲に魔力石を配置する役目だ。僕の置いた魔力石を媒介に、イヴァンが結界もろとも建物全体を強大な魔術で爆破させる。魔術協会の本部に張られた結界は確かに強大だ。外部からの魔術攻撃を基本的に防ぎ、侵入した魔術使を地球の裏側へ逃げようが追跡することができる。

しかし、その結界が壊れれば、僕たちを追うことはできなくなる。


僕らの危険性を示すには十分に派手な計画だ。


「ニコライ、お前の役割は、主人公といってもいいくらいのもんだ。感謝しろよ」

そう言って、イヴァンは微笑む。

床に広がった協会本部の地図、その玄関付近を指さしそして隣に置かれた計画書へと指を移す。

計画書の内容は便せんに手書きされている。イヴァンへの、手紙として届けられたものだ。


「エレナ、あいつらとの連絡は?」


「えっと、Красная (クラスニャ)Луна(ルナ)は、計画に変更はないと」


「うん、それじゃあ…」


みんなで見つめあって、そして微笑みあう。暗くて高い塀の中で、いつの間にか成長した僕たちは、こうやって自分の力でたくましく生きているんだ。そんなことを、なんとなく共有する。


「僕たちの手で、憎き大人たちに鉄槌を!…いいな?」


「ダー!」


1972年12月31日

マーラニアのユランゲルにある魔術協会は、炎に包まれていた。


「二階だ、二階の執務室にいたぞ!」

守衛の声が頭に響く。


リリアーナの使うテレパス魔術からは、仲間である建物内をくまなく見れる遠視魔術と、把握した対象を自分に憑依させ行動を再現する憑依魔術の組み合わせで、僕の頭にはリリアーナの声で常に協会内の情報が伝えられる。結界により外部からの魔術的干渉はすべて閉め出されるが、イヴァンたちの撒く魔力石により僕たちの魔力の強度は増し、一方的であるがコネクションが作れる。すでにイヴァンたちの襲撃は建物の内部に広くわたっている。半地下の通用口から侵入したイヴァンたちは、2段に積み上げた20本入りケースから、火炎瓶を手当たり次第に投げているのだろう。エレナの「物を軽くする」魔術によりたくさん携帯できて、僕らの腕力でも遠くへ投げることができる。結界だけに頼って、魔術防御のほとんどない協会はあまりに脆弱だ。


『実行犯は、建物内にいるはずだぞ!』


『わかりません。火災の勢いがすごく、会長の姿も見えないんです。』


『何が起こっているんだ!結界はどうなってるんだ!?』


『機能していますが、施設内からの攻撃でなにがなんだか。』


『水系魔術使を読んで水の盾を作れ。こんなのは自然の火災じゃない、まさかテロか?』


憑依魔術で筒抜けになった情報を聞いて、リリアーナたちと笑う。


「おじさんたち焦ってる。やっぱり内部からの攻撃がここの結界の弱点だったんだ。」


「ほんとだね、リリアーナ。もっと苦しめばいいんだ。」


「えぇ。彼女たちの言ってたこと当たってたね。」


協会近くの裏路地で、放置された木箱やドラム缶に隠れ、僕たちはひっそりと身を寄せ合う。憑依魔術から伝わる内部の会話は、結界や魔力の強度が低いため、ノイズや遠視魔術で見る様子より遅延する。そのため、一番必要な場所の情報をみんなで決めながら一人一人を確実に読み取っていく。

そちらへ集中していると、周りへの警戒が疎かにはなるが、内部の混乱によりこの場所の魔力を特定されるにはさらに時間がかかるだろう。


「リリアーナ、テレパスの調子は?」


「大丈夫、バッチリ。特に魔力については心配ないわ、リュックに石がいっぱいだもの」


「それはよかった。」


状況は安定している。少しばかり余裕が生まれたので、僕はポケットからリリアーナへのプレゼントを取り出す。


「そういえば、これ。」


リリアーナに手渡したのは、”мартеница(3月のしるし)”(マルテニッツァ)と呼ばれる紅白色の伝統的なお守りだった。


リリアーナはキョトンとした顔で、こちらを見る。


「ちょっと、まだ年越しもしてないわよ。」

別にリリアーナを喜ばせるために用意したわけではない。だからその表情にも驚くことはない。

今重要なのは、この作戦が成功することだ。その願いを込めて、本来3月1日に飾るお守りを、昨日こっそり作ったのだった。


「ごめん、でも3月までにはどうせまた工場に行っちゃうから。」


孤児院に入りたてのころから、みんなで集まってお守りを作っていた。その機会がみんな様々な理由でなくなってから、いつかまた、お守りを一緒に飾りたいねと話していた。彼女は忘れているかもしれないが。


「珍しいねニコライ。ありがと。大切にする。」


そういってリリアーナの小さな手がぎゅっと握りしめていた。


「じゃあ、イヴァンに今から爆破することを伝えて。」


その言葉を聞いて、年上のエレナがサッと爆薬の詰まったボストンバッグに魔術を行使した。


「軽くなったでしょ。頑張ってね。」


エレナはこちらを見て微笑む。僕は頷いてからそして隣にいた仲間を見た。


「さ、行こうか。」


そういって、僕らは爆薬入りのボストンバッグを持つ。


「全部終わったら、集合地点でイヴァンたちと合流だ。死んじゃだめだからな。」


「わかったわ」


四人全員の返事を聞いて、路地をかけ抜け協会へと突っ走る。

途中でリリアーナからテレパスが来る。


――爆破班、襲撃班は建物を出た。実行しても大丈夫。


協会の玄関前は人々でひしめき合っていた。中から避難してきた人、外から火災を見に来た人、いったい何人の人間がそこにいるのか。

玄関の少し前、協会本部をぐるりと囲む柵のちょっと外側がちょうど結界の張られている場所だ。


そこを超えると何が起こるかわからない。だからこそ、僕たちは境界の外側から、爆弾を投げ込む。

前方に馬鹿な大人たちの群衆を見つつ、そこをちょうど超えるように、目標の玄関に腕の力を調節し、

そして


ドカーン。


エレナによる念力により軽くなった爆薬満杯のボストンバッグは、一気に爆発した。轟音と共に群衆は一斉に瓦礫と砂ぼこりに包まれた。同時に玄関を覆っていた屋根が、ドカッと崩れ落ちる。


爆発からどうにかして出てきた群衆の一部が僕たちを凝視する。


彼らよ!


女性が叫ぶ。


たくさんの視線がこちらを向いて、それを肌で感じる。その視線を感じて僕は興奮する。そう、僕たちはいま注目の的なのだ。

人生で一番の特別感と多幸感の中で僕らは走りだす。自分たちの手で作り上げたこの瞬間と人々の視線を浴びながら。走りながら、持っていた魔力石を柵の周辺に放りながら、走って裏路地へと駆ける。


――ニコライ!

リリアーナの声が、脳裏に響く。


――イヴァンが、イヴァンの応答がない!


――すでに建物は出てるはずだけど。遠視でイヴァンもみんなも姿が見えない!


なんだって!?


こちらの声はリリアーナには届かない、彼女の魔力では強度が低い。

イヴァンが建物から出てない?

まさか()()()ことはないだろう。僕たちの大将みたいなやつだ。


――内部は確かに混乱してる。でも見ていないところで何かあったのかも。


狭い路地を抜けて、場所を移動してきたリリアーナたちと合流した。


「イヴァンたちは?」


「全然、見えないの。憑依魔術で調べてるけど」


「くそっ!イヴァンが来ないと術式が展開できない。」


マズイと思って地図を見る。イヴァンたちとの合流地点は、もう少し先の、僕たちがいつもたまり場にしている橋の下だ。そこまでの経路に間違いはない。イヴァンたちが先を越しているだけかもしれない。


「みんな。とにかく、集合地点まで走ろう。」


一斉に走りだろうとしたその時、後ろからリリアーナの声がした。


「ニコライ。後ろ見て…」


後ろを振り向くと、30m程先にいたのは、僕らより何倍も背の高い人影だった。

イヴァンたちか!???


そう思ったのもつかの間。

少しづつ近づく、その影がイヴァンたちではないことはすぐわかった。悪い直感がして体が凍ったようになる。さっきまで持っていた魔力石がなくなったことで、僕たの魔力がとてつもない下がっているのを感じる。これでは、防御魔術なんて張れない。


そして、彼らが2・3人ではなく、もっと大勢いることが分かったとき、彼らが何かを持って、こちらへ向けているのが見えた。それはすごく小さい何かだったが、すぐに頭にはその全貌が浮かんできた。

いや、まだそこまでは想像だったが。やがて、一歩ずつ近づく姿に対して、それは、はっきりと分かった。答え合わせができた。僕の目にはっきりと映ったそれは、僕のよく知っている、ライフル銃だった。


「馬鹿が、一度でも結界を通れば、その魔術は記録され追尾できる」


あぁ…あぁ…あぁ…!!!


恐怖で手も口も体も、がたがたと震えて言葉が出せない。

ただ、リリアーナの腕をぐっと、ぐっと握ってこちらへ引き寄せようとする。

僕らが何度も何度も、自分という存在を踏みにじられてきた銃だぞ!。あんなものに叶うわけがないだろ!このまま、前の同じように否定されるのか!?。いやそれだけならまだましだ!。


どうする!?どうすればいい!???


目が引きちぎれそうなほど見開きながら、おそらく、もう目の前という距離。ライフルの形もまざまざとわかる距離。だから、何を話しているのかも聞こえてきた。


「見つけたぞ、人外め」


大きくもなく、かといって小さくもなく、ただ鋭く、鈍く、体に響くその声と共に、

ニヤリとこちらを凝視しする大人の目があった。


――あぁ、まただ。


僕のよく知る、無表情に近いジトっとした目、そこにはいつも暴力が待っている。


リリアーナが"お守り"を持つ手で、僕の手をぐっと握ってくる。”お守り”が、僕の手と彼女の手に、ぎゅっと抱擁されるように密着する。そのお守りに祈るように僕は考える。本能が暴力から逃げようと僕の体を震わせながら。けれども動けば死ぬと直感して体を硬直させながら。


僕の使える魔術は……何だ?

僕の使える……魔術

僕は……


瞳孔(どうこう)が弾けんばかりに膨張する。涙が止まない。濡れた目をこすって忍ばせていたナイフをポケットから出す。


――終わりだ。


そう確信する。そうだったと諦める。そうだったのだ、そうなのだ。


結局僕には力がなかったのだ。僕にはリリアーナも、ほかのみんなだって、助ける(すべ)など一つも持っていなかったのだ。


そっとリリアーナの手を解く。お守りがそっと地面へと落ちる。リリアーナがこちらを向いてくる。涙目で、あまりに可哀想に、ぐんっと掴むように、握り返してくる。力尽くて抗うその小さな手を、僕は地面へと理不尽に振り払う。


彼女のもっていた最後の力がなくなったのを感じるのと同時に、僕は彼らに向かって走り出した。


ゆっくりと、一歩ずつ。少しずつ足を速めながら。大人たちのほうへ駆けていく。後ろは振り返らない。だって、彼女が力なく泣いている顔が見えるから。彼女が、僕を止めようとして、無理だとあきらめたその瞬間に、殺されそうになるから。だから、僕は、ナイフを片手に、そして相手に刺すような手を作って。そのまま、突進した。


あぁ、あぁ、あぁ、、、だって僕にはぁっ!

僕には使える魔術がないんだぁぁぁぁぁぁぁぁ!


伝説の中の神の子が持っているはずなんてないナイフをもって、まるで野蛮に。

リリアーナを裏切った後悔を打ち消すために。


僕のナイフが刺さる直前に、僕は銃床で頭をどつかれその場に倒れた。

続いて、彼らが持っている銃が、僕の後ろへと向けて爆発音を放つ。

倒れたまま、地面に落ちている砂利交じりにリリアーナの方を見る。

ぼんやりと見える彼女は、その短い腕を一生懸命に腕を伸ばして、血が伝うその手で覆いながら、地面に落ちた"お守り"を大切そうに守っていた。


その後のことなんて、誰にだってわかるだろう。

僕のナイフは彼らの銃に敵うわけなく、銃床でどつかれ頭から血を流しその場で拘束され犯罪人収容所へと送られた。

イヴァンは、守衛の持つ銃で殺されていた。イヴァンだけじゃない、中に入った仲間の4人も全員。

命が残ったのは、結局僕だけだった。

リリアーナは、病院へ運ばれたらしいが、助からなかったと収容所の職員から聞いた。そばにいた他のメンバーもだ。


拘置所にいる協会の職員たちは、本部の建物を全焼させ会長ら職員を殺したのが、何の力もなさげな子供だったことには驚いたようだった。なんのことはない、僕らはあのとき神の子になれたのだから。


なんて、そんなこと、心の中でさえ(うそぶ)いてはいけないな。

僕がこの手で壊せたのは、武器を持たない人間だけで、

僕がなれたのは野蛮な強盗で、仲間さえ守れない罪人だからだ。


勝算などなかったのだ。


計画を教えてくれた、クラスニャ・ルナだって。あいつらの渡してくれたプランも爆薬もすべて完璧だと思っていたことも。裏切られたのだ。はなから勝算などなかったのだ。


それでも、仲介役が僕らと同じ子供なのには驚いたり、イヴァンが仲介役の女の子に心酔していたり、持ってきてくれたチョコレートをみんなで分けたり、リリアーナと持てる魔術石の数を競い合ったり、その後に手の大きさを比べあったりして……なんだか、やっぱりみんなで計画を建てている時は楽しかったな。


この先選ぶことのできる道は、テロリストとして処刑されるか、魔術協会に儀式魔術のための生贄として売り飛ばされるか、どちらかしかないだろう。結局僕たちは、暗い塀の中からもっと暗くてひどい檻の中に、出荷を待つ家畜のように閉じ込められだけなのだから。


まぁ、今の僕にとって、もはやそんな事、どうでもいいことだが。


マーラニアでは、3月1日、その年の健康と繁栄を願って”мартеница(3月のしるし)”という、お守りを飾る。

3月まであと3か月弱。最後に彼女に渡せてよかったな……。


真っ暗な収容所に天井近くの壁に開けられた小さな通気口の柵に、着ていた肌着を輪っかに結んで、私は最後に、かけがえのないものを失った苦しみに藻掻き(もがき)ながら、手を離した。


мартеницаーマルテニッツァ、3月のしるし。ルーマニア人、モルドバ人、アルーマニア人、ブルガリア人、マケドニア人、マーラニア人の間でなどの間で用いられる類似したお守り。3月1日、健康と幸運を祈って作られる。

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