DUN 1/1 1973
地中海、東方をコルシカ島とサルデーニャ島に、西方をマヨルカ島に囲まれ、それらと比べると一回り大きな島には、中央に走る山脈が緑深い木々と時に白銀の雪を見せ、南部は乾燥した平原に南東風が懸命に赤砂を運ぶ。まるで見飽きることのないその島は代々一つの王家により支配されているため「王国」と呼ばれ、その首都は「王都」と呼ばれている。国旗にはダリアの花とハゲタカの象形が描かれ、そして国名はこう呼ばれている。
「ダリア王国」
王国の支配が続く国。しかし、その実態はあくまで表向きのものだ。
王国の地位を裏から支えているのが、表向きは宗教であり、実質的に全ての魔術使の唯一にして最大のコミュニティとして機能している「太陽教」だ。数千年に渡り、社会から分断され隠し続けられている魔術使にとって、それは唯一の情報交換の場である。そのため教団の誇る施設や公開している関係書類の数は厖大で、表向に見せる太陽教の結束は固い。しかしながら、それは宗教ではなくあくまでコミュニティだ。そもそも信仰心など存在しない。つまり、太陽教に関係する魔術使は、ほとんどの場合、他の宗教を信奉している。世界の宗教ランキングを調べたときに、太陽教は上位に入ることはない。しかしその中途半端な存在こそが、魔術使の結束を固めながらも、敏感で底なしの宗教的対立を防ぎ、かつ、一般人へ宗教的な真正性を強く知らしめ、各国に閉鎖的な施設を作ることができるという、微妙のバランスを作り出していた。
1973年、ダリア北部の都市ダン。
エーテル孤児院はその都市の郊外に位置する大きな孤児院だ。その名前は設立者である叔母さんの名前からとったもの。
表向きは、太陽教が運営する孤児院となっているが、そこに入っているおよそ200人の子供たちは、すべて魔術使の子供である。
だが、魔術使といっても彼らには大きなレッテルが張られている。それは彼らが扱える魔術の能力が低すぎるから。
魔術使は生まれて1から2年ほどで、素質判定という魔術の強度を図ることが必要になる。当然だがその素質には強さ弱さがあり、その素質があまりにも低く強力な魔術使になれない者も存在してくる。人間と呼んではならないとされる魔術使なのに魔術使たり得ない存在。そういう存在は昔から、"人外"と呼ばれ差別されてきた。
とは言え、世界には人外と呼ばれる者はそう多く存在しない。そういった者たちは通常、魔術という存在を知らずに生きて死んでいくためだ。彼らはあまりにも魔力が弱いため自然に自分の魔術を知ることはない。そのため、幼少期より魔術の存在を知らない非魔術使と同様に扱うことで、人外と呼ばれることを防いでいる。彼らが幸せに生きられるように、それが当たり前のように昔から行われてきた。
けれども、一定数その例から漏れてしまった子供たちがいる。それがこの施設で暮らす子供たちだ。彼らは何の不幸だか、人外と呼ばれる強度の魔力しか持たないのに、魔術使として生きることを決められてしまった。
その理由は様々だが、不幸にも魔術を知ってしまった人外たちは、魔術使の家系にとってはお荷物となってしまう。子供たちはそうしてここへやってくる。
しかし、そうして来れた子供たちは幸運だ。なぜなら、往々にして人外たちは生贄として魔術の儀式に使われるから。魔術使にとって、どんな魔法具よりも強力な魔力を持つ魔術使そのものを自分の魔術に利用できる機会はそう多くない。普通の人間にはない魔力があるにも関わらず、その存在が軽んじられるからこそ、人外は利用されてきた。
1月1日、夜通しで新年を迎える人もいるが、孤児院では基本的に、その時間は睡眠時間とすることが強制されていた。ただし、勝手に起きている子供たちがほとんどだろう。職員もこの日に限っては誰も注意しない。そんな夜明け、叔母さんは、職員室で紅茶を片手に新聞を読んでいた。
「新年が開けたって言うのに、新聞じゃ冷戦のことばかりね」
"東西ドイツ基本条約の解説"そう見出しがつけられた紙面に目を落としながら叔母さんは職員と談笑している。一人の職員が、叔母さんの読んでいる新聞の日付が12月22日であることを突っ込むと、叔母さんは驚いた様子で声を上げた。
「なんで新聞置き場に去年の新聞が置いてあるのよ。」
そう言って立ち上がると、そのまま事務室を出て行った。
逆になんで気が付かないのよ、と心の中で思いながら、私は叔母さんの足音に耳を澄ませた。
「レイヴァニはどこに行ってるんだい?」
「おばさん、呼びましたぁー?」
あくまで何も聞いてないふりをして、私は答える。
「レイヴァニ、朝刊置き場に古新聞置いてないわよね?」
「あー、そういえば。片づけの時に余った新聞を置いたかも。」
「もう。片づけるんだったらしっかり片しときなさい。わかったわね?」
「はーい。ちなみに、叔母さんは、基本条約について理解できました?」
叔母さんの見ていた新聞の内容は私がさっきまで読んでいたものだったので、叔母さんを少しだけからかってみた。
「要するに、西と東で別れた事実を、やっと受け止められるようになった条約のことよ。」
「ふーん、なんだか別れたカップルみたいですね。」
「ふん。まったく。まぁいいわ。もうすぐ6時だ。朝食の配膳を始めようかい」
孤児院では、朝から夜まですべての時間が決まっている。例えば、食事の準備は調理の時間を含めて、2時間前からする決まりになっている。院にいるおよそ200人の子供たちの食事を職員だけで作るためそのくらいの時間になる。その他にも、起きる時間、院内学級の時間、自由時間、寝る時間、などかなり詳しく決められている。しかし、今日の朝はどうも違う。それもそのはず、今日は新年のパーティーだからだ。
「毎日朝食がパンだけならすむ話なんですけどね。」
「パーティーにお金を使ったら朝食が、質素になった、よくある家庭の一幕でしょ。貧乏くさいみたいな目線で見ないで頂戴。」
「そんな目で見てないですよ。それに、今日は用事があるんですよね?」
「そうよ。協会からの要請でね、急にバッフェムまで行って会議に出る用事ができたのよ。私がいなきゃパンを出すだけの下ごしらえさえ終わらないでしょう?だから早く準備してるのよ。」
さすがに、職員だけでも食器やパンの準備くらいはできると思うが、おばさんは不機嫌そうだった。
「バッフェム? 会議でそこまで行くってなんでしょうかね。」
「私も詳しくはわからないんだけど。なんだか、マーラニア、の方で色々あったらしいのよ」
マーラニア、社会主義、ソ連、冷戦……はぁ、もう、なんで最近の話題はこう冷戦冷戦ばっかりなのかしら。と思いながら、知っている情報を口にする。
「マーラニアって、黒海のあの独裁国家ですか?」
「そうよ。緊急の会合って言ってるあたり。何か嫌なことでも起こったのかしらねぇ」
その後、新聞を読んでいると、昨日マーラニアで大規模な火災があったことが、小さくのっていた。その後に続くコラムでは、マーラニアが第二次大戦以降、その情勢が非常に混乱しており、治安と都市部の環境問題が深刻な国だと書いてあった。実際、マーラニアの人々が、みだらに魔術を使って魔統やマーラニアの魔術協会の浄化作戦について聞いたことがあった。新年早々、変なことが起きなければいいけれど。
そう考えながら、私は叔母さんと二人で、職員室へともどっていった。
バッフェム:ダリア王国の首都。
ダン:エーテル孤児院の所在するダリア王国の都市名。
エーテル孤児院:魔術使のみを収容する孤児院。孤児院ではあるが実態としては孤児による魔術の乱用を防ぐための監視と教育の隔離施設。
ダリア王国:地中海に浮かぶ島国。
マーラニア社会主義共和国:黒海に浮かぶ島国。
レイヴァニ・ブロード:エーテル孤児院で働く16才の少女。
アルバーティナ・エーテルハイト:エーテル孤児院の院長。